「チェイサー」となった時に気づいたもの
わたし達も停滞期(サイレント期間)
らしきものがあった
それは違うわ〜って言われそうなくらい
ほんの短い期間だったから
そうは言わないかもしれない
それでもあの時の「絶望」は
これまで生きていて
感じたことのないものだ
付き合い始めのラブラブ期を
少し過ぎたかなという頃
物理的には離れてなかったけれど
心が離れたと思った
「地雷を踏んだのかな…」
「嫌われたのかな…」
「もう終わりなのかな…」と思った
涙が溢れ、眠れないほど苦しかった
好きになりすぎて
「彼が何よりも第一優先」
「なのに彼はそうではないかもしれない」
と一方的にエゴをぶつけていたのだ
それこそが見返りを求めた依存だ
彼の気持ちを汲み取れず
理解できないままで
間違っていることに気づかずにいた
そして必死に動いて空回りする
彼を愛するのは
同じだけ自分が愛して欲しいからで
彼を想い必要とする気持ちが
「愛」ではなく「依存」になると
自分の気持ちばかりを満たそうとして
相手に見返りを求めてしまうそうだ
完全にそれだ
依存で追いかけ過ぎれば気持ちは離れる
「絶望」を感じたあとそれまでの
考え方などが良い意味で「崩壊」し
新しい自分に生まれ変わろうとしたとき
元に戻るそうだ
わたしのこの切り替え期間は
本当に短かいものだった
自分の良くなかった部分を見直した
わたしが行ったことは
「一人の時間を大切にする」
まさにこれに尽きる
離れている時間に彼のことばかりを
考え続けるのをやめた
考え続けると負の感情も生まれる
むしろ気づかないうちに負になりやすくなる
好きな気持ちや大きさが変わったのではなく
敢えて考えないように何かに集中する時間を
強制的に作った
平日は仕事をしているからいいが
休日は時間があるので陥りやすい
わたしの場合はゲームと漫画
漫画は集中力が切れやすかったが
ゲームに集中している間は考えないから
そこに費やす時間を増やした
(今は文章を書くこともそれだ)
自然とそれが当たり前になり定着
それで依存を手放した
気持ちもポジティブになり
おのずと自分を愛することもできる
本物の愛とは
見返りを求めない「無償の愛」とはいうが
人は必ず見返りを求めたくなるものだ
戒めとしていつも思うことは
自分の愛の大きさと
彼の愛の大きさを比較してはいけない
形も見えないし大きさなんて
誰にもわからないのだから
もしかしたら見えないだけで
彼の愛は宇宙並に大きいかもしれないもの
愛情を信頼して疑わないこと
与えてくれた愛は裏読みなどせずに
素直に受け取り
自分は遠慮せずにできる限りの愛を伝える
追いかけ過ぎれば相手は逃げたくなる
時には手を広げて待っていることも
愛情のひとつなのだと
*この時はツインレイのサイレント期間の
コラムなどは一度も読んだこともなくて
何の知識もない時に急に訪れた絶望と
自然に自分で見出した解決策
…らしい、…だそうだ、というのは
最近読んだ後付けの知識