伝わったことが伝えたこと。
先日、ある大学のコーチングの授業で学生に話をする機会があった。
一言で言うと、非常に難しい時間だった。
学生はこれまで育ってきた背景も違うし、
ライフスタイルも違う。
スポーツに本気で取り組んでいる人もいれば、
そうじゃない人もいる。
何も言わなければ後ろの方に座り、
ただただ淡々と授業を受けている。
参加しているのではなく、受けている。
こちらが何か発しても飲み込まれていくような感覚で、
何かが返ってくるわけではない。
何かを伝える側としては、
この状況が一番きつい。
もちろん、優秀であればあるほどに、
授業に参加させることができるのだろうけども、
それができていないいまは、1人で勝手にしゃべっている時間だった。
そして学生のレポートを見てみると、
こちらが意図していない部分を切り取っている。
前後では「説明」したつもりでも、
切り取り方によってはそう見られるのか、、、と思う。
だから、そういうことを言いたいわけではなく、
一つの例として提示した。
と思うのだが、それが伝わっていない。
伝えたいことが伝わったとは限らない。
伝えたことが伝わったことではない。
伝わったことが伝えたことなのだ。
こちらは良かれと思ってやっていることでも、
受け手としては不快に感じたり、物足りなかったり。
まだまだ足りないと思った。
いつものメンバーで、
私自身を知ってくれている人が集まっている集団で、
何か言えばわかってくれる対象。
ではなく、肩書きも何も知らず、
ただただ目の前にいる人物から伝えられるもの。
それが本当の実力なのだろう。
いつものメンバーで、
いつもの指導者で、
いつもの環境じゃないと力が発揮できないという選手は、
やはり、何かに依存していたり、
適応能力に乏しいのかもしれない。
同じことは指導者にも教育者にも言える。
学生からしたら「このおじさん誰?」という感じだ。
そんな疑いの目線から、
「お、なんか面白い」
という興味関心の対象になるまでの、
その距離感をどうとっていくのかというのが、
やはり最大の課題だと感じる。
もっと、役者になって目の前にいる学生や選手を巻き込まないといけない。
そうしていくべきだ。
と強く感じた。
やはり、場数が大事だ。
そしてアクセプトだ。
「だからそれを言いたいんじゃないんだよ」
「学生は全然わかっていない」
と嘆くのではなく、
「そう伝わったのか」
「どうやったらこちらが伝えたいことが伝わるだろう」
と矢印を自分に向けて成長していきたい。