わたしには見る目があり、正しい選択をしてきたから今がある
わたしには見る目があった。配偶者選びを間違わなかった自分を誇る人。今、自分に素敵な配偶者がいるのは婚活を頑張ったからで、当時の努力を怠らなかった自分は偉いと主張する人。SNSでよく見かける。
正しい選択をしてきた自分はすごい。あのとき就活(転職)を頑張った自分は正しかった。計画的に資格を取得した自分に感謝。人生を振り返り、自分の行動は素晴らしかったと自画自賛する人も見かける。
このような主張を目にするたびにわたしは「この人、大丈夫かな」という気分になる。現状は、いずれ過去になる。現状には満足していても、別の未来が待っていることなんてざらにある。(鴨長明は千年前に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と言っているのだが知らないのだろうか)
大体、幸せ自慢(配偶者自慢やキャリア自慢)をする人は、周囲との比較でその結論に至っているケースが多い。『知人が「うちは鬼嫁で大変だよ」とこぼしていて同情した。それに比べて我が家は~』みたいな展開が多いのだが、「鬼嫁で大変」って言うのは謙遜である。自分の配偶者を自慢するのはみっともないから下げているだけで決して本音ではないし、それがすべてではない。それがわかっていないのは致命的。あえて雑にまとめるが、コミュニケーションスキルが低い。「うちの配偶者はすごい! 素晴らしい。わたしたちって相性抜群」って言われた方は「へえ、すごいですね。うらやましいです。わたしも〇〇さんみたいに頑張らなきゃ」とお世辞を言うしかない。たぶん、言われたほうは「なんだ、こいつ。うざいな」ぐらいにしか思っていない。あんたの配偶者に興味があるのは、あんただけ。関係ない人の話、ほぼほぼどうでもいい。(新発売のお菓子が美味しかった、とかいう情報のほうが全然有益である)
キャリアに関しては会社の看板で仕事をしているだけなのに、その会社に入れた自分は実力がありすごい、というストーリーになっている人は結構ヤバい。それって、あなたをいい大学(大学院)に入れてくれて、学費の心配もせず、アルバイトも大してせず勉学や部活動に専念させてくれたり、教養を身に付けるための時間を作ってくれたご両親の経済力と教養があったからなのではないか、もちろん、あなたも努力したとは思うが、その努力が無駄にならなかったのは幸運だったからなのではないか、などと思う。
まあ、要するに生存者バイアスに陥っている人は、他人を自己責任論で断罪しているので、まじヤバいっすよ、という話。
結婚後、配偶者がDVモラハラ野郎に豹変することはあるし、それを見抜けなかったのは見る目がなかったからではない。相手が自己演出がうまく、隠すのが得意だっただけの話だ。その人の落ち度ではない。見極められなかったことを責めるのはお門違いだ。婚活を頑張っても結婚できなかった人は、相手に出会う機会が得られなかっただけの話。本人は結婚を望んでいても、結婚に向いていない、ということもある。そりゃ問題のある人もいるが、すべての帰結を本人に負わせる必要はない。
就職後、順風満帆にキャリアップして、転職も万事成功できたらいい。現実は、仕事の種類、または同僚や上司によって仕事のやりやすさや成果が上げられるか否かも大きく変わってくるし、会社から期待されていなかったことが発覚することもある。でも、それを入社前に見通せる人なんて、エスパーとか霊能者だけなので、仕事がうまくいかない自分、職場の人間関係につまづいたときの自分を責める必要はまったくない。資格を取ろうとしたって、その勉強時間の確保ができなかったり、勉強したとて不合格になることもある。だからといって、自分を努力不足のろくでなし、などとなじる必要はない。ただ、運が悪かっただけ、それだけだ。
わたしは他人が愚かで浅はかだから失敗したなどとは思わない。たいていの人間は一生懸命に生きている。ときどき、ちゃらんぽらんなろくでなしもいるが、そういう人だって、その人なりの、それなりの事情を抱えている。しかし、今の自分を肯定せんがために、他人の失敗を引き合いにして、自分が成功者であるかのように演出をする。そんなの愚の骨頂であり、みっともない行為である。
数年前、会社が非正規雇用から無期雇用に転換することを避けるため、雇止めにあった女性が裁判を起こしたニュースがあった。たぶん、ヤフーニュースのヤフコメ欄を見たのだと思うが、自己責任論ばかりでげんなりしたことを覚えている。「会社側は単純な仕事をさせていただけなのだからクビになっても仕方がない」「なぜ、非正規で働いている間に資格を取らなかったのか」などという意見が書き込まれており、めまいがした。雇止めにあった女性は、正社員と同じような仕事をしていた可能性がある。小さな会社で余裕がなければ、非正規であっても正社員並みに働かせていることはよくある。会社側のフリーライドには目をつむるのか。みなさん、経営者感覚をお持ちで、誠におめでたい。資格を取らなかったことを責める人は、人それぞれ置かれている環境というものがあることを忘れすぎ。子育てや介護があったり、本人が持病を抱えていることもあるだろう。フルタイムの仕事を終えて元気に勉強してスキルアップができる人ばかりではない。
わたしは進学も就職(仕事)も、うまくいったりいかなかったりなのだが、すべてが紙一重であったような気がする。首の皮一枚で切り抜けられたときもあったのだろうし、首の皮が破れて首が転がり落ちてしまったこともある。人生のこれが成功、これが失敗と分類することも難しい。すべては偶然だった。努力をして、それが報われたこともあれば、無残にも酷評の憂き目にあったこともある。すべては、積極的なチョイスではなく、そうせざるを得なかった場面も少なくなかった。自分が勝っているなどと思ったことはないが、負けているとも思わない。人生は、生きている限りは続く。それだけの話ではないか。
わたしには見る目もないし、正しい選択もできない。ただ、他人のある時点での失敗やミス、苦悩を取り出して「わたしは偉大!」などといい気になったりはしない程度の分別を持っていたいと思う。