生きていくためのファッション
やっとこさ、衣替えとそれらに伴う洗濯などの作業が終わった。
冬服で気乗りしないセーターなどは捨てた。毛玉のついたスウェットなども捨てた。ユニクロのヒートテックもくたびれているから捨てたほうがいいかもしれないと思い、タグを確認する。ユニクロの(〇〇-✕✕)の四桁はその商品を投入した年と季節を表しているらしい。
ヒートテックだけではなくパンツやシャツなどのほかのアイテムもチェックすると、恐ろしいことに、6、7、8、9の数字のものがあった。一番古いのは2016年(8年前)だった。ガーン! 地味にショック。ユニクロの耐久性がすごいのか、わたしの物持ちが良いのか。
2020年以降は残すとして、2019年以前のものは何も考えずに捨てることにした。どれも色落ちしたり、ほつれもあるので、捨てても惜しくはないレベル。パンツも3本ぐらい捨てたので、新しい服を買いに行ってきた。
若いときは、多少、ボロボロの服を着ていても「若さ」というオーラでカバーできると思うが、中年になってボロボロの服を着ていると、貧しさやセルフネグレクトを想起させるので身ぎれいにしておく必要がある。それは、もう生きるための装いで、オシャレとかそういう次元ではない。自分の価値を損なわないようにするための服を買うとなると、それほど抵抗を感じないから不思議。ファッションとは趣味であり、武装であり、自己