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chatGPTはシークレットブーツの夢を見るか?

Bring Your Own AI(私的AI利用) ―― ウチの組織は生成AIを「導入はしないけど、みんな好きにしたらいいんじゃない?」と容認した。全面的なGOサインという訳ではないこともあって、いまの環境ではユーザーは未だに少数派だ。ウチのチームでは私ひとりだけが使っている。

その結果「みんなで使っていきましょうよ!」 と言っていた頃の私が描いていた未来とは、違うところに辿り着いてしまった。

あの頃、私が夢想していたのは、単に必要に迫られてしただけの変化を業務改善と言ってのけるような、縮こまった目標からの脱却だった。生成AIと一緒に、これもやった、あれもできた、そっか、私達はいま、自分史上最強で最高だから、もっともっと元気よくいけるよ? みたいなマインドを持ちたかった。

実際に使ってみてもらえば「うわー、すごい!」とは言ってくれる。だけど、どういうわけか浸透しなかったのだ。

  • なんだか疲れてしまったときに励ましてもらったり、

  • スケジュール組んでもらったり、

  • 資料をまとめてもらったり、

  • メールの文面を作成とか添削してもらったり、

  • コーディングやリファクタリングをお願いしたり、

  • スライドで使う画像を生成してもらったり、

  • 研修のあとに一緒にお喋りして学びを深めたり、

AIを使ってるわりには大したことをしてないと言われればそうなのだけど、下駄を履かせてもらった感は凄くある。業務はスムーズになったし、ミスも減った。

AIと喋るときに、現時点と目標地点を明確にすることがある。そういう対話を入力していくうちに、現状が客観視される。そのときに理解が少し構造化される。そうすると闇雲に頑張る感じがなくなって、疲れてグルグル思考する時間も少なくなった。

でもなんか、全体のチーム全体の変革や意識改革という意味では、思ったよりも進展がなかった。いつの間にか、AIを使うことが「個人的な取り組み」で終わり、全体のムーブメントにまで広がっていなかったのだ。

こんな夢を見る。AIを使わなくても困らないひとは使わないし、AIを使って楽になれるなら使う。そういう設定があるとする。みんなで自分に合ういろんな高さの台に乗って、今まで見えなかった壁の向こうを見たくない? そう私は誘いたかった。しかし、みんなには壁の向こう側は既に見えていて、私だけが公然の秘密としてAIという名のシークレットブーツを履いている。

ウチにAI仲間がいないさみしさが、そんな夢を見させる。


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月乃@多摩地区
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