あっという間の2年
アパートの契約更新の書類が届いた。契約を更新したのは2年前。もうこんな時期かという感慨はなかった。むしろ、「更新したの、つい最近じゃん」と思ってしまった。
日々が過ぎるのは早いわりに、考え方などはさほど変わっていない。一方、フィジカル面では、風邪をひきやすくなり、体調を崩しがちで、痩せにくくはなっている。身体的な老いには直面しているが、この2年で「結婚して子どもが生まれました!」とか「二人殺して、拘置所で裁判待ちです!」とか、そのような人生における劇的な変化はない。
ここのところ、自分のストレス耐性が低くなっているのは感じる。昔は次から次へトラブルが降りかかってきて、全方位に敵がいたので、ストレスに次ぐストレスで許容量を超えると、三つぐらい前のストレスは忘れてしまっていた。それはストレス山積の効用だったのかもしれない。
今は、些細なことが気になり始めている。わたしだけ仕事量が妙に多いとか、10分でできる仕事を一日かけてやるなよとか同僚にフラストレーションを抱いているが、以前の職場の悪人どもと比べれば、何ということもない。つうか、問題にするようなことでもないのだ。(仕事ができない人を基準にして、仕事をさぼるのは、いずれ自分の首も絞めることになることはわかっている)あと、仕事というのは、ままならない他人との調整をしたり、腹が立ったりの繰り返しで、そのようなストレスは社会人を社会人たらしめる鍛錬のようなもので逃れられない。わたしは資産家ではないので、引きこもるわけにもいかない。
もう一つの変化は、退屈に対する耐性が低くなっていることだ。コロナ罹患後は体力も落ち、再度罹患すると致命傷になるという記事を読んだこともあり、あまりアクティブには動かないようにしている。おっかなびっくり、自分の体調を観察している。休憩も大事。ところが、そのような体調優先の生活は、つまらない。ちょっと無理をしたり、ちょっと余計なことをしたりすることで、日々には変化が生まれる。「なんか、だるい気がするから、やめておこう」「37.3℃あるのか。家で寝ないとだめだな」となると、憂鬱がやってきて、この人生を穏当に終わらせられないか、とか考え始めてしまう。そのようなときは、ベッドから這い出て部屋の片づけをするようにしている。昔の仕事の資料とか、以前の自分が大事にしていたものなどを捨てると、少しすっきりして気力も戻る。
昨日、選挙の投票に行ってから、帰宅後にうつらうつらしていたら、急に怖くなった。自分だけ変化せず、毎年毎年同じことをする恐怖。変わりたいけれど、自分が理想とする方向にばかり変化できるわけでもない。自分を変えるには行動を変えるしかないわけで、毎日、ちょっとずつ「よっこらっしょ」を続けていくしかない。発奮と気合い、負けん気は、もう頼りにならない。我が身を鬱々と考えるのはやめて、自分が何をするのか、実際的な行動のことだけを考えるようにしていきたい。