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勉強のすすめ、入信のすすめ
今、わたしは資格取得のために、勉強をしている。
合格できるかどうかは微妙な感じで、やる気の出ない日々もあったが、とりあえず、継続はできている。
自己啓発をすれば収入が増えるとか、資格を武器に転職とか、そういう話ではない。
勉強に集中できていると、自分のことを忘れられる。自我や自分の身体から意識を離すことができる。
「忘我」というやつである。
「忘我」の方法は、いろいろある。もちろん、スマホも、読書も、映画鑑賞も、「忘我」の一種である。
「勉強」が娯楽と少し異なるのは、勉強は自らの実践であり、その分野や業界にヒエラルキーが存在している点にある。
新しい分野の勉強に足を踏み入れることは、新しい世界を知ることであり、それは入信に似ている。
わたしはこれまで「A」という世界にいて、「A」で常識とされているルールを知っているし、トップがどこにいるかも知っている。自分がどの辺りに存在しているかも知っている。
しかし、「B」という世界の常識は知らないし、どこに山があるのか、谷があるのかもわかっていない。構造がわからない。誰が偉くて、誰が下っ端なのか。手探りで、どこに行けばいいかと、右往左往することもある。ただ、先人はたくさんいて、この業界も魑魅魍魎だなと思ったりする。これは足を踏み入れない限り、わからないことなのだ。宗教の本を読んで知識を得るのと、入信するのは全然違う。
わたしは「A」という世界でキャリアを積み上げるつもりだったのが、それがかなわないことがわかり、苦肉の策として「B」という世界に入った。そこには「A」とは違う種類の人たちがいて、資格取得に向けて勉強するぐらいの人たちなので、それなりに前向きで、頑張り屋さんが多い印象である。そう、新しい分野を学ぶとは、新しいコミュニティに入る、ということなのだ。
そして、資格の勉強をしていると、やはり国家の制度や法律とは無縁ではいられない。自分も国民の一人であったことを今更ながら、思い知らされる。
資格試験に合格できるかどうかは別として、受験が終わったら、ほかの資格試験の勉強を始めようとすら思っている。資格コレクターになりたいわけではないのだが、自分の「足場」を増やしたいとは思うのだ。
ちょっと驚くのは「A」で学んだことが、少し「B」に繋がっていたりもするのだ。世界は狭い。
勉強をしていると、自分の負の感情のことも、すっかり忘れられる。我を忘れて勉強するのは気分がいい。
「この試験に合格できなかったら、わたしの人生、終わる!」
とプレッシャーをかけるのではなく、上等で高貴な暇潰しをしていると思えばいいのだ。
何かに集中できることに、人間は幸福を感じるのだと、幸福学の本にも書かれていたと思う。ゾーンに入るのは、アスリートの専売特許ではなく、あらゆる人間に必要なことなのだと思う。
自分のことをくよくよ考えるのはやめて、外の世界を学んでいきたい。
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