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BIGな初ゲスト!「OK,Maneesha」のあのマニーサに瞑想との出合い・アドバイスを聞きました!

ナマステ!瞑想ラジオのラシュミとアビラティです!
2024年5月から配信を始めた瞑想ラジオですが、今回初めてゲストをお迎えしました。ゲストはOSHOの講話で質問を読んでいるManeesha James。
そう、「OK、Maneesha」のマニーサです!
※スペルは「マニーシャ」ですが、OSHOは「マニーサ」と呼んでいたのよと彼女が教えてくれましたので、ここではOSHOに倣ってマニーサと表記します。

音声本編は英語です。英語が得意でない人も、ぜひ彼女の声を、言葉と言葉の間のギャップを、音楽として聞いてみてください。それ自体が瞑想になります。言語が理解できないことはむしろ恩恵です!

それではここからは日本語で内容をまとめてお届けします。


ー瞑想との出合い

彼女はOSHOに出会う前、当時住んでいたロンドンで伝統的な瞑想を試みましたが、沈黙に圧迫感を感じて20分も座っていられなかったそう。友人の勧めでインドにいるOSHOに会いに行くことを決めたところから、瞑想に対する理解が大きく変わったと言います。 
ロンドンからインドに向かう前、トルコでヒッチハイクをしていた時の体験をシェアしてくれました。水平線に浮かぶ船を見ている間に、意図せず完全な瞑想状態に没入したそうです。マニーサはそのときのことをこう表現しています。

私を囲む全てが消え、私も消え、私はそこにawarenessとして存在していた。すべての音は消え、自分の身体に気づいてさえいなかった。完全にうっとりしていました。岸からはほとんど認識できない、遥か遠くの大きな船、それが進む姿に。この状態が1時間半ほど続いたでしょうか。時間の感覚もなくなっていました。時間、空間、自分自身、全てが消えていました。その瞬間とその船だけがありました。当時はそれが瞑想状態だったとはわかっておらず、ただ、何か普通ではないことが起こったと思っていました。何年も後になって、これは自然に瞑想のなかに消えていく体験だったのだと気づきました。

ー瞑想は自然に起こる 技法は踏み台にすぎない


「瞑想は、なんの意図もなく、自然に起こりえます。例えばピアノを弾いているとき、ダンスをしているとき、セックスの最中にも」
トルコでの体験は、後年、彼女が瞑想のファシリテーションをするときの大きな助けになりました。
瞑想が自然に起こるなら、なぜたくさんの技法があるのか?と参加者から聞かれると、マニーサはこう答えるそうです。
「かつての私のように、初めから目を閉じて座るだけで瞑想に入れる人はほとんどいません。だから、技法は一時的な踏み台だと思っています。私たちの内側の雰囲気を作り、障害物を乗り越えて、静かで落ち着いた状態になるための手段ともいえます。技法が瞑想を作るのではなく、技法は単に私たちが瞑想できるよう準備してくれるものです」
さまざまな瞑想技法の重要性を共有してくれましたが、とくにOSHOのアクティブ瞑想が初期の頃は、瞑想に入る障害を克服するのに役立ったと語っています。

ー瞑想で起こったセックスエネルギーの変化


彼女に深い変化をもたらした実践のひとつは、プレイヤーメディテーション(現在はマハ・ムードラ瞑想として知られています)。これによって彼女は存在との肉体的な親密さを体験しました。巨大なエネルギーが彼女の中を流れ、あたかも情熱的なlove affairであるかのように。
毎日この瞑想を行ううちに、あまりに深く満たされ、男性とのセックスが小さなことに感じられ、だんだんと興味が向かなくなっていきました。OSHOは、それは彼女の瞑想が深く進んでいるから起きていることで、セックスは妨げになるとアドバイスをして、見守ってくれたそうです。このプロセスの中にいた4年間、彼女のセックスエネルギーは完全に消え去り、まさに『セックスから超意識へ』OSHOの代表作のタイトルそのままの体験だったと振り返ります。自然に起こった宗教的禁欲が過ぎ去った後、彼女のセックスエネルギーは変容し、よりリラックスしたものになっていきました。

