大学まで面倒見ますから。という殺し文句
子どもの進学先を選ぶときに考えることは何か?
ハンドボールの世界でも、
いい選手を集める、
というのが高校界でも強いチームの一要因になっている。
県外から選手を集めることも珍しくない。
親としては15歳で我が子が離れるという不安がある。
進学先を決めるときに、安心して我が子を預ける決定打が、
「大学まで面倒見ますから」
うちの学校にこれば、
全国大会だけではなく、その先まで保証されていますよ。
というのは大きい。
卒業生の進学先を見せられて、
六大学と呼ばれるような有名な大学にも行けるかもしれない。
という期待が、多少の金銭を多く積んでも、
親としては進学先を決める要因にもなる。
進学先の進学先。
親も子供もこれを考えて進路を選ぶことも少なくない。
本当に望む進学先に行けるのはわずか
いまだに後を絶たない話として、
指導者が進学先を決めるというもの。
とりわけ多いのが、
・お世話になっている指導者
・自分の母校
・パイプをつないでおくための進学先
これは優先順位としてあるのかもしれない。
合宿等でお世話になっている大学から、
この選手が欲しいといわれたら、送る。
自分の母校に強くなってほしいから、送る。
パイプが多い方が何かあった時のために便利だから送る。
信じられないかもしれないが、
生徒の意志や親の考えを無視してまで、
生徒の進学先を「勝手に」決める指導者はいまだにいる。
他の大学から声がかかっていても、
生徒や保護者に通さずに、自分の母校にいかせる。
あとから実はこんな話があったんだけど、
なんてことは「あるあるな話」だ。
なんならこの選手をとるなら、
この選手もセットでとってくれ。
そうじゃないと2人とも進学させない。
なんて条件を出してくる指導者もいる。
控え選手でもいいので誰か送ってください
なんて大学もあったりする。
大学としてもどんな高校から入ってきているのか、
という実績にもなるからだ。
ハンドボールがそこまで強くないけども、
何かあったの時のため、
自分の顔を立てるため、
そこの大学に送る、ということも無きにしも非ず。
一番手の選手は、半強制的に「つながり」のある大学へ。
二番手の選手は、お願いしたらとってくれそうな「つながり」のある大学へ。
三番手以降の選手は、自力か「なんとか押し込める」大学へ。
高校の先生としては大学まで面倒を見るというのが、
一番の仕事なのかもしれない。
しかし、生徒が自ら希望する大学にいけるかどうかはまた別の話だ。
仕事でもあり、成果としても出さなければならない進学先。
ここを知らないままに高校を選んでしまうと、
高校入学時に進学先が狭まってしまうことだって考えられる。
「大学まで面倒見ます」
という言葉に嘘はない。
ただ、希望する進学先にいけるかどうかは別の話。
本当は別の大学に行きたいのに、
「お前はここにいけ」
と言われたらそこに行くしかない。
そんな情況になる生徒はおそらくたくさんいる。
もちろん、それで成功している選手もいる。
それは間違いない。
ただ、指導者のパイプ作りとか、
顔を立てるという部分において使われた生徒が、
その後大学でもキャリアを積めるかどうかはわからない。
大学を途中でやめたり、
授業に出るという習慣すら作れずに、
怠惰な生活をしてなんとなく卒業することもあるだろう。
それはそうだ。
自分の希望する大学ではないのだから。
高校入学時に思い描いていたものを
上書きされて強制的に書き換えられたのだから。
本当は別の勉強がしたいのに、
興味のない分野の学部に入って、
上手く友達も作れず、
ハンドボールだけをしに来たみたいな学生生活を過ごしても、
おそらくしんどい。
進学先を選ぶにおいても、
その大学に入ることだけが目的とならないように、
その大学を卒業して何がしたいのかを明確にしておきたい。
もちろん、中学生において、
将来のことを考えろとか、
打算的に進学先を選べとか、
向こう40年の生き方を決めろ、
と言っているのではない。
夢も考え方も何もかも変わる。
それは時代が変わるにつれ、
自分の経験が変わるにつれ、
見方が広がり、世界観が増し、
自分自身がアップグレードされていくからだ。
今すぐに5年後何をしているのか決めろ、
というのは、中学生にとって酷だ。
私だって5年後の自分を今すぐ決めろと言われても、
躊躇してしまう。
ただ、このコロナの影響で考え方も変わったはずだ。
3年間必死に取り組んできたハンドボールが、
意味を持たないくらいに世の中が変わることもある。
ハンドボールで選んだ進学先で、
ハンドボールを奪われたとき、
自分に何が残っているのだろうか。
ハンドボールが強いから、
という理由だけで進学先を選んでいると、
リスクが高いことを痛感したはずだ。
自分の好きなことができる。
ハンドボールもできる。
将来的にもリスクヘッジがきく。
そんな進学先を一緒に考えてくれる指導者や教育者がいたら、
これほど幸せなことはない。
進学先を自分の実績として考えたり、
生徒の人生を自分のコマのように使う指導者は
いくら競技実績として残していたとしても、、、疑問は残る。
結論として、
進学先は自分で選ぶべきだ。
この「自分で選択する」という責任を教えるというのが
一番の教育なのかもしれない。
私自身が進路を決めたきっかけを講演会でも話しています。
9分くらいからご覧ください。