【勝手に現代語訳】三遊亭円朝作『怪談牡丹灯籠』第4話(全22話)
四
さて、萩原新三郎は山本志丈に連れられ、一緒に臥竜梅へ梅見に行き、その帰り際、かの飯島の別荘に立ち寄りました。かのお嬢様の姿をふと見つめ、互いにただ手を手拭いの上から握り合っただけなのに、枕を並べて寝たよりも、なお深く思い合いました。
昔の者は皆こういうことに固うございました。ところが、当節のお方はちょっとしゃれ半分に言います。「君、ちょっと来たまえ。雑魚寝で」と男が言えば、「おふざけはやめてよ」と女が言う。また、男の方でも「そう君のように言っては困るねえ。嫌なら嫌だとはっきり言いたまえ。いやなら、ほかに聞いてみよう」と空き家を探すような感覚でございます。
萩原新三郎は、あのお露殿と、いやらしいことはいたしませんでしたが、本当に枕をも並べて一つ寝でもしたかのごとく、思い詰めておりました。新三郎は人が良いものですから一人で逢いにゆくことができません。逢いに行って、もし、万が一、飯島の家来にでも見つけられては、と思えば行くこともままならず、志丈が来れば、是非お礼方々ゆきたいものだと思っておりましたが、志丈は一向に来てくれません。志丈も、なかなかさるものゆえ、あのとき、萩原とお嬢の様子を訝しく思い、もし、万が一のことがあって、ことが発覚すれば大変、首を斬られなければならん。これは危険だ。君子危うきに近寄らず。ゆかぬ方がよいと、二月、三月、四月と過ぎても一向に志丈が訪ねて来ません。新三郎は一人でくよくよお嬢様のことを一途に思っておりました。
ある日、食事もろくに進まない萩原新三郎のところへ、孫店に夫婦暮しで住む伴蔵と申す者が訪ねて参りました。
「旦那様、この頃はどうなさったんですか。ろくに御膳も召し上がりませんね。今日はお昼も召し上がってないではありませんか」
「ああ、食べてないよ」
「召し上がらなくてはなりませんよ。今の若さに一膳半ぐらいの御膳が食べられないとは、大変なことです。わたくしなどはどんぶりに山盛りにして五、六杯も食わなくちゃ、ちっとも物を食べたような気がしません。それに、全然外に出ませんね。この二月でしたっけ。山本さんと御一緒に梅見にお出かけになって、何か洒落を仰いましたっけ。ちっと御保養をなさいませんと本当に毒ですよ」
「伴蔵、貴様はあの釣りが好きだっけな」
「へい、釣りは好きなのなんのって。本当におまんまより好きでございます」
「左様か。そうならば一緒に釣りに出かけようか」
「旦那様、確か、釣りは、釣りはお嫌いだったのではありませんか」
「なんだか、急にむかむかと釣りが好きになったんだよ」
「へい、むかむかとお好きになって。そして、どちらへ釣りにいらっしゃるおつもりですか」
「そうさな、柳島の横川でたいそう釣れるというから、あそこへゆこうか」
「横川というのは、あの中川へ出るところですかね。あんなところで何が釣れますかね」
「大きな鰹が釣れると聞いたことがある」
「馬鹿なことを仰い、川で鰹が釣れますものか。たかだか、鰡(ボラの幼魚)か鱮(コイ科)ぐらいのものでございましょう。ともかく、旦那様がいらっしゃるなら、お供をいたしましょう」
伴蔵は弁当の用意をいたしまして、酒を水筒に入れ、神田の昌平橋の船宿から漁夫を雇い、乗り出しました。新三郎は釣りがしたいわけではありませんでした。ただ、飯島の別荘のお嬢の様子を垣の外からでも見たいという心組みでございます。新三郎は持って来た水筒の酒にすっかり酔って、船の中で寝込んでしまいました。伴蔵は一人で日が暮れるまで釣りをしていましたが、新三郎が寝てしまったので、起こそうと試みました。
「旦那、旦那。風邪をひきますよ。五月頃はとかく冷えますから。旦那、旦那、これは酒を勧めすぎたかな」
新三郎が起き上がり、ふと辺りを見回すと横川のようでした。
「伴蔵、ここはどこだ」
「へい、ここは横川です」
そう言われて傍らの岸辺を見ますと、二重の建仁寺の垣に潜り門があります。これは確かに飯島の別荘だと思いました。
「伴蔵や、ちょっとここへ着けてくれ。ちょっと行ってくるところがあるから」
「こんなところへ着けて、どちらへいらっしゃるのですか。わっちも御一緒に参りましょう」
「お前は、そこに待っていなさい」
「だって、そのための伴蔵ではございませんか。お供をいたしましょう」
「野暮だな。色にはなまじ連れは邪魔だよ」
「いよ! お洒落でげすね。ようでがすな」
すぐに岸に船を着け、新三郎は飯島の門のところへ参り、ぶるぶると震えながら、そっと家の中の様子を覗きます。門が少し開いているようで、押してみると開きました。すっと中へ入り、かねてより勝手を知っているため、だんだんと庭伝いに参り、泉水縁に赤松の生えているところから生垣に付いて回れば、ここは四畳半にてお嬢様のお部屋でございました。
お露も同じ思いで、新三郎に別れてから、そのことばかり思い詰め、三月から煩っておりますところへ、新三郎は折戸のところへ参り、そっとうちの様子を覗きこみますと、うちではお嬢様は新三郎の事ばかり思い続けて、誰を見ましても新三郎のように見えるところへ、本当の新三郎が来たのです。
「あなたは新三郎様か」
