あの日、コペンハーゲンの街角で
一生忘れられない日というのは誰にでもあるものだ。
デンマーク在住時に、あるプロジェクトで村上春樹氏の事務所に作品の使用許可をもらおうと四苦八苦していたことがある。
どうしたら許可をいただけるだろうかと首をひねりながら、いつものようにコペンハーゲンの街角のカフェで仕事でもしようと足を運ぶ。ストロイエの入り口近く、2本に分かれる道の間にある、サンドイッチがお気に入りの行きつけのカフェのひとつだ。
すっかり慣れ親しんだドアを引くと、入り口から少し入ったところの席に、佇まいに重厚感がある、凛とした日本人のおじさまが座っていた。
日本人がいるのは珍しい。しかもこんな空気を纏っている人はそうそういるものではない。
「最近どこかで見かけたような・・・あっ!」
その頃のデンマークは、ある話題でとても盛り上がっていた。デンマーク出身の偉大な作家でアンデルセンを讃えるアンデルセン文学賞を村上春樹氏が受賞したことだ。それを祝うようにデンマークでも人気が高い村上春樹の作品の朗読会やら書籍の特設コーナーやら、コペンハーゲンはにわかに村上春樹ブームとなり、街のそこかしこでポスターを見かけるようになっていた。
そして何より、まさに今毎日顔を突きつけて向き合っている自分たちのプロジェクトの企画書にある顔を見間違うわけがない。
そう。そこにいたのは、なんと村上春樹その人だった。
コペンハーゲンの街角のいつものカフェに、村上春樹氏が座っていたのだ。
一瞬まさか、と数秒立ち止まり、確信に変わった瞬間に開きかけたドアを一度閉じた。ドアから手も離せぬまま、私は茫然自失としていた。ドアを真正面に捉えながら息を整える。頭はまだ混乱状態。手はがたがた震え、背中にはじわりと汗が滲んだ。あまりの出来事に、私は今にもその場から逃げ出しそうだった。あの村上春樹氏が、今目の前にいるのだから。
「いや、待て。どう考えても今ここで村上春樹氏に声をかけなかったら私は一生後悔する」
私を引き止めた理由はシンプルだった。一生に一度のチャンス。日本でだったら遠慮してしまっていたかもしれないけれど、ここはコペンハーゲン。しかも今自分には、どうしても話しかけたい理由がある。プロジェクトの命運がかかっていたからだ。
手汗が吹き出し、腕も足も震えながら、おずおずと近づき、小さく声をかけた。
「突然すみません。村上春樹さんでしょうか。」
男性がゆったりと顔を上げる。
「・・はい。」
背中がひやりとした。本物だ。私は今、あの村上春樹に話しかけている。
「大変失礼を承知で、どうしてもお話ししたいことがあるんです。5分だけ、私にお時間をいただけないでしょうか。」
「・・どうぞ。」
いったいこの世の誰が、コペンハーゲンの街角のカフェで、私なんぞが村上春樹氏とテーブルを共にする瞬間が来るなどと想像しただろうか。
私は静かに椅子を引き、畏れ多くて申し訳ない気持ちになりながら椅子に座った。そしておもむろに鞄から企画書を取り出し、今まさに村上春樹氏の事務所と作品の使用許可をいただけないかのやりとりをさせていただいていると。なぜそれをやりたいのか、なぜ村上春樹氏の作品でなければいけないのかとその場で静かに熱く語り倒した。
「その件ですね、聞いています」
嫌な顔をすることなく、村上春樹氏は私たちの企画について、自分の作品の取り扱いについてお話をしてくださった。どうにか、と食い下がる私に、また追加の資料を送ってください。ちゃんと私が確認をしますから、と言い、私の名刺も受け取ってくれた。
5分はとうに過ぎていた。言うべきことは全てご本人に伝えることができた。これ以上彼の時間を邪魔してはいけないと思い、心からのお礼と、お時間を邪魔してしまったことへのお詫びを伝え、深くお辞儀をして席をたった。
彼のいる1階から、2階の奥に席をうつし、いそいで携帯からプロジェクトメンバーにメッセージを送った。メンバーはそれはもう大興奮のお祭り状態だった。きっとその時の私の心臓は、服の上からでも見えるほどに跳ねていたと思う。「全身が心臓になったみたいとはこういうことか」と思ったことを、今でもよく覚えている。
結果はというと、作品の使用許可は降りなかった。
正確に言うと、別の作品にて制約つきで許可は降りたのだが、企画とマッチせず断念せざるを得なかった。事務所の方からのメールには、しっかりと本人が確認した上での判断であると明記されていた。あの幸運ですら結果を変えることはできなかった。単純に私たちの力量不足だった。
私には、幸運を奇跡に変える力がなかった。
でもそれでも、私はあのときに村上春樹氏に遭遇できたこと、そして声をかけられたことを一生忘れることはないだろうと思う。
あの日以来、私は自分のことを間違いなく「強運」だと言えるし、何かの挑戦で緊張したとしても、あの日に村上春樹氏に声をかけ、5分以上テーブルを共にできたんだからどんなことだってできるだろう、と思えるようになった。
勇気を出して、千載一遇のチャンスを絶対に逃さないこと。
それでもし結果が伴わなくたって、「自分はここぞと言うときに勇気を出して行動できた」というただそれだけで、その後一生自分で自分を信じてあげることができるようになるんだから安いもんだ。
「結果が伴わないと自信なんて持てるようにならないでしょ?」と思うかも知れない。
でも、結果を伴うことができなかった私が言うんだから間違いない。
「勇気を出して行動した」
それだけでいい。
それだけで一生自分を信じることができるようになるから。騙されたと思って、試してみて欲しい。
いまだに、このときにいただいたサインは私の一生のお守りです。
いつかまた、奇跡的にお会いできる日が来たならば、村上春樹氏には改めて心からのお礼を伝えたいです。
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