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映画『はちどり』(2018)の感想

キム・ボラ監督の『はちどり』を映画館で観てきた。2時間18分だったが、時間を忘れさせてくれた。

主人公は中学生の女の子で、1990年代半ばのソウルが舞台である。

彼女の暮らす巨大な集合団地、室内の狭さを含め、日本の住宅環境、私が住んでいた団地の間取りとよく似ていて、息苦しさをまざまざと思い出す。絶対に戻りたくない。

部屋は狭いがよく片付けられている部屋から母親の努力が見て取れる。ただ、やはり物が多い。

なつかしいアイテム、ポケベルも出てくる。広末涼子がドコモのポケベルのCMをやっていたのは1996年だったのか。このあと、すぐガラケーが登場して、ほどなくしてポケベルは使われなくなる。(Youtubeで検索してみてください)

90年代半ばのソウルでも、同じようなコミュニケーションツールとして機能していたという事実が、まず面白かった。

主人公のウニを演じるパク・ジフは、芦田愛菜に見えたり、石田ゆり子の面影があったり、角度によっては橋本環奈っぽいな、と思わせるシーンもあった。普通っぽいが、決して普通ではない美しさがある。

主人公であるウニは、普通の子どもと同じで、ちょっと浅はかだったり、いい加減なところもある。恋愛といっても、保護者のいる子どものすることで、男女の生々しさはない。そして、彼女は兄に殴られるというDV被害を受けている。そこが同じ90年代を舞台としたジョナ・ヒル監督の『mid90s』の主人公と同じ境遇で驚いた。

ウニが通う漢文塾のヨンジ先生(キム・セビョク)は、木村佳乃を地味にした感じで、思慮深さと暗さがある。ヨンジ先生の書く漢字が丸文字であったことも、妙な新鮮さがあった。

この映画で描かれるのも、結局のところは、「孤独」である。人とつながれているようで、つながれていない。

母親が何度呼びかけても気づいてくれなかったり、母親のかかとが角質で、ひび割れている様子から、母親が生活に疲れ切っていることがよくわかる。母親は生活に絶望し、孤独を抱えているが、それは解消されない。

親にしても、子どもが成人するまで、子どもを育て、働き続けなければいけない。生活に疲弊し、うんざりしているが、口に出したところで、どうしようもないので、何も言わないのだろう。ウニの母親は、兄を進学させるために、進学をあきらめさせられたことが明かされる。彼女の絶望は今に始まったことではないことが示唆される。

子ども時代は、圧倒的に不自由である。しかし、子ども時代を終えたはずのヨンジ先生も自己嫌悪を抱え、苦しみの中にいる。ユニの母親も、結婚して、子どもを三人持ちながらも、絶望が見え隠れする。時代の問題なのか、社会制度(家父長制)が原因なのか、それはわからない。ただ、私たちは幸福ではない、そのことだけはわかっている。

この映画では、いつまでも続く生活に対する疲労感だけではなく、生活の中にあるきらめきも、きちんと描かれている。

最も愛らしかったのは、ユニがボーイフレンドと付き合い始めた100日記念(だったと思う)のために、カセットテープに歌を吹き込む場面である。記念日を大事にする韓国のカップル文化らしいし、カセットテープに録音というのが、なつかしくて、まさに90年代という感じであった。

また、ユニがチヂミを手で千切って食べるのも、こういう風に食べていいのかと思い、興味深く感じた。(もしかしたら、行儀が悪くてやってはいけないことなのかもしれないが、チヂミもナンだと思えば、別に違和感はない)

それから、ベルばらのような漫画絵の落書きをしたり、友達と筆談したり、楽しそうな十代もそこにはいる。

最後「今度、全部教えてあげるね」というヨンジ先生の言葉が、陽光の中で、ユニの胸に去来する。

私たちは、思うように生きられないが、時間は戻らない。それに救われるような気もするのだ。もし、何度もやり直すことができたら、抜け出せなくなるのではないか。

キム・ボラ監督のデビュー作を映画館で観ることができてよかった。次回作も、ぜひ映画館で鑑賞したいと思う。

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佐藤芽衣
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