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1995年のバックパッカー 

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1995年。写真家の藤代冥砂は突然仕事を辞め無職となって世界一周無期限の旅に出た。27歳。当時新進カメラマンとしてミスチルのCDジャケットを撮影するなど注目されていたが、約束され…
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2024年10月の記事一覧

1995年のバックパッカー28 タイ3 バンコクーパンガン島 あの頃の僕らは街と島を往復してた。

1995年のバックパッカー28 タイ3 バンコクーパンガン島 あの頃の僕らは街と島を往復してた。

僕はカオサンロードに戻った。

パタヤも悪くはなかったが、やはりバックパッカーにとってリゾート地はフィットできない場所だった。それがたとえ高級リゾート地ではないとしても。

パタヤからのバスは、バンコク市内に入ってから大渋滞に巻き込まれた。降りて歩こうかと何度も思ったが、炎天下でげっそりする自分を想像し、そのたびに考え直した。腹ばいになって前進するかのようにしてバスが到着したカオサンロードは、やは

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1995年のバックパッカー#27  タイ2 バンコク2 ムエタイとパッポンストリート、微熱と下痢。

1995年のバックパッカー#27 タイ2 バンコク2 ムエタイとパッポンストリート、微熱と下痢。

結局カオサンロードには2泊しただけで、翌日には別の安宿密集地であるマレーシアホテルエリアのケニーズに移った。カオサンの160ホテルの部屋と違って、その部屋には窓があった。それでも暑いことには変わりなかった。少しでも節約しようと冷房のない部屋を選んだからだ。今思えば、数100円の差をケチっていたのが不思議だが、ローカルの金銭感覚で暮らすことに慣れてくると、その差はやはり大きい。場合によっては家族が1

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1995年のバックパッカー #26  タイ1 バンコク1 カオサンロードのタトゥ屋とホテル88の女たち

1995年のバックパッカー #26 タイ1 バンコク1 カオサンロードのタトゥ屋とホテル88の女たち

ネパールのカトマンドゥからタイのバンコク、カオサンロードへ移動した翌日から、僕は意欲的に動き、歩いた。
日記には、マレーシアホテル周辺エリア、パッポンストリートを下見と記されている。ただの散歩ではなく、「下見」とあるからには、何か目的があったようだが、真意は今となっては分からない。

パッポンストリートは、言わばキャバクラを中心とした風俗街で、一つ隣の筋には、日本人の出張ビジネスマン御用達の歓楽街

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1995年のバックパッカー25 ネパール3 カトマンドゥ3 仏教、ヒンドゥー教、象の背中、そしてレモンチーズパイ。

1995年のバックパッカー25 ネパール3 カトマンドゥ3 仏教、ヒンドゥー教、象の背中、そしてレモンチーズパイ。

カトマンドゥに来て2度目の土曜日が訪れた。ネパールでは土曜日は休日だ。これは彼らが昔から使っているビクラム暦に従って暮らしているからだ。誕生日もビクラム暦で覚えているので、西暦に換算するのがネパール人にはややこしいらしい。

土曜日は、観光施設や銀行なども閉まってしまうので、旅行者もそのへんでぶらぶらして過ごすことになる。雨季だというのに、その日も晴天だった。

ヒマラヤキッチンで朝食をしていると

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