普通になんてなれなかった

みなさんおげんきですか。
内容としてはずっと暗い内容です。読んでいて楽しいものではないと思います。自分語り。

(追記:不登校学生の支援関係からのいいねは不要です。私のような人を作らないためにnoteを開いてこれを読む必要はありません。もっと行動してください。)


私は感覚麻痺した人生を送っているせいで、多少の悪口とかそういった行動については何がからかいで何がいじめかわからなくなりました。吐きそうです。仕事場でされたことを相談したらそれパワハラだよ、いじめだよと言われてびっくりしてしまった。多少の悪口は言い返せばどうにかなる、押し込めればどうにかなると思っています。そうしないと、やってこれない人生だったから。


私の吐きそうは割とまじで吐きそうで、毎朝何度せり上げてくるものを飲み込んでいるかわかりません。朝食後の薬を配っているあのご飯の匂いと歯磨きの匂いが混ざった空間では患者さんがのんびりしているのを良いことに薬を飲んでいるのをみながら、のんびり雑談しながら頭を無理やり働かせながら、丸椅子に座ってなんとか体調を整えています。全く良くならない。悪化の一途を辿る。どこで取り返したら、どこでやり直したらこんなに周りを気にして生きない人生を送れたのだろうか。そう考えるとなかなか辛いものがあります。

小学校四年生の時、同じ班になった男子二人に突然気持ち悪いと言われてから始まった人生、いやもう少し前か?二年生の時にもあったな。まあでも本格化したのは五年生です。忘れもしない女の存在。今の私なら蹴るわ殴るわを出来るぐらいだし、今でも本当に社会的に殺せる方法があるなら殺したいと思っているぐらいには。生き地獄を味わってほしいな、私の人生を狂わせた報いを受けてほしいなと思うぐらいには、本当にずっと恨んでいます。
あのクラスには私の友人と呼べる人はいたはずなのに、女のせいで気まずそうにしていたのも覚えています。

小中一貫校に通っていた私は、ほぼ全員と縁を切るために将来を全て捨てるまで。受験を、諦めることになる中学校三年生まで私へのいじめは続きました。

中学校に至ってはもっとぼろぼろで、どうして割と休まず学校に行けたのかすら覚えていません。辛うじて五年生の時には気まずかった、喧嘩を繰り返していた友人とも六年生の時には普通に話せるようになり、部活にはなんとか友達がいたり、したり。
全く私と話したことない下級生、先輩にも私の噂は広がり、触れられるのが嫌だからと避けられる。混んでいた階段ですら私が嫌だから避けていて通り道ができるレベルです。モーセの海割りを想像していただければ、かなりそれに近いものがあります。友人たちを呼び寄せて「はよ帰るで!ほら!」と通った私は今振り返っても頭がおかしいですね。

それしかなかっただけなんですけど。


幼稚園が同じで、中学で再会した友人に「めいかってメンタル強いよな、あそこまでやられてよう毎日学校来てるわ。私やったらこられへん。」と言われたのが今でも耳にこびりついて離れません。


先生に言わなかったのかって?言いましたよ。五年生の二学期も終わり、12月ごろに泣きながらお母さんに打ち明けた瞬間。私の家は姉もいじめられていたのでお母さんは容赦なく先生に言い、学級会が開かれました。
一瞬みんなが優しくなって、それで終わりでした。

中学の時にも言いました。二度担任された、部活の顧問に。「誰に言われてるんだ。」と言われた瞬間に絶望して、何も言えなかったことを覚えています。
誰に、ではなかった。私に対して、まともな扱いをしてくれる男子の方が少なかったレベルでした。
私は男子から嫌われるタイプの女で、避けてきたのもほとんどは男子でした。サッカー部で悪い意味での噂になったりしていたそうです。女の子は世渡り上手、みたいなのがうまかったので上手くやっていたり。もしくは苦笑いしてくる人。あとは気にせず喋ってくれる人の3パターンでした。

