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1995年のバックパッカー#39 タイ5 微笑み国、ふたたび。メコン川国境の女と男。

8月29日、7時に起床した僕はトゥクトゥクに乗って、タイとの国境タードゥアを目指した。
メコン川に沿って僕とドライバーは無言なまま進み、柔らかい風を受けていた。普段は主に徒歩で行動しているだけに、動力付きの乗り物を使う時は移動日であることが多く、トゥクトゥクに乗るだけで、違う町、違う国に向かっていることを心身が察知して、静かな高揚感へと繋がった。

トゥクトゥクは、50分ほどで国境に到着した。
ここに至るまで、多くのボーダーを経験してきたが、川を跨いでの国境越えは初めてであった。

いや、違う。チベットからネパールへと抜ける時も川を跨いでいた。僕は、東南アジアの国境で、遠くヒマラヤの裾にある山間のあの国境を思い出しては、ポツンとした気持ちになった。
旅が進むと、地球と自分は、それぞれに小さくなっていくようだ。

国境のパスポートコントロールや税関審査は、高速道路の料金所に似ていた。
僕はメコンの緩やかな流れに利根川を思い出しながら、晴れて国境を越えると、タイ側国境に停車していたバンに乗りかえて、メコン川の残り半分を渡り切った。バンはそのままタイ側の小さな町ノーン・カーイまで僕を運んだ。

メコン川を渡っただけに過ぎない短い移動だったが、あっちとこっちでは大きく異なっていた。それはタイムマシンに乗って20年後の世界に来たかのような違いがあった。
こちら側のタイでは、道路や信号、商店の構え、走っている車、全てが90年代である現在の世界だった。
僕は国の違いというのを、国境を跨ぐことでこれからも数多く知ることになるのだろう。国旗が変わり、人の表情が変わり、言語が変わり、通貨が変わり、そしてそこに住む人々が抱く未来も違うのだろう。
僕は1時間前にいた川向こうの国、古き良き東南アジアであるラオスが、今さら少し恋しく感じた。あの素朴さは間違いなく時代の波に飲み込まれていくはずで、その前に訪れることが出来たのは幸運だ。


メコン川は泥色で、決して美しいとは言えなかったが、多くの文化や文明の興りや衰退を横に見てきたはずだ。そういう目で眺めると、メコン川は、この雄大な半島の母のように思えた。
僕はバンを下車した後、ノーン・カーイのメコン川と並行に敷かれたメインストリートをそぞろ歩いた。20キロを超えるバックパックの重みが移動日特有の負荷となって肩に食い込む。
なるべく早く安宿を見つけて、文字通り肩の荷を下ろしたいのはやまやまだが、ハズレくじは引きたくない。かといって粘りすぎるのもしんどい。そんな小さな葛藤が移動日にはある。

幸いメコン川に面した、つまり毎日メコンの流れと共にある良い感じのゲストハウスを見つけられた。その名もメコンゲストハウス。堂々とした名前であった。

到着した途端、驚いたことに日本人の女の子が出迎えてくれた。目元のぱっちりした可愛い子だった。名前はユリさん。20歳の大学生だ。夏休みを利用して来ているのだという。しかも、メコンゲストハウスで働くタイ人の年下の男の子と付き合っているとのこと。
僕は到着した早々にユリさんから多くを聞かされて戸惑いつつも、なんとなく楽しい滞在になりそうだなと嬉しく思った。
僕はそのままメコンゲストハウスで朝食をとった。居合わせた別の日本人ヒデくん、そしてユリさんとの3人で。

ノーン・カーイ。おそらくほとんどに日本人には知られていない小さな町。そこでメコン川を眺めながら、知り合ったばかりの日本人と朝ごはんを食べている。例えば、渋谷ではあり得ない出来事が旅先ではごく普通に起こるのが楽しい。
僕は荷物を部屋に入れると、そのまま近所を散歩することにした。



ユリさんに勧められたワット・ケークに到着すると、コンクリートで造られた仏像や龍や動物などの大きな像が立ち並んでいた。
それらは見上げるような大きさで、出来栄えとしては大学の学園祭を思い出させるようなレベルだが、ワット(寺)というよりも、娯楽施設のように思えた。それぞれの像は完成度が低くユーモラスであるが、夜になると怖い像に見えるだろう。
敷地は結構広く、ぶらり歩いていると、1人の欧米人の青年に会った。2、3言葉を交わしていると、自然と午後にランチを一緒にしようということになった。

