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自己愛と怠惰の狭間で

 俺はあまり弱みを見せない方だと思う。いつ誰に叩かれるか、不安で仕方がないからだ。

 弱点をさらけ出した途端、人は変わる。急に罵倒されるかもしれず、嘲笑されるかもしれず、辛辣に非難されるかもしれない。心が弱っている場合、それがとどめの一撃になりかねない。
 もちろん、弱みを見せるというのはそうしたリスクと隣り合わせの行為であることは知っている。だからこそ自分をさらけ出すのがこわいのだ。こうした被害妄想や強がり、他者への甘えや自分を守る姿勢を見抜かれて、「お前は傲慢だ」「自己中心的だ」「人に求めすぎだ」と道破されるのが、どんな罵言をはかれるよりも恐ろしい。

 だから俺はずっと、自分の弱さがいやだった。こんなものがあるから叩かれる。欠点があるから醜いと言われる。すべての欠点を消し去って、完璧な人間になりたい。そうなれば誰も俺を責めることはできないだろう。角を矯めて牛を殺すというが、牛を死なせてでもねじくれたツノは矯正するべきだ。
 ・・・・と威勢のいいセリフを吐きながら、本気で自分を変えようとしたことなどただの一度もない。当然である。俺が本当に嫌いなのは自分の愚鈍、臆病、陰険さではなく、それらを他人から叩かれることなのだから。
 不信感に凝り固まった暗い自分はいやではないが、それを非難する他人は許せない。成長したり魅力的になる努力は面倒だが、人から拒絶されたくはない。だから弱さや欠点や都合の悪いものはすべて、直すのではなく隠そうとする。俺は元来そういう人間だ。

 いい気なもので、今までは欠点だらけの自分が嫌いなのだと思っていた。だが事実はまったく逆で、俺は自分のことしか考えていない。人からの責めを過剰に恐れるのも、簡単に助けを求められないのも、結局は自分を大事にしすぎるエゴイスティックな性格だからだ。誰に対しても「貴様はこの俺を非難するつもりなのか」と思い上がった疑いを持っているから、守りに入った態度にならざるを得ないのである。

 そうした強烈なエゴに甘えて自分を守り続ければ、もともと弱かった心はさらにもろくなり、もっと自分を守るふるまいに汲々とすることになる。完全なる悪循環だ。そしてその陰湿な性格は、人間関係において顕著に現れる。
 人と関わる時、俺は誰に対しても「優等生」であろうとする。常に下手に出て媚びを売り、真面目なふりして顔色をうかがい、先回りして機嫌をとり、何があっても逆らわない。わずかでも責められる空気を察すれば、先んじて自分を非難してやり過ごす。グリム童話のコウモリのように、あちこちにいい顔をして、つまらない建て前やきれいごとを連発する。
 なぜそこまで卑屈なのか?怒られたら、非難されたら、機嫌を損ねたら、これまでに稼いだ「点数」がすべてゼロになり、何もかもが終わる。そんな恐怖に突き動かされているからだ。

自己愛の先にあるもの


 長いこと自分を守ることだけに注力し続けていると、自分の気持ちがわからなくなる。人からの論難を避けるため、自分の気持ちを押し殺し、あるべき思考・行動をとり続けるのだから、それは当然だろう。

 頭にある考えが浮かんだとして、それが本音なのかわからない。一般論を流用した建前かもしれないし、「こうあるべき」という教条的な理屈から生み出されたきれいごとかもしれないし、その両方かもしれない。
 もし本当の気持ちがわかったとしても、それを素直に肯定できるわけでもない。自分のうちから「その感じ方は間違っている。お前はこう感じるべきだ」という声が、際限なくわいてくるからだ。確かに、俺の感受性が正当である根拠などどこにもない。にわかに疑わしくなって、自分の気持ちを捨ててしまう。
 そうして残るものは、丁寧に消毒殺菌された無害な思考の残骸である。唯一残った消しきれない自分の意思、それはただ面倒は嫌だ、傷つくのは嫌だと、そればかりだ。

 そうした丸出しのエゴと自己愛の先にあるものは、張り合いのない人生である。俺はもう思春期の頃から、生きることが面倒でならなかった。全てにおいて興味より先に義務感が働き、誰かに「怠け者」と非難されたくないから渋々動くことがほとんどだった。
 重い腰を上げた後は「これで誰からも悪く言われない」というばかげた安堵感が残るばかりで、なおのこと動く気がしない。体を起こすのも、歩くのも、ずぶ濡れの服を着ているようにわずらわしい。涅槃像みたく楽に寝ていることが好きで、できることなら一生寝ていたかった。

 我ながらなんて怠け者だろうと思ったものだが、考えてみれば自業自得である。何事も他人の顔色をうかがってヘコヘコやっていれば、人生の当事者意識を持てず、積極的に生きる意思もない、人生を諦めたような無気力な人間になることは明白だ。

 俺は事ここに至っても、自分がどうなりたいのか、どうすべきかすらわからない。自らの内を探っても、無辺の荒野をうろつくような、あてどない気持ちがするばかりで、ただ困惑の他ないのである。 


◆おまけ  非難されないための四点セット


 おまけ。俺がこれまで学んできた、人から叩かれないために大事なポイントを、備忘録もかねて残しておく。
 非難されない話し方など、ごく日常的な会話スキルのひとつであり、わざわざ解説する程かと思う人もいるかもしれない。しかしこの四つを守らないで相手の不機嫌や攻撃を買い、不満を募らせる人は存外多い。あるいはなんとなく分かってはいるが、うまく言葉にできていない人もいるだろう。

