選手は指導者の鏡。指導者は選手の鑑。
ツイッターで見つけたこと。
以前にも先輩指導者と話をしていて、
「生徒は俺らの鏡だよ」
って話をしていた。
指導者の発言、取り組み、姿勢が、
選手に大きく影響することは間違いない。
小学校なんかに行くと、
学級担任によってクラスの雰囲気は大きく違う。
親よりも長い時間を過ごすかもしれない学級担任が、
子供に及ぼす影響ははかり知れない。
以下、私が嫌いなタイプの指導者を列挙する。
自分のことは自分でやれというくせに自分のことは自分でやらない人
自分のものは自分で持ってこい。
なんていうくせに、
練習中の椅子は生徒が準備する。
練習中のドリンクは生徒が準備する。
練習で使うシューズは生徒が準備する。
ドアやネットは生徒が開けて待っている。
なんて現場はたくさんある。
指導者になったら選手や誰かが準備してくれる、
という環境の中で育つと、
先輩になった時に、後輩にそれを求めるのが当たり前になってくる。
そして、後輩が忘れたり、
準備が整っていないと、
自分のことなのに、誰かのせいにしたりする。
自分のことすら自分でできない人間は、
結局のところ、誰かがいないと何もできないし、
誰かに依存しないとスタートラインにすら立てない。
挨拶しろというくせに挨拶しない人
これは日本社会全体というか、
日本人特有という気もするが、
多くの人は、自分にメリットのある人にしか優しくしない。
自分にメリットのある人間にしか挨拶もしない。
校内で先輩を見つけると、
すぐそばまで走っていって挨拶をする。
どんなに遠くからでも挨拶をする。
みたいな部活動の決まりがあるところもあるが、
じゃあ、すれ違う教科担任には挨拶しないのか、
ということになる。
学校の中では「先生」として存在している人を無視して、
部活動の「先輩」には挨拶をする。
ちゃんちゃらおかしいことだが、
それが「当たり前」「部の決まり」となっているところも少なくない。
そして挨拶される側になっていくと、
「あいつ、挨拶しねーな」
という。
挨拶をするものではなく、
されるものだと思っている時点で、
勘違い甚だしい。
挨拶をするというのは大事だが、
挨拶はされるもの、と勘違いしている人は、
年齢とともに、老害と呼ばれていくだろう。
パフォーマンスの出来を人間性と結び付ける人
ミスをしたくてミスをしている人はほとんどいない。
負けようと思って負けている人もほとんどいない。
だけれども、そこで適切・的確な
技術戦術指導ができない指導者は多い。
キーパーの正面にシュートしてしまって、
「バカ!」なんて声を投げる。
そんな指導者はどうするかというと、
精神的な話を持ち出してくる。
なんなら、人間性の否定をしてくる。
ひどいときだと、家族をディスってくる。
過去最高に聞いててイラついた指導者の言葉は、
「俺だって仕事で寝てねーんだよ。
お前死んだ兄ちゃんの墓の前でハンドボールがんばるって言ったんじゃねーのかよ。がんばってねーじゃねーかよ」
だった。
寝てるか寝てないか、知らない。
ハンドボールを教えてくれ。
死んだ兄ちゃんも大事だが、
選手を泣かすまでそんなことを言うより、
何ができなかったのかの原因と、
その解決策と、具体的な取り組みついて教えてくれ。
最終的に、気持ちが足りない。で終わらせる指導者は多い。
もちろん最後は気持ちなんだけど、
そこまでの過程で技術も戦術も整理されていないのであれば、
いくら気持ちが入ったところで、
どうすることもできない。
生徒は許されないのに自分は許される特別な人だと思っている人
自分は時間に平気で遅れてくるくせに、
選手が少し遅刻したら、烈火のごとく怒る指導者も多い。
大人になればそれなりの事情がある、
ということも分からなくもないが、
選手にだってそれなりの事情がある。
なんなら、自分は二日酔いで遅れてきて、
選手の寝坊は許されないなんて都合がいい。
自分は靴ひもも結ばないで練習を見ている人間が、
選手に靴をちゃんとはけなんて言ってるのは滑稽だ。
ちなみに、私が講習会等をしているときに、
指導者同士でおしゃべりをしていたり、
寝ていたり、壁にもたれて座っていたりする。
実際の指導現場で選手がそんな態度をとったらどうするのだろうか。
県の強化費を使って、指導者講習会をしているのに、
実際に選手を動かしているから、
指導者は座って寝ている、というのも面白い現象だ。
元気出してやれ、
なんて選手には言うくせに、
自分が指導しないからといって二日酔いで眠そうに
講習に来る指導者をどうにかしてほしい。
まとめ
指導者と選手は役割は違えど、
同じ競技をする仲間でもある。
一人の人間として、お互いが高めあえる存在になるのが理想だ。
なのに、主従関係、上下関係のように、
縦の関係性が当たり前に考えられるようになっている。
そして、上の立場の人間が、
自分を特別視してしまう、
残念なやつになってしまう。
そんな指導者に育てられた選手は、
そんな指導者みたいな大人になってしまう。
しかしながら、本当に素敵な指導者に育てられた選手は、
本当に素敵な大人になってくれることが多い。
それは、競技力のあるなしではなくて、
その競技を通してどんな人間になっていくのかという、
指導者の根本的な考え方がにじみ出るのだと思う。
この指導者の教え子は間違いない。
私の教え子はどこに出しても恥ずかしくない。
そういわれる指導者の鑑を見つけること、
それに近づいていくこと、
そんな人に出会うことが、
人生最大の贈り物になる。