彼の名はフィリップといい、スイス人だ。僕が日本人だとわかると、昔空手をやっていたんだと少し得意げに告げた。海外では日本人と空手、そして侍、忍者というのは連想パターンとして王道で、その話が出るたびに、何か武道の一つでもやっておけば良かったと思う事度々であった。
実際後年、僕は合気道で黒帯を巻くことになるのだが、そのきっかけは、この旅での同様な場面がきっかけになっていたのかもしれない。

僕はワットケークから一旦メコンゲストハウスへと戻り、昼寝をした。
川の流れは緩やかで、そのさらさらと鳴る優しい音は、うたた寝をさらに心地よくした。僕はベッドに沈むようにして、川と共に深い休息を取った。
目覚めると、フィリップの滞在しているゲストハウス、マットミーへ向かい、時間通りに現れた彼と合流して、そのままそこの食堂でランチをした。この辺のゲストハウスはほとんどがメコン川に面しているようで、その流れを眺めつつの食事は、料理こそ質素なものだが、その寛ぎは贅沢に思えた。ラグジュアリーなソファや、カトラリーはもちろん無いが、僕には充分に5つ星の時間と場所なのだった。

フィリップとのランチを終え、ゲストハウスへの帰り道に見つけた古本屋で、ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」を買った。日本語訳では既に読んでいたが、原書のペーパーバックを英語の教科書のつもりで読もうと考えた。

移動日の到着後はゆったり過ごすのがコンディショニングになる。僕は「オンザロード」を開いたり、枕にしながら、その日の午後をダラダラと過ごした。

夕食は1人で近所のシーフード、いや、リバーフード屋さんで食べた。川魚もエビも、タイの味付けが加わると、なんでも美味しかった。そしてメコンのリバーフードは安かった。新鮮な海老や川魚をフレッシュなハーブや香辛料を使ったローカルな味でいただく、などと書くと、なんだか立派な食事をしているように聞こえるが、素朴な店で素朴な地元の味を楽しんでいるに過ぎず、これらも僕に取ってはやはりファイブスターなのだった。

メコンゲストハウスのオーナーはサンという名の女性で、歳は35くらいで、割とがっしりしていた。どんな経緯でそうなったかは分からないが、その夜、僕は彼女に誘われて2人で近所のディスコへ出かけた。
メコン川の小さな町にしては、まあまあな感じで、結局1時まで僕たちは楽しんだ。ハノイで買ったビッグミニでサンさんを撮影すると、彼女も僕をビッグミニで撮り返してくれた。カメラマンは案外自分の写真を持っていないもので、この時の写真が残っているのは貴重でありがたい。面倒くさがらずに自分の写真を撮っておくことは大切だ。

このようにして、ラオスから再びタイへと戻ってきた初日は過ぎていった。濃い1日だった。


サンさん

翌朝は、サンさんがモーニングコーヒーを持って僕を起こしに来てくれた。その様子がとても自然で、奥さんのようだったので、思わず笑ってしまった。僕の笑いにつられてサンもケラケラと笑った。いい1日の始まり方だった。

朝食はスペイン人のおじさんと食べた。1人でぶらぶらしているヨーロッパからのおじさんを東南アジアではよく見かけた。現地のガールフレンド目当の人のいるが、ただ低い予算で熱帯雨林の街から街へという旅を楽しんでいる様子の彼は、僕自身の未来像のようにも映っていた。旅には年齢制限はない。

その日のノーン・カーイは、台風の影響でずっと雨だった。
僕には、この旅を旅行記に残したいという小さな夢があったので、一息つけるタイミングで近過去の経験を綴っていたのだが、その日はそのライティング日に充てた。
面白い事実はたっぷりあるけれど、それだけで面白い文章が書けるわけでもなく、投げ出してしまうのが常だった。そのうち書けるだろうと放棄するのがいつものパターンで、まさにその日もそうだった。