「静かに、静かに。その後は、たいそう御無沙汰いたしました。ちょっとお礼に上がりたかったのですが、山本志丈があれきり来ないものですから、わたくし一人では、何だか間が悪くて上がれなかったのです」
「よく、まあ、いらっしゃいました」
お露はもう恥ずかしいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取って、お上がり遊ばせ、と蚊帳の中へ引きずり込みました。お露はただもう嬉しい気持ちが込み上げるばかりで、言葉が出てきません。新三郎の膝に両手を突くなり、嬉し涙を新三郎の膝の上にホロリと零しました。これが本当の嬉し涙です。他人のところへお悔やみをするときに零す空涙とは全然違います。新三郎も、もうこれまでだ、知れても構わんと思い、蚊帳のうちで互いに嬉しき枕をかわしました。
「新三郎様、これはわたくしのお母様から譲られました大事な香箱でございます。どうか、わたくしの形見と思って、お預りください」
新三郎は差し出された香箱を見ると、秋野に虫の象眼入の結構な品です。お露はこの蓋を新三郎に渡し、自分はその中身のほうを取ります。二人で語り合っているところへ、隔ての襖がガラリと引き開けられました。出てきましたのは、お露のお父様である飯島平左衞門様でございます。両人は平左衞門の姿を目にして、驚きましたが、逃げることもできず、ただ狼狽えるばかりでした。平左衞門は雪洞の紙張りに刀を刺し、怒声を響かせます。
「露、こちらへ来い。また貴様は何者だ」
「へい、手前は萩原新三郎と申す粗忽の浪士でございます。誠にすまないことをいたしました」
「露、手前はやれ國がどうのこうの、親父がやかましいの。どうか閑静なところへゆきたいなどと、さまざまなことを言うから、この別荘に置いてやったのに、こんな男を引きずり込み、親の目を掠めて、不義を働きたいため閑地へ引っ込んだのだろう。これかりそめにも、天下御直参、将軍家の家臣の娘が、男を連れ込むなどということが世間に知れ渡れば、飯島は家事の取り締まりができていない、と言われ家名を汚すことになる。第一、御先祖へ対してすまん。不孝不義の不届き者を手打にする。そのように心得ろ」
「しばらくお待ちください。そのお腹立ちは重々ごもっともでございます。お嬢様がわたくしを引きずり込み不義をしたのではありません。手前がこの二月初めに、こちらに参り、お嬢様を唆したのです。手前の罪でお嬢様には少しも罪はございません。どうぞ、お嬢様はお助けなすって、代わりにわたくしを」
「いいえ、お父様、わたくしが悪いのでございます。どうぞ、わたくしをお斬り遊ばして、新三郎様をお助けくださいまし」
互いに死を争いながら平左衞門の側へすり寄りますと、平左衞門は剛刀をスラリと引き抜いて言います。
「誰であっても容赦はしない。不義は同罪。娘から先に斬る。観念しろ」
と言うなり、片手でヤッと刀を降り下ろした腕は冴えております。
島田の首がコロリと前へ落ちました。
萩原新三郎はあっとばかりに驚いて前のめりになると、頬より顎にかけてズンと切られ、ウーンと唸って倒れました。すると、伴蔵の声が聞こえてきました。
「旦那、旦那。うなされていますね。恐ろしい声が聞こえたので、びっくりしました。風邪を引くといけませんよ」
伴蔵の話し声で、新三郎はやっと目を覚まし、大きな溜め息をつきました。
「どうなさいましたか」
「伴蔵や、俺の首は落ちてないか」
「そうですねえ。船舷で煙管(キセル)を叩くとよく雁首が川の中へ落っこちて困るもんですねえ」
「そうじゃない。俺の首が落ちてないか。どこにも傷は付いてはいないか」
「何を、御冗談を仰る。傷も何もありませんよ」
新三郎はお露にどうしても逢いたいと思い続けているものだから、そのことを夢に見てびっしょり汗をかき、縁起が悪いから早く帰ろうと思いました。
「伴蔵、早く帰ろう」
船を急かして、船が着き、上がろうとすると、伴蔵が言います。
「旦那、ここにこんな物が落ちてます」
伴蔵に差し出されたものを新三郎が手に取り上げてみると、飯島の娘と夢の中で取り交わした秋野に虫の模様の付いた香箱の蓋でした。ハッと驚き、気味の悪さを感じ、どうしてこの蓋が我が手にあるのかとびっくりいたしました。
◆場面と登場人物
・柳島…現在の東京都墨田区から江東区に存在した地名
・萩原新三郎…飯島家のお露に恋をしている若い男性
・伴蔵(ともぞう)…萩原新三郎の孫店で商売を営んでいる中年の男
・山本志丈…藪医者。萩原新三郎の友達で、飯島家ともつながっている
・お露…飯島平左衞門の娘
◆感想と解説
お露に会いたいがために、伴蔵と釣りに出かけた萩原新三郎ですが、結局、釣りの最中に飲んだ酒で酔ってしまい、悪夢を見ます。
この悪夢が次の展開への予兆であり、また新たに登場した伴蔵は単なる脇役ではなく、この物語のキーパーソンとなる人物です。
江戸時代には、恋ぐらいしか娯楽がなかったはずなのに、萩原新三郎とお露がお互いをいじらしく思い続けているところに好感が持てます。ただ、生っぽさに欠けている感じがします。この二人は、ある種、物語のパーツとして、圓朝のオリジナルのストーリーの橋渡し的な役割を果たしています。
第5話に続きます!
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