映画『ミナリ』(2020)の感想
リー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』を映画館で観てきた。『ミナリ』は韓国語で、芹(セリ)を意味する。A24の製作である。
製作総指揮には、ブラッド・ピットと主演(父親役)のスティーヴン・ユァンとあった。
舞台は1980年代のアメリカのアーカーソン州で、韓国の移民家族が主人公である。
トレーラーハウスに住み、農業で一旗揚げようと奮闘する父親とよりよい教育と医療のある環境(カリフォルニア)で子どもたちを育てたいという母親の葛藤が物語の軸にある。
映画は、少年の視点で進むため、『となりのトトロ』にも似たジブリ映画のような明るさがある。
男の子の挙動が、すごくかわいいので、彼がいるだけで画面が和む。
おばあちゃん役のユン・ヨジョンは、助演女優賞でオスカーをとっており、説明するまでもないのだが、コミカルさと無垢さをあわせもった不思議な存在感があった。
そして、十字架を背負う男と教会通いからもわかるように、この作品の通底しているのはキリスト教なのだと思われる。
(くわしく知りたい方は、映画評論家の町山さんのポッドキャストをチェックしてください。わたしはまだ聴いていないけれど)
わたしにはキリスト教に関する教養がないので、この映画を深く理解できてはいないのだが、どこまでもアメリカ、という感じがした。
ゴールデングローブ賞は、台詞の50%は英語でなければならないらしく、『ミナリ』は作品賞にノミネートされなかったそうな。
しかし、それは本当に馬鹿げている。
映画の言語バランスなんて、ほとんど意味がないと思う。
『ミナリ』をアメリカ映画たらしめるのは、その風景(土地)の映像なのである。からりとした太陽と乾燥した空気、ほこりや粒子とともに、空や大地、山並みが映るのだから。
だだっ広い土地に、青々とした緑は、ステレオタイプだとしても、いかにもアメリカという感じがした。
ベトナム映画を観ていると、肌が汗ばむような錯覚を覚えるし、真冬のソウルが舞台であれば爪の先まで冷えてくるような気がしてくる。
映画というのは、その土地の匂いや気温、湿度までをこちらに感じさせる。
体験したことがないはずのことを想起させる力がある。
韓国の農地とアメリカのそれは全然違うだろう。
トレーラーハウスなんて韓国にあったら、それだけで、ちょっと厄介な人が住んでいるに違いないと思わせてしまうだろう。
だから、どう考えても『ミナリ』はアメリカ映画なのである。