私の体力のなさと労働生産性について
三日連続で予定があると、三日目は体調が悪くなっている。体力がないことは、中高生ぐらいから意識していたのだが、会社員生活を経て、すっかり忘れていた。
会社員は、通勤の繰り返しをそれほど深くは考えない。行く場所は同じだし、自分の机がある。
しかし、無職になってから、行く場所は、毎日違う。交通経路を調べ、その前後に食事や事務手続き、買い物などを組み立てていく。こういった行程によって、どうやら、疲れていたようだ。そもそも精神的に疲れている、ということもある。
昨日は昼間からひどい落ち込みがやってきた。起きたときから、眠気がひどく頭が働かない。食事のとき、あまり味がしない。まずいなと思ったので、半日ぐらい寝た。すると、結構、回復した。
無職のいいところは、日々の気がかりなことがない点にある。もちろん、将来を案じると、暗くなってしまうのだが、あまり考えないようにしている。暗くなったところで、別に何も解決もしないからだ。
今日は予定がないので、古い書類などの処分をした。保証期間の終わった保証書なども、はさみでチョキチョキ切りながら、捨てていく。
いずれスキャナで取り込んでデジタル化してしまいたい類のものもあるが、一気にやると疲れるので、今日はこの辺にしておこう。
会社員時代を冷静に振り返ると、どんなに頑張っても給料も上がらず、長く働いたところで残業代が出るわけもなく、なんで頑張っていたのか、と自分で自分が不可解になってくる。巻き込まれると人間は洗脳されるというか、自分を思い込ませてしまう、ということなのか。何かに集中、夢中になりたかった、というのもある。でも、あまり持続可能的なやり方ではなかった。遅かれ早かれ、バーンアウトは免れなかっただろう。
そして、こんなニュースも見た。
というわけで、生産性も、旧ソ連の東欧諸国並みとなっている。これ以上、下がっても、不思議ではない。
でも、自分のいた会社のことを考えると納得できる部分もある。50代の管理職男性は、部下のやることに難癖をつけ、社内政治でパワーを使うことを仕事だと思っている。そんなことしていたら、やる気のある20、30代は委縮するし、40代はことを穏便に済ませることだけを目標にする。生産性なんて、上がるわけがない。そもそも、管理職が仕事をしていないのだから。その会社の中でしか通用しない仕事は、仕事ではない。その管理職によって仕事が滞らず、すべてがスムーズに回っているなら、重要な業務だが、すべて破壊して、いろんな部署がマイナススタートになっていく。権力者としてふるまい、自分の存在感を際立たせる、それがその管理職の仕事らしい。そして、経営者はその管理職を悪い意味で放置してしまっている。そりゃ、業績も業務効率も下がるよね、という感じだ。(ムカつくが、やっぱり辞めてよかったのだ)
40代(いわゆるロスジェネ)のまずいところは、就職氷河期だったので、そもそも母数が少なく、パワーがない。本来、活躍すべき人たちをこんなポジションに追いやったのは、今の60、70代の人々の先見性のなさゆえである。中長期的にものを考えていれば、こうなることはわかっていた。誰も社会のことを考えていなかった。
超高齢化社会で、わたし個人ができることはほとんどないし、滅私奉公しても、使い捨てられるし、無駄に動き回るのは、やめよう、と思っている。こういう人が増えれば、生産性は向上するのかもしれない(笑)
労働生産性は低い。仕事が原因で鬱業を発症する人も多い。過労死する人もいる。先進国の中で賃金も低すぎる。もはや、経済大国でも先進国でもないうえに、労働者は苦しんでいる。この国のよいといころって何なのだろう。頑張ってもねえ、と思ってしまう。まだ、働かないよ(笑)