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自分自身と距離を置くとメンタルが安定する

ここ一年ぐらいメンタルが安定しているので、今後の自分のためにも、その理由について考えてみた。

わたしのいうところのメンタルの安定とは「死にたくならない」なので、参考になるかどうかはわからないけれど、お暇な方はご一読あれ。

1.頻繁に死にたかった頃

7年ほど前は、経済的に不安定で、それが原因で精神的にも不安定だった。そのせいか、過剰に他者からの批判を恐れていた。批判されると、それこそ、自暴自棄になって、全部やめてしまったり、人間関係を断ち切ったりという極端な行動を取っていた。それは自分には能力がなく、薄っぺらな人間であるという自信のなさから来ていたと思う。それだけでなく、どうせこいつも裏切るだろうから先に切ってしまえという捨て鉢な気分も影響していたと思う。

ずっと希死念慮につきまとわれていた。だから、わたしは自分の劣等感が刺激される場所から去ることを選んだ。それは正解だったと思う。後悔がないといえば、嘘になるが、精神の安定の方を選んでよかった。そこはマウントを取って取られるのが当然の世界だった。ストレス耐性があり、文化資本と社会資本がないと生き残れない空間。わたしにはどれも欠けており勝算がなかった。自分が分不相応な存在に思え、周囲より絶対的に劣っていると感じてしまう場所では、常に体が強張る。食事も就寝も不規則でいつも体が冷え切っていた。そのような場を離れ、仕事に専念することにした。

2.週末に死にたくなる社畜時代

仕事に専念すればシンプルに暮らせると思っていたが、ところがどっこい楽にはならなかった。職場のごたごた、傲慢な上司に振り回されて、疲弊しきっていた。今思えば、いわゆる「やりがい搾取」で職場に貢献したいという気持ちを利用されていた。自ら進んで利用されにいったようなところもある。土日もパソコンを打っていて、慢性的に首や肩、背中、腰に痛みがあった。

同僚はワーカホリック気味のわたしを馬鹿にしながら、平然とサボタージュして、わたしの悪口を言うための飲み会をやっていた。嗚呼、地獄。(まあ、仕事をしないことを正当化する人たちの傷の舐めあいなんて痛くもかゆくもないので全然平気だった)

疲労がピークに達すると、週末は何もできず部屋で寝込んで、死ぬことばかりを考えていた。その後、上司に退職勧奨にも似た嫌がらせをされ、その職場を去ることになったが、今思えば、それも正解だった。しがみつかなくてよかった。だって、彼らと今も付き合っていたら、わたしの頭は完全におかしくなっていただろう。

その職場の上司は、「部下に仕事をさせるのが管理職の仕事だ」とよく口にしていたが、彼がしたかったことは、仕事ではなく、他者を思うがままに支配することで、目的は自分の権力を誇示することだった。彼は理想や理念を滔々と語るわりに朝令暮改で、こちらの成果も平気でひっくり返して無効化する。今ならわかる。彼がやろうとしていたことは「俺様の言うことに従え。ひれ伏せ」という支配だった。

彼の言うことを真に受けて、数字を出すために懸命に働いていた自分が本当に馬鹿らしい。きっと今も、毎日違う目標を掲げて、部下をビビらせて自己満足に浸っているのだろう。付き合ってられない。

ちなみにその上司は大学中退で学歴は高卒だ。その会社に30年以上勤めているが、何の専門性もなく、転職なんて絶対にできない人だった。郊外の分譲マンションのローンと、私立大学に通う子どもが二人。居場所を絶対に死守しなければならないおじさんと戦うなんて分が悪すぎた。彼はよく「プロであるために努力しろ」と言っていたが、彼は自分に居心地のよい職場環境にするための努力をしているだけで、あれは仕事とは言えない。

こういうコントロールフリーク、モラハラおじさんといると、気力体力のみならず、精神まで削られる。本当に離れてよかった。

3.不安定ながらも得た自由

その後は無職半年、日給の契約社員で9か月働き、月給の契約社員で6か月働き、今に至る。ダメージの大きかった職場を辞めて21か月経過して、心の傷もだいぶ癒えたように思う。怒りに震えることも、ここ最近はなくなってきた。ふいに思い出して、「クソったれ」と叫びたくなることもない。

この1年9か月、収入は減ったが、映画を観たり、本を読んだりといった余裕ができた。noteのおかげで、自分の思考を整理することもできているし、リアクションをいただけることが報酬にもなっている。

今、メンタルが安定しているのは、一切残業をしていないこと。仕事以外のことでインプットとアウトプットが循環しているからだと思う。それはつまるところ、自分のことをぐるぐる考える時間を減らすことができている、ということなのだろう、と思う。

職場と自宅の往復を繰り返すだけの生活だと、忙しいのに変化がない。しかも、疲れているので動きたくない。そのような状況だと、寝床でどうしようもない過去のこと、どうにもならない未来の自分について考えるぐらいしかできない。その習慣が無意味な焦燥感や絶望感を招いていたのだろう。

自分自身と距離を置くことで、自分自身と仲良くできる。自分のことをうだうだ考える時間を意図的に減らす。映画館に行ったり、ウォーキングしたり、体を動かして、物理的な移動を課していると、入ってくる外部の情報も多い。ゆっくりする時間は必要なのだけれど、暇な時間は極力作らないようにする。

明日の疲労を心配して動かないと、新しい情報も得られず、気分も変わらないので余計に疲れる、ということもわかった。体調不良や風邪気味でもない限り、仕事終わりに遊んでもいい。夜は明日の準備のためだけに存在しているわけではない。むしろ、新しいことを経験したりしたほうが、翌日、新鮮な気分で職場に向かうことができる。

自分自身から解放されることで、自分が楽になる。この「発見」は、わたしにとって結構大きい。不用意に自分と向き合ってはいけない。自分のために、自分のことを考えないようにする。「自分」なんて、しょせん自分なのでたかが知れており、自分の予測を上回ることはほぼない。袋小路のようなもので、行き止まりで、その先はない。自分に無関心になろう、ということではなく、自分を痛めつけるような思考の時間をあらかじめ取り除いていくことが肝要なのだと思う。

4.これからの展望

先日、無職期間に取得した資格を活かせる会社の内定をいただいた。7月からは新しい職場で働く。

なんとキャリアチェンジができた! 

来月からは、ド新人で新しいことを学びまくらなければならない。苦労は買ってでもしろ、という感じだ。現職より基本給が2万円ぐらいは下がるものの、最初から正社員で賞与も出るらしいので、年収は変わらなさそうだ。

できる範囲で頑張ろう、と思っている。できないことはできない、と正直に言う。できなさそうだったら、あらかじめ相談するなどして、自分自身にプレッシャーをかけないようにしていきたい。もちろん、新しい職場に失望して、来月には転職活動を再開している可能性もゼロではないが、自己中心的に動きたいと思う。だって、わたしの人生の責任を取れるのはわたしだけなのだから。

新しい仕事とは別に、以前の仕事で得たノウハウの発信を考えていて、ちょっとわくわくしている。やはり、どこかに所属していると、普段接触している職場の10人ぐらいの人にしか、情報を伝えることができない。ネットだったら、全然人が見なかったとしても、10人以上の人には見てもらえるだろう。情報の伝播力が全然違う。kindleで自費出版ができないかどうかなど、いろいろ調べたりしている。

動きすぎると疲れるけれど、暇を持て余すことがないように。2023年の後半も、ぐったり疲れない程度には、動き続けたい。行動をしていれば、メンタルは比較的安定する。そのことを忘れずに生活していきたい。

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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!