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定期的にやってくる落ち込み

流産する夢を見た。夢の中で、喪失感に襲われ、次に妊娠していたことに驚いて、夫は誰なのか。そもそも結婚していたのか、そんな相手いたっけ? などを考えているうちに目が覚める。あまりの腹痛に驚き、トイレに駆け込む。尾籠な話で申し訳ないが、下痢で起きるのは、初めての経験だった。原因はわかっている。昨日の昼はインドカレーで、夜はスーパーで買った汁なし担々麺で、そんなに辛くはなかったのだが、胃腸が弱いわたしにとっては刺激が強すぎたのだろう。

そんな土曜日の朝、どっと落ち込みと疲労感がやって来て、出かける予定を先送りする。実際、倦怠感もあった。

最近、ほとんど自炊をしていない。野菜を食べる量がすごく少なくなっている。ていねいな生活って、いつまで経ってもできない。

いろいろ中途半端だなとか、人生に目標がないとか、結婚もしたくないし、そんな相手もいないし、子どもも要らないし、何なら別に仕事もしたくないし、孤立無援だしとか、答えの出ない、どうしようもないことをループで考え始めてしまった。

やはり、体調が悪かったのかもしれない。

そして、本日は日曜日の朝。すっきり起床はできなかったが、部屋の掃除を始める。書類系のごみを捨て、家計簿をつけレシートを捨て、掃除機をかけ、衣類の手洗い、皿洗いなどをする。ゴミって、いつのまにやら、溜まっていくものなのだ。

部屋を整えると、少し気分がすっきりした。こういう小さなことの積み重ねで自己肯定感と自己効力感を高めていくしかない。

歪んだ自己愛はいくらでも持っているのだけれど、健全な自己愛を育むことができずに生きてきた。もう立派な中年なのだけれど、自分で自分を育て直すしかない。

今、話題になっている某米国有名大学の某経済学者さんだって、そんなに残忍な人ではないと思われる。しかし、人生の空虚さを直視せず、いろんなところで、ちやほやされているうちに承認欲求モンスターになってしまったのだろう。誰かに求められ、人気者になったと喜べているうちが華で、口を滑らせ、滑落途中。彼の発言が本音だとか真実かどうかなんてことはどうでもいい。問題は、彼が他人の評価、大衆のまなざしに身を委ねてしまったことなのだ。自分で自分を認めてやれれば、メディアにほいほい出る必要などなかっただろう。そのうえ、ここ(人生)には出口がない。

わたしは子どもを持ちたくないと思っているが、子どもを持つことで、自分の人生を生きられなくなり、人の助けを借りて謙虚にならざるを得なくなり、大人として子どもの世界をやり直すことで、人間は成長するのかもしれない、と思ったりはする。子どもの承認欲求を満たす役割を親となって負うことで、自分自身の満たされなかった思いを昇華する。まあ、そんなにうまくいくものでもないのだろうけれど。

自分を愛するのはかくも難しい。

(健康のために豆乳鍋でも作ろうかしら)



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佐藤芽衣
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