見出し画像

なんとなく万年筆を使っている人

音楽のことばっか書くのにも飽きてきたから、身の回り品について書く。

万年筆をかれこれ7年近く使っているが、周りはボールペンやシャープペンシルばかりである。当たり前ながら今のご時世に万年筆など、理由がなければ選ぶはずがない代物である。
そこで万年筆を選ぶ理由について考えてみた。


実用性

そんなものあるわけがないだろう。
何しろ外でインクが切れたらおしまいだ。コンビニにカートリッジが売られているか? 私は見たことがないぞ。
実用性を重視する方は万年筆なんて感心を抱かずに、コンビニとか無印で変えるホントに実用的なペンを使った方がいい。

おしゃれ

これはあると思う。
万年筆がいかにおしゃれなものかを、私の自慢の逸品で証明してみせよう。

プラチナ万年筆 センチュリー3776

ステンドグラスのような美しさだと思わないか。
仏壇と呼ばれるTHE万年筆も渋みある良いものだが、私はセンチュリー3776のこの色に一目ぼれをして買った。
表面は経年劣化で傷だらけ、キャップは微妙に欠けているところもあるが、それもまた味というヤツである。

手帳と合わせたら、なんかおしゃれ

正直な話万年筆を持てばおしゃれになれるのではなく、ダサい人が持てばダサいだけ。面倒そうな人が持てば余計に面倒そうに見える。
この手の道具は、どうしても持ち手の良い面も悪い面も強く引き出してしまうので注意が必要である。
でもおしゃれな万年筆はとても多いし、最近はお求めやすい価格帯でポップなのも多いから興味を持ったらぜひ手に取ってほしい。

文豪気取り

一番痛いやつ。
かくいう私も、きっかけはコレだった。
ありがたいことに劇団に拾っていただき、今日まで作家というポジションで居られている。全然食えないので別の仕事をしているが。
7年くらい前に、「まあ作家やってんだし万年筆の一本くらい持っててもいいか」という軽い気持ちでルクアイーレの蔦屋書店(大阪駅)で上記のセンチュリー3776を購入した。
当時13000円くらいだったが、正直使い続けるか自信はなかった。ただ文豪気取りたかっただけなのだが、こんなに使い続けるとは正直驚いている。
理由は痛いが、結局使い続けたやつが絶対なのだ。

エコ

ボールペンはプラスチックを消費するので環境によくないから万年筆を使うって人がいるかもしれない。
そのような人はきっとカートリッジなど使わず、コンバータか吸入式を使っているに違いない。
けど、本当にエコなのはタブレットなど電子機器をノートにすることではないのか?
電子機器を作るときはエコではないだろうが、それで言えばインク生産も万年筆生産も、何らかのNOTエコな過程があるのではと疑問に思う。
まあ、最もエコなのは己の血液をインクに指で文字や絵を描くことだろうが、それはまた極端な話になるので広げないでおこう。

モノを持つ楽しさ

私含めて日本の大人たちは、よほどのことがない限りモノを書くことに困ることがない。家のどこかには必ずボールペンやシャープペンシルが転がっているだろうし、都市部の人々は大体近所にコンビニがあるので手軽に買いに行ける。
最悪はスマホやガラケー、パソコンでメモをとることも可能だ。
200円程度のボールペンなら、インクが切れるとすぐに捨てる。多少のこだわりはあっても、所有している感覚はないに等しいだろう。所有している感覚は金額と比例する。
そこでモノを持つ楽しさである。

ただモノを持つだけで何が楽しいのか。こればかりは一生理解できない方もきっといるだろう。その方を可哀想とは思わないが、私は理解できる側でよかったと感じている。
何せ自分が選んだものを、長く使い続けるというのはとても気持ちいものである。自分の手元からなくなった時のことが想像できず、只私と同じ時間を過ごす存在。
経年による味を感じるのも楽しいし、それによって世界に一つだけのものとも感じられる。
特に万年筆は、長く使うにつれペン先が自分のためのものに変わっていく。実感する機会はほぼないが、知らぬうちに変貌していくのは何とも奥ゆかしいではないか。

万年筆について有識者のように語ることは私にはできないので、細かいマニアな内容は誰かの記事を見ていただきたい。もしくは、各出版社のムック本で定期的に万年筆専門誌が出るのでそちらを参照されたし。

とにかくいいよ、万年筆。興味を持った方は、安価なやつからでもいいから手に取ってみるべきよ。最高だよ。
思ってたものと違っていた場合は、それはそれでいい勉強になるし。
一番悲しいのは、「私、万年筆を使ってみたかったんだよね」って思いながら死ぬことだと思うし。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集