➖OSHOの面前に座る 中空の竹になる


20分静かに座ることすら難しかった彼女が、何時間も身動きひとつせずに瞑想できるようになった軌跡を振り返るなかで、アシュラムでの役割についても語ってくれました。彼女はOSHOの目の前に座り、寄せられた質問を読むようになります。周囲の人々は何千人もの参加者、そして世界中が注目している中で質問を読むなんて緊張しないのか?と彼女にたずねたそうですが、これもまた瞑想だったと彼女は言います。
この役割に関してOSHOが彼女にいったのは「マニーサ、この場に人格(personality)として座る必要はない。必要なのは、十分に大きな声で、クリアに話すこと。そうしたら皆がわかるから」
またこうもいっていたそうです。
「瞑想は中空の竹になること。ただ、自分を脇によけること。竹が笛になるには、中に障害物があってはいけない。そうでないと音が歪んでしまうから」
彼女が質問を読む間、OSHOはずっと彼女を見ていてくれました。これもまた周囲からは緊張しないのかと疑問に思われ、勇気があると評されることだったそうです。彼女は、緊張も勇気もなかったと言います。なぜなら緊張も勇気も感じるselfがいなかったからです。

「中空の竹」を体験した彼女はそれをこう表現します。
私たちはエネルギーとして道を開ける必要があります。エゴを脇によけて、なんであれ通り抜ける必要があるものを私たちの中を流れさせること。


➖瞑想を日常に  


 前半の最後に、瞑想を始めたばかりの人たちに向けてアドバイスをお願いしました。

先ほど、瞑想の技法は踏み台のようなものだといったのは、まさにこのためです! 最終的に瞑想は生活の一部になるもの。初めはすべての人が瞑想は日常とは切り離されたもので、特別に瞑想のための時間を作らなければいけないと誤解をしています。だからどうやって瞑想の時間を作るかはよく聞かれる質問です。
瞑想は、30分や1時間かかるものばかりではありません。 5分や10分と短時間でできるものも数多くあります。
もし1日のはじめに5分でも瞑想のスペースを味わっていれば、川の底を流れる水のように、一日中瞑想の香りがあなたの内側を流れ続けるでしょう。
平日はこうした短い瞑想をし、休日にはもっと長い時間をかけて瞑想するのもいいですね。
どんな長さの瞑想でも、続けているれば、最終的には技法に頼らずとも、瞑想が生活の一部になるところへ導かれるでしょう。
そして、人生それ自体が技法です。すべての状況を使えるのだから!あなたが中心に留まり(stay centered)、その場にいて(be present)、条件付けからの反応ではなく、その都度新しく生まれる応答をし(resposeive rather than reactive )、感情があってもそれに巻き込まれずいるために。
そうしてあなたのすることすべてー話すこと、人と関わることも、あなたが統合されていくこと、それこそが瞑想です。
OSHOが頻繁に言っていた「あなたの中に、毎日ブッダがいるようにしなさい」というのはこのことです。

ー瞑想ラジオでは、瞑想を歯磨きに例えていますがどう思いますか?


とっても同意!習慣だという点が同じですし、コミットメントをするのもいいことです!そこにはマインドの理解という大事な点も含まれますから。
例えば、毎日歯磨きをするときに「今日私は歯磨きをすべき?」ってマインドと相談するかしら? もしマインドが「今日は歯を磨く時間がない」「歯磨きをするのは退屈だ」といったとしても、あなたは「私は歯を磨くと決めてるの。あなたと相談するつもりはないわ」っていうでしょう?
それと同じこと!コミットしたらマインドが何をいってもやる。瞑想も同じです。マインドは全てをコントロールしようとします。言い換えるとマインドは瞑想のもっとも大きな障害物です。
だから、マインドの特徴を理解すること、どうやってマインドを瞑想の障害物ではなく助けにしていくか、それが技法だけでなく瞑想に大切な視点です。

後半へ続きます!

マニーサの来日プログラム詳細(神戸・東京)

神戸申込(2024年10月5日・6日)

https://online.shivashakti.jp/a/2147896316/Q5Lwy8EK

東京申込(2024年10月12日〜14日)

https://online.shivashakti.jp/a/2147896317/Q5Lwy8EK

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