 であれば、この際にはっきりと言語化して、いざという時のために知っておくのも悪くはない。活用するなり反面教師にするなりご自由にどうぞ。

◆叩かれないための四大鉄則

①気持ちを話さない
②感情を出さない
③弱みを見せない
④逆らわない

 これらは非難回避においては基本中の基本である。武道で言うところの「構え」に相当し、これがいい加減だと簡単に態勢を崩されてしまう。細かい注意点は他にもいくつかあるが、それは各項目で触れる。簡単に解説していく。

①気持ちを話さない

 単純な話で、「自分はこう思った/感じた」という主観を入れれば叩かれる。入れなければ叩かれづらい。多くの場合、非難されるきっかけは話す内容そのものではなく、そこに付随する「感情」である。自分が感じたことを話す行為が起爆剤となり、相手を刺激して攻撃が始まる。だからそれをやめようという話。
 例えば困りごとを話す時などは、何事であれ、事実だけを報告するのが無難だ。上司に業務の進捗を連絡するように、客観的な状況だけを淡々と述べて気持ちは一切話さない。明るい気持ちを話すのは構わないが、不自然に明るくなりすぎないように注意。

 もし相手から自分の気持ちを問われた場合は、意固地にならず何か口にすべきではある。黙っていれば「人に心が開けない人間」と評されることになり、これも必ず非難につながる。
 もちろん本当の気持ちを話す必要はないので、建て前やきれいごとで済ませるのがいいだろう。ただし「むかつく」「クソ野郎」等の強い表現は相手を刺激するのでご法度。「残念に思う」といった、固く他人行儀な言葉を使うといい。

 余談。気持ちというのは相手次第でどんなものでも否定される。例えば愚痴をこぼせば「うるさい」と言われ、堂々としていれば「生意気だ」と言われるような経験は、誰にでもあるだろう。だからそういう環境にあっては気持ちを隠すことが何より肝要である。 

②感情を見せない

 正確にはネガティブな感情をみせてはいけない。負の感情は相手を簡単に刺激してしまう。泣いたり、傷ついたと言わんばかりの女々しい態度を露骨にとるのは論外で、「甘えるな」「泣けば許されると思っているのか」といった手厳しい痛罵を食らってしまう。
 といって、終始能面のような無表情でいればいいというわけでもない。どんなにつらい状況を打ち明けていようと、極力自然に、穏やか(または冷静)な表情を浮かべるのがベストだ。一番まずいのは「こいつはわざと感情を見せていないな」と悟られることである。

③弱みを見せない

 これも①と同じ。弱みを見せれば叩かれる。そうでなければ叩かれづらい。当然、弱点を隠していると悟られれば「お前は幼稚/陰湿な人間だ」といった攻撃が飛ぶので、隠匿がバレない事も重要である。
 弱点を上手く隠し通すには、頑なに開示を拒否するのではなく、反対に「私はこんな弱みを抱えてます」と話してしまうことが有効である。本当のことは話さなくていい。怒りっぽいとか、せっかちとか、誰にでもある欠点をひとつかふたつ並べて、何も隠していないという建前をつくれば、相手を黙らせることができる。
 面接では弱点を聞かれたら無難なものを答えろというのは有名な話だが、それと同じことだ。

④逆らわない

 先んじて非難されたり、①~③を守っても叩かれることはある。こういう場合は何を言ってもやりこめられるか、「言い訳をするな」で封殺されることがほとんどである。挽回する事はまず無理なので、無理に逆らわず、「そうですね」「耳の痛い話です」と流すことで火に油を注ぐことを避けられる。予防というよりは延焼を防ぐ次善策である。

◆それでも批判されそうになったら

 以上のことを守っても叩かれるときは叩かれる。相手が怒っていたり悪意があったりする時などがそれだ。そういう時の対策は一つしかなく、自分で自分をあらかじめ批判することである。うまくやれば相手を鎮静化させることができる。
 といっても、ただ強い言葉で自分を罵倒するのではない。そんなことをしても「予防線を張るな」で終わってしまう。だから広範囲に薄い批判をまき、全体的に批判的な傾向があると相手に認識させることで、するどい攻撃性をやんわりと削ることができる。

 例えばこの記事なんかがそうだ。上の方で俺はさんざん自分のことをこき下ろした。読み手から「お前はダメだ」と言われることを恐れてのことだが、これを予防線だと看破されることはあまりない。
 それは文章自体が淡白で自分の気持ちをあまり書いていないこともあるが、批判的なワードをまんべんなく、控えめな表現でまぜたからだ。決して一ヵ所に集中することなく、冷静に事実だけを書き出す。そうすることで「自分を責めて批判を避ける」という印象ではなく、「淡々と自分の欠点を語ってひとりごちている」というイメージを相手に与えることができる。少しでも自分をかばうようなことを書けば、こうはいかなかっただろう。

 とまあ、口で言うのは簡単だが、この術を通すには熟練の技がいる。言い方に気をつけるというのもそうだが、まず自己批判が通用する相手や状況なのか、その見極めが非常に難しい。下手に自身を悪く言って、予防線だと見抜かれてしまえば、さらに激しく叩かれること請け合いである。そのへんの判断が困難で、最初から予防線を諦めることは俺でもある。だから基本的には諸刃の剣、なるべく使いたくない奥の手だと思ってほしい。

 初心者はまず①~④を完璧にできるようにする。そうして非難される状況をよく理解し、しかる後に自己批判術を身に着けてほしい。俺はこれらを理解し実践してから人から叩かれることがほとんどなくなった。

 完璧な人間などいないが、工夫次第で非難の矢雨をかいくぐることはできる。要するに、敵に背中を見せるなということだ。俺と一緒に、誰にも叩かれない人間を目指そうぜ。



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