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twitterをやめる

本日1月9日、情報収集用のtwitterのアカウントを削除した。

思い切って、というよりは、ここ2週間ぐらい、完全に依存状態で「さすがにヤバい!」という気持ちと疲労感が原因である。

アプリを削除しても、どうしても見たくなってしまうので、アカウントを消すことにした。

脱スマホを何度も試みるのだが、すぐにリバウンドしてしまう。

特に体調を崩したときに、体調不良を言い訳にベッドの中でスマホに触ってしまうのが、まずい。外出も家事も面倒で、読書もしんどいときでも、twitterの140文字は読めてしまう。今は、寒さも言い訳にできるため、外出が億劫にもなっている。

原因はさみしさなのだが、twitterでごまかせる孤独とは、何とも薄っぺらい孤独だなとも思う。

しっかり退屈を味わえば、動けるはずなのだ。スマホでごまかしているから、いろんなことが中途半端になっていく。

twitterの中で起きていることも、一つの真実で、一つの戦争でもあるのだと思う。しかし、知らなくてもいいことでもある。あの空間の言説を真に受けてはいないつもりだが、少なからず影響を受けているはずだ。

他人の幸福も不幸も、善なる部分も、暗部も、過去の痛み、恨みつらみも、情報量が多すぎる。他人を脊髄反射的にジャッジメントする人間が多すぎる。わたしも、その一人になっていた。

もちろん、有益な情報もたくさんある。twitterのおかげで、助かった人、救われた人がたくさんいるのもわかる。知名度を上げ、ビジネスに役立てたり、ビジネスをするために存在感を示さなければならない、という責務のなか、続けている人も少なくない。そういった明確な目的もなく、漠然と情報を拾うのは、脳に負担をかけすぎているような気がする。

このnoteの更新のお知らせするためのtwitterアカウントは残しているが、それぐらいで十分なのだ。

本当にtwitterを発明した人は天才なのだと思う。twitterが生んだスターもたくさんいる。しかし、アテンション・エコノミーは、どう考えても、体に悪い。もっと、手作業や体を動かすことに時間を使いたい。

続きはこちらです。


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佐藤芽衣
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