何も見てないんだな。と絶望したのを覚えています。「誰にとかじゃないです。」とか泣きながら言ったのに対し、「誰かわからないと話せないだろう。」と言われたのを覚えています。
そもそも私に対してあまりよく思っていなかったんでしょうね。結局何もしてくれず終わりました。

二年生の頃から私をちゃんと私として見てくれるインターネットの世界にハマったのもあるし、もちろんそもそもそこまで無理していじめられ続ける人生を送る必要はない。その時点で看護師になると決めていたので、推薦が取れる学校へランクを落として進学しました。


それでもダメでした。一度他人との関わり方を失敗した私が、他人とうまく関われるわけない。高校二年生の時、私は半分ほど不登校になりました。
高校をやめよう、やめたって高卒認定とって看護師になればいい。通っていた塾の先生にも、やめたって看護師になる道はあるよ、手伝うよ。と言われました。
突然折れてしまったので、朝起きれなくなりました。起きているけど行きたくなくてベッドでわざと二度寝したり、一限から行けた日の方が少なかった。3限、4限からなんとか学校に行ったりを繰り返していました。
結局辞めなかった理由は以前のnoteにも書いているので、ここでは割愛します。


小中高と、上手く行っている姉との比較が苦しかった。他人との関わり方がわからない私は、親との関わり方もよくわからなかった。何度殴られ、蹴られ、「被害妄想激しい。」と言われたか覚えていない。
どうすればよかったんだろうか。スルーすればいい、なんていうけれど。そんなのできるわけないじゃないか。スルーをして自分の心をすり減らすなら、向き合って自分の心を削った方がまだ私はマシだった。

中学校の同窓会に行こうと友人に誘われましたが「ヒールで全員の顔面に傷をつけて回ってもいいなら出席する。」と言い返して出席しませんでした。看護師の欠格事由には、罰金以上の刑に処されたものとあります。人生を返してくれるのなら、私は今の人生を捨てたって構いません。

専門も上手くいかなかったけれど、わざわざ誰かと仲良くしないといけない環境ではなかったのと同じ寮に友人がいたこと、一人暮らしを始めて親の干渉が減ったこと、バイト先に恵まれていたので乗り越えました。


よく友人に「小さい時の夢をちゃんと叶えた伊織はかっこいいと思うよ。」と言われるのですが、全くそう思いません。そうするしかなかっただけです。
なんとか、看護師になるぞという目標だけを抱えて生きてきただけです。
そもそも別になりたいものがなかった、なんとなく勧められたものをそのまま夢と言ってみたら褒めてもらえたからそのまま続けた。

やりたいことなんて、何もなかった。努力をしたくないし、努力したいほど熱中できることなんて何もなかった。選択肢を増やすことすら、学生の私には許されなかった。
ランクを落とした高校に入った私には、有名大学なんて許されていませんでした。遅刻欠席の合計が一年で100を超えた私が、指定校推薦を取れたのはただの隠蔽でしかありません。

今でも友人以外の人間との、正しい関わり方がわかりません。友人との関わり方もわからなく時が多いです。どうにかどうにか生きてこられるように頑張った結果、自分の正しい思考回路もわからなくなりました。

死ねないので、生きるしかないです。
他人との関わり方がわからない私が、看護師をやっているのはかなり頭がおかしいとは思います。病むのも当たり前だと。

それでも、いつか、いつか報われるとずっと夢を見ています。人と上手くやっていくことのできる自分がいると。人の役に立てて、愛される自分がいると。ずっと、絶望しながら期待しながら生きています。

この仕事をやっていると、"してもらって当たり前"という考えになる高齢者の方もいれば"わざわざごめんね。"となる高齢者の方もいるなと思います。その人本来の性格がモロに出ると思います。
なんとかなんとか自分を生かしてきた私は、どういった最期を迎えるのでしょうか。


そこに辿り着くまでに、死ぬことができたらいいのにな。と願うばかりです。

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