駐妻終わってみて思うこと
ふりかえって思うと改めて
夫の仕事に帯同して海外に行っていた数年間は
私にとって良い意味でも悪い意味でも「夢」のような期間でした。
駐妻って無駄なのかな
駐妻の悪いうわさや陰口を読んでは
「なんて自分(駐妻)はごくつぶしなんだろう」
「夫にばかり働かせてお金を稼がなくていいのかな」
と自己嫌悪してた時期もありましたが、
仕事で米国から出られない夫を置いて長めの一時帰国している間、彼が心身共にボロボロになってからは、
駐妻とか帯同家族って
そんなに無駄な存在じゃないんじゃないかな
と思うようになりました。
とりあえず我が家の場合は、
あの時期にどこでもいいから家族全員で揃って暮らすことに価値があったと思います。
自分自身の振り返り
私自身はもともと自然や動植物が好きで、
アメリカのそれらと日本のものの違いを見つけるだけで、
SNSやネットのサービスが今ほど発達していなかった時代でも、
それが気晴らしできる趣味になっていました。
どこでも一人で楽しめる趣味があったのは、ある意味海外暮らし向きだったのではないかと。
人間関係をうまくやれなくても
庭に来る巨大リスを見たら元気が出るし、
日本の日焼け止めじゃ太刀打ちできない強い日差しを感じてる間は悩みを忘れていましたね。
多分、微妙に暇だったから
深刻に悩んでいるふりをしていただけで
本当はそんなに悩んでいなかったのかも。
わりと異文化と外国語の中での初めての育児と家事全般で
毎日忙しく、充実していたといえば充実していたのかもしれません。
砂漠とか氷河とか、日本からではなかなか見られないようなものを見たのは
良い「夢」だったなと思います。
キャリア的には
結局は働きも勉強もせずにただ行って帰ってきましたが
私なりに楽しんでました。
あとは妊活(2人目)。
帯同したからって必ずしも実るわけではない事象ですが、帯同しなかったら限りなく成功率は低かったと思います。
実は、親が2人目不妊で大変な思いをしているのを見て育ったので、兄弟の年の差や別居によるタイムロスを常に気にしていました。
そういう感じなので、やはり自分は帯同して良かったんだろうな…というのが本帰国してしばらく経っての感想です。
ちなみに、悪い方の「夢」は普段「供養」とか「お焚き上げ」とか言いながら書き散らかしている他の記事を見ていただければだいたいがつかめるかと思います。
※ブログの記事を再編集・加筆したものを投稿しています。