「わかる」は「かわる」
こんにちは。
“マネジメント人財の目利き&「大人の学び」の案内人”の福岡明善です。
ことのは 8
「わかる」は「かわる」
私には「学び」の師匠と思っている方がいます。2006年に逝去された阿部謹也先生です。面識があるわけではなく、著作を通じてしか存じ上げません。
私自身がアメリカで勤務しているとき、西欧的な「個人」の誕生について関心を抱いたことをきっかけに、阿部先生の著作に接してきました。
先生の著作のひとつに『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房)があり、私はこの本を繰り返し読んできました。そのなかで、先生はご自身の恩師である上原専禄先生から卒業論文のテーマを選ぶに際して「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」と言われたことを紹介されています。また、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」と言われたことにも触れられています。そのうえで、阿部先生ご自身は「『解る』ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです」(前掲書P17~18)と述べられています。
「結局は自分と周囲との関係をどのように理解してゆくか、そのなかでどのように行動してゆくかという問題からはじまって、私の研究はヨーロッパ中世にまで広がっていったのでした」(同P202)
「私にとって歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することはできない」(同P203)
自分の内面から切実に湧き上がってくる問題意識から「学び」は始まり、自分自身に変化が生じることで「学び」のサイクルが回り始めるのだと思います。
では、また。Bonne journée!
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