私が経験した「友やめ」のまとめ
友人がたくさんできて、そして去っていった20代
私の20代は短期間に独立・就職・結婚・退職・出産・海外赴任帯同と人生の転機になるようなライフイベントが詰まった落ち着かない10年間だった。
『女は結婚妊娠出産で交友関係が変わる』に加えて駐妻関連の友やめ・友やめられが頻発した10年だったとも思う。
結婚するまでは自分でも友達が多い方だと思っていた。誰とでもすぐに打ち解けるし、いつも様々な友人と過ごしていた。
それが婚約以降ガンガン減っていった。
「僻まれている」と被害妄想することもあったけれど、被害妄想でもしないと精神が保てなかった。そのくせ「羨ましがられる自分はスゴイ!!」というほどのポジティブ思考にもなれず、失った交遊関係を思い返してはストレスを抱え込んでいた。
この生産性のない感受性も、原因となった人間関係を作った自分にも自己嫌悪してばかりだった。
マンガの脇役の台詞で立ち直る
20代後半、愛読していた『鬼灯の冷徹』という漫画がある。
何巻かは忘れたが、「カマー」というキャラクターがいて『「何であの子が」という言葉はそもそも相手を下に見てないと出てこない』と話すシーンを読んだ時、「そうか。見下されてたのか。彼らは『下』だと思ってた私に『結婚やら海外引越やらで出し抜かれたと思われたのか」と腑に落ちた。
もう言われてしまったのは悔しいがしょうがない、自分がこれ以上言う側にならないようにするしかない、とも思った。
以降、友やめされたことについてそれほど気に病まなくなった。
余裕のない30代
そして本帰国して三十路になった。今、20代の自分を振り返ると、「誰にでも適当に優しくしてたから、誰からも優しくされないような奴も周りにいたのだ」と思う。しかもそんな自分に酔っていた。しょうもない大2病か社会人2年生病か何かに罹患していたのかもしれない。
ある意味適当に人間関係こなしてたツケがきたのだ。確かに縁を切られた当時はショックだったが、今思えば、むしろあちらから切ってもらってわかりやすくて楽だったと感じている。
帰国後しばらく経つが、現在本当に余裕がない。厳密には自分から去っていった💩…じゃなかった、元友人のことまで考える脳のスペースがない。
やられたことは忘れないが、例えば彼らが今どうしているかなんて、ここを書くまで思いつきもしなかった。
ブログにも書いたことがあるが、海外生活に精一杯の数年間の分考えていなかった日本での生活がどっと来ている。
子供たちが成長するにつれ、教育について考えることも増えるし、手がかからなくなった分再就職を考えるようになった。嫌いな人間のことを考えているより、子供や自分の将来に備えて準備している方が楽しいし実用的である。
そう、子供の存在も大きい。子供が自我を持ち会話をするようになると、元友人たちのような人間は子供に会わせたくないな、友やめされておいて良かったという発想が湧いてきた。教育に悪そうな人は去り、気づけば子供も対等に扱ってくれる友人だけ残ってくれていてありがたい。
感情の行き場
では、もう元友人たちのことを恨んだりしていないのかというと、全くそんなことはない。
やらかされた当時「見てろよ!いつか何かでお前らの奇行蛮行をおもしろおかしく吹聴してやるから!!」という復讐心で耐え忍んでいた。それが駐妻関連のことを書く原動力になっている。
結婚から始まり、駐在妻生活で遭遇した変な人嫌な人について書いたものが「こんな人いたんだwヤバいwww」と、知らない誰かに笑ってもらったり共感してもらうことで気が晴れる。笑いに変換していかないとやってられない。
許せないことは許さなくて良いと思うし許さない。