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ドイツの歴史と偏見と見過ごされた無関心

人生で初めて、熱中して読破した本がある。その時私は、小学生だった。4年生くらい、だったのかな。学校がつまらなくて、なんとなくみんなとも距離を置いていた時期だったような気がする。

本を借りたきっかけ、手に取ったきっかけは、全く覚えていない。多分、感覚。なんとなくだった。そのころは、何も知らなかった。世界の国々の名前も、国旗も、もちろん歴史も。

ドイツっていう概念が頭の中に入っていたとは、思えない。でも自分とほぼ同い年くらいだった女の子の厳しい生活に、女の子が感じたであろう束の間の幸せに、のめり込んでしまった。

私はこの本を読むまで、本を読むことに全く興味がなかったし、子供相手に書いたような本はどれも白々しくて、感情移入できなかった。お化けの話は除いて。

親に、変に思想の入り込んだ本ばかり、すすめられていたから。そりゃ、読まんわ。だって、嫌じゃない。私は、あなたたちのコピーじゃない。「これは読まなきゃあかん」とか、大きなお世話だわ。そうやって、どんどん同世代の人たちと話が合わなくて、孤独になるってことを、わかっちゃいない。正直、未だにそう思う。

そういう意味では、私が初めて自分で選んで、読んだ本だった。だから熱中した。我を忘れて、読んだ。狙っちゃいないけど、その13年後に、気づくことになる。ー「あぁそういえば、初めて読んだ本はドイツに関する本だったなぁ〜」って。10歳の頃は、まさか私がドイツに住んで、ドイツ語の上級試験を受けることになるなんて、想像だにしなかった。なのに、なんだか、因縁というか、引き寄せられている感じがしてしまう。

ドイツの歴史について語る。世界で切り取られすぎている悲しい歴史について。いくら重大な出来事だからって、いくらこれ以上のホロコーストに前例がないからって、いつまで人は、ナチズムの時代を責めるわけ?っていうのが、私の個人的印象。映画だってそう。WW2ばかり、ナチズムばかり、強制収容所(Konzentrationslager)ばかり、アウシュヴィッツ、ザクセンハウゼンなどなど。もちろん、どうしようもないくらい、ひどいさ。比類ない、前例がない。でもさ、他の歴史的事象がかすむくらい、強調してない?ドイツ=ナチズムなわけ?違うよね。ドイツはそれだけじゃ語り尽くせないよ。

ナチズムの次は、ベルリンの壁。東西分断。東ドイツの抑圧について。抑圧されていたのは、東ドイツだけじゃない。チェコは、スロヴァキアは、ポーランドは、セルビアは、クロアチアは、ブルガリアは、ルーマニアは、そしてロシアは?ナチズムがなくなったって、自由はすぐになくなった。

あまり、日本では表沙汰にされない、ナチズムの犠牲者オーストリアも。確かに簡単には語り尽くせないくらい、多面的な事象だったよ。人の深層心理みたいな問題もあるし、だからこそ、人はあれこれ、この重大な人間の罪みたいなことをテーマに、色々論じたいわけさ。それを踏まえて、今日の社会を、考えたいわけさ。

私は大学時代、ヨーロッパの比較政治ばかり学んでいたけど、このテーマはずっと避けてきた。定番だし、多くの人が取り組んでいる、そこから新しい情報を、切り口を、見つけたところでどうする、って感じ。だったら、せめてワイマールとか、そういうテーマを掘り下げた方が面白いんじゃない。ていうか、そもそもドイツじゃなくてよくない?とさえ思っていた。それに、WW1だって、悲惨だった。だから、ナチズムだけじゃないの、決して。

そういうわけでずっと避けてたから、ものすごく久しぶりに、ナチズムというテーマの本を、このたび読むこととなった。ドイツから帰国したばかりの2018年夏に、この映画を見てから、約2年。映画版は正直、眠かった。あんまり、温度感が伝わってこなかった。それに、今こんな激動期にぶつかっていなくて、普通に生活を送っていたら、たぶん読むこともなかった。読むことはしんどそうで、覚悟が必要な気がしていたから。

でも、最近の私の心境はすこし違っていた。この本を読む前に、「重い」とか「しんどい」とか感じることなく、真っ先に入り込めた。自由が極端に抑圧された、ある意味自由な今だからかな。だって、戦争中は、映画とかバーとかそういう社交場や娯楽を楽しむことが全くできなかったし。状況が重なるようだ。

それで、この週末、『ゲッベルスと私』をずっと読んでいた。ドイツ語題が、Ein Deutsches Lebenだから、直訳すると、ドイツ人の一生涯、人生の一つの形って感じ。それは典型的って意味を、含んでいるのか、含んでいないのか、劣化したドイツ語レベルの私には、判然としないけど。

読み終えた頃、まるで今まさに戦争が終わったかのように、自分のことじゃないのに、自分としてでもなくて、泣いてしまったの。彼女として、彼女の人生として、涙が出てきたとしか、思えないんだよなぁ。

しんどい、っていう感想は持たない。学生時代にお友達に家で勉強を教えて、その時に出てくるお茶菓子が美味しくて、一緒にピアノを弾いて歌って。社会人になったばかりの新鮮な気持ち。通勤時の楽しみ。給料でちょっとした素敵な物を買うことのできる小さな幸せ。タバコばっかりにお金を使っちゃう貧乏な少女に毎回ビールを奢ってあげた思い出。その子を助けてあげられなかった後悔。それでもどうにもできなかったと振り返る無力さ。明らかにおかしいとも思わないくらい自然な工作。優しくて優秀な上司。一生ものの職場の人間関係。何も知らされない秘密主義。仕事がないと、食べていけないと思う心。仕事が楽しいがゆえに出世したいという純粋な欲求。

ただ切実に生きてきただけなのに、気づけば犯罪に加担したことになっている。

これを他人事だなんて私が言って片付けたら、私はとんでもなく感情のないひどい人間。だって、「そんなの他人事だ」と思う無関心こそが、多くの人の命を奪ったんだから。誰だって、自分が一番大事で、自分のことばかり考えたがるし、それが悪いわけではないんだけど。だいたいにおいて、そうするしかなかったりするんだけど。そんなこと言って、いつまでも繰り返すんだわ。ずっと警告されていたのに。そんなこと言ったら(発言したら)、危険だって思うことも大事だと思う。「白バラ」*になるなんて、つらすぎるから。でもなんで、発言しただけで命を奪われなくちゃならないのかしらね。それは何のため?そこまでして、自分が攻撃されるのが怖い、人間って弱いから。弱いから、人を攻撃するんじゃなくて、共感できるんだと思うんだけど、その時はそれだけの余裕がなかったみたい。明日食べるものがなければ、考えることなんてできないから。

どうしようもないこと。ーでも知らないのは、やはり無関心という罪を2度犯すことになる。

しかし、私が涙するにはもうひとつ。彼女みたいな人が、現在もたくさんいるんだってこと。私も同じ。出世、なんて大げさなこと言わなくともさ、豊かになりたい気持ちは誰にだってある。認められたい気持ちも。その結果、何か大きなものを見落として、後戻りできなくなって、なのに、抹消する、とか。「ただ指示された事をやってただけ」とか、言うのかな。

だから、私の話を聞いて。他者の話に、耳を傾けて。対話して、立ち止まって欲しいんだけどな。そんな言葉が、あなたのところまでは届かないんだわ。それが、悲しくて、悲しくて、やり切れない現実だった。

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