見出し画像

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言われても、もう問題ない

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というのは夏目漱石の『こころ』に出てくる先生がKに言った言葉だ。若い頃というのは向上心を持つのが期待されそうだから、そう言われたらダメージを受けないまでも、少なくとも反論しがたい雰囲気が周囲にあったような気がする。でも、前回の記事を書いて気がついてしまった。もうそんなことを言われても大丈夫だって。

たとえば私だったら、好奇心が刺激されるのが一番動きやすい。向上心で動けるひとがいるように、好奇心で動けるひともいる。それだけのことだ。あるいはミーハーで動けるひともいるだろうし、誰かのためにという心情で身体がスッと動くひともいる。何を原動力に変えているかの違いなだけで、自分を理解しないで向上心で動けない自分を責めて自己嫌悪のループから抜け出せないのは悲しい。

持ってない向上心を当てにした1年の計は、1月のうちから多忙に流されて崩れ去っていった。継続は力なりと思って始めたジム通いも、いやいや取り組んだら疲労感が半端なくて、無理だなって判った。

向上心では動けないひとが、精神的に向上心のない自分を責める必要なんか無い。自分が動ける方法とか、変われる方法を色々試してみるほうが、のびのびしませんか。

noteで受けたものはnoteに還流します。 今日のあなたのサポートが、 いつか誰かのサポートへと循環していきます。 note市民として、こころよくお気持ちを使わせていただきます。 ありがとうございます。