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「優秀な人がいなくなった」らしい

だらだらスマホは百害あって一利なし。

Twitterをやめたら、Safariのブラウザで検索した記事を読んでしまう、という悪癖が戻ってきた。おそらく、スマホというのは触りたくなるようにできているのだ。あな、恐ろしや。まあ、わたしの意志が激弱なだけなのだが。

そんで、とあるサイトの記事に「優秀な人材がいなくなったので、採用事業から撤退した」という人の話があった。その人のことを批判したいのではなく、この表現にものすごくもやもやしてしまった。

優秀な人がいなくなる、なんてことがあるのだろうか。いや、そんなはずはない。社会にはいろんな人々がいて、そのなかには優秀な人がいるはずだ。砂漠の蜃気楼じゃあるまいし、いなくなるわけなかろう。

ここからは仮説。

仮説1
人材スカウトをしていたその人の周囲から優秀な人が消えた。言い換えれば、優秀な人たちにとって、その人が旨味のある存在ではなくなった。そのため、その本人の周囲にいる人たちにも魅力がなくなり、優秀な人たちとの接点がなくなり、フェイドアウトされてしまった。切ったのではなく、切られた。振ったのではなく、振られていた、という状態。これは当人には気が付くことができない。

仮説2
純粋に金儲けしたい、ビジネスで世界を変えてやる、みたいな野心的な人たちの母数が圧倒的に減ってしまった。これは資本主義や新自由主義的な世界からの離脱を企図しており、彼らの能力と時間は、ビジネスとはまったく別の方向や事柄に使われている。社会起業家やNPO法人を運営などといったベクトルの違う方面で活躍している。

仮説3
優秀な人は、ベンチャー企業を立ち上げ、最初から社長。そもそも、スカウトを待つ必要がない。

こんな仮説を考えたわたしは、優秀ではない、単なる暇人で印象論に過ぎないのだが、金儲けに興味のない人が増えているような気がする。欲望の総量そのものが減っているような気がする

今日、ファストファッションや100円ショップは雨後の筍のように増えた。もう飽和状態に達している。そして、物価と賃金は下がっている。バブルは遠くになりにけり、である。みんな貧しくなっている。そんななかで、金儲けに命がけで参入するより、不労所得とかFIREで、自分の時間を楽しく過ごせればそれでいいじゃん、という人が増えるのも、むべなるかな、といった気がする。

つまり、金儲けに最適化された人材(人材スカウトマンにとって優秀な人)になるより、ほかのことに自分の能力を使い始めただけの話なのではないか。陳腐に言えば、価値観の多様化である。ビジネス大好きな人には考えられないことかもしれないが、野草食ってでも働きたくない人はいる。潜在的にビジネスの才能があった人も、ほかのことをやっているのかもしれない。それはビジネスが一番、金ですべてが決まる、という新興宗教から脱会している人が増えているという証左でもある。人類の経済活動は、地球温暖化(気候変動)の問題をより深刻にしている。今、わたしたちが感染症に苦しんでいるのは、なぜなのだろう。

そして、本当に本物の金儲けに最適化された人材は、間違いなく、アメリカのウォール街のゴールドマンサックスで働いていると思うのだ。あるいは、ロックフェラー一族に生まれるとか。胴元でもない奴が、カジノで儲ける方法について議論していても限界がある。(これは陰謀論なのかしら笑)

もちろん、生きていくためにお金は必要。お金のおかげで、孤立無援でも、食べ物や屋根のある家を調達することができる。お金よ、ありがとう。お金がなければ困っていた。

要するに、優秀な人は、ほかのところに行ってしまった、というだけの話なのだ。無能な人がいなくなってしまった、と聞けば、おかしな話だとすぐにわかるではないか。「おかしいな、わたしの隣の奴は無能なんだけどな」とすぐに思うはず。「わたしの考える優秀な人がいなくなった」ことを殊更強調されても困る。

とにかく、言い切り表現、断定表現は、どうにもこうにも乱暴で無神経に感じられ、イライラするし、脳みそを無駄に使ってしまう。

ネットの無料記事の与太話に怒って、2,000字近い記事を書いているわたしは、大馬鹿者である。

あー、疲れた。ビジネス系の煽り記事を読むのは、もうやめよう。読んでも読まなくても、どちらでもいいものに、イライラするのは本当によくない。

本当にただより高いものはない。

おまえの記事も同じだよ、と思ったそこのあなた、正解!

おあとがよろしいようで。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!