僕は初日に出迎えたくれたユリさんに、彼女の旅の経緯などを聞かされつつ、ライティングの合間にメコンを眺めた。
ユリさんはノーン・カーイは2回目で、最初に来た時に3歳年下の現ボーイフレンドとメコンゲストハウスで出会った。そして2回目の今回に、付き合うことになった。
「将来のことは分からないけれど、いつか結婚できたらいいなと考えている。だが、卒業まであと2年もあるし。」
ざっとそんなことを聴かされて、ふうんとなった。ユリさんは川向こうのラオスにはまだ行っていないと言う。「日帰りビザもあるから、いつでも行けると思うと却って後回しになっちゃって、」
とおそらく10回は同じことを言っているという感じで言うのだった。

そのボーイフレンドは、華奢なヘッドフォンでミニカセットプレイヤーから音楽を聴いている姿をよく見かけた。そこの従業員なのだが、働いている姿はあまり見なかった。おそらく厨房とか部屋掃除などが担当なのだろう。澄んだ眼をしていて、ハンサムな男の子だった。背はユリさんと同じくらい。並ぶと姉弟のようだった。僕は将来2人が結婚するとは思えなかったが、ゆったりと素敵な時間を共にするのは想像できた。そのそばにはきっといつでもメコンが流れている。


その夜、ユリさんとヒデくんとで火鍋を食べていると、同宿のユキヒデ君が加わって賑やかになった。そのユキヒデくんが明日の夕方発バンコク行きの寝台列車のチケットを買ってくれる人を探していると持ちかけてきた。ノーン・カーイが気に入って滞在を延ばしたいのだという。僕はよく考えもせずに、自分がその寝台列車のチケットを買うことにした。
ユキヒデくんがそうであるように、僕もノーン・カーイを気に入っていたが、それを言い出したらキリが無いとも知っていた。行く場所それぞれには、それぞれの魅力がある。確かにノーン・カーイは居心地の良さでは秀でていたが、僕には常にその先の光景への憧れがあった。

翌日もサンさんがモーニングコーヒーを持って部屋に現れた。
すでにその夕方に僕が出発することを知っていて、そんなに急ぐもんじゃないと笑顔で言ってくれた。また来るからと伝えると、嬉しそうだった。ゲストハウスの主人として、これまでも、これからも無数に繰り返されるやり取りの1つだとはお互い知っていても、その儀式は嬉しいものだ。

朝食をゆっくりとっていると、同宿のオーという35歳くらいのタイ人女性に捕まった。彼女はすでに朝から呑んでいて、ほろ酔いな感じだった。昨日に続き、その日も雨だった。あえて外出する気にもなれず、オーさんの雑談に付き合うことにした。
「あんた、魚みたいね。あっちこっち流れていって、どこかの女にちょっかいを出す」
「いや、そんなことないよ、普通に旅してるだけだよ」
「うそ、うそ、あなたは魚みたい。見ればわかる」
彼女は昔日本人のボーイフレンドがいたので、日本語を少し話す。2人称が、あんた、だった。
「なぜ、あんた、旅する?」
「奥さん探しだよ」
僕が適当にこたえると、
「ほら、やっぱり魚だ。あっちこっち流れていって、女、泣かす」
僕はそう言われてトランのことが頭を掠めた。そのまま何も返せずにいると、
「あんた、かわいいね、かっこいい違う、かわいいね」と言い、
「ウイスキー飲むか?」とテーブルの上のボトルを指差す。ラベルにはメコンと書かれてあるやつだ。
じゃあ少しだけ、と返事をすると、オーさんは慣れた手つきで僕の好みも聞かずに水割りを作ってくれた。
僕は、後にも先にも、魚だと言われたことは、この時のみだ。メコンのような泥の川に棲む魚は、どうやって恋の相手を探すのだろう。

僕が19時発の列車で去ると知ると、オーさんは「もったいない」を連呼した。その彼女も数日中にラオスの友人を訪ねて友情橋を渡る。


オーさん

オーさんは、喋り尽くしたのか、酔っ払ったのか、僕の前ですやすやと眠ってしまった。その寝顔をそっと数枚写真におさめた。

夕方になると雨もようやく上がり、僕はユリとボーイフレンドの2ショットを撮った。やはり姉弟のようだった。
それから間もなくして、ヒデくん、ユキノリくんも一緒に、駅に向かう僕を見送ってくれた。オーナーのサンさんの姿はなかった。

ノーン・カーイ駅は、町のサイズにしては立派だった。そこは、バンコクからの終着駅であり、そしてバンコクへの始発駅でもある。終わりは始まりなのだった。


ノーン・カーイ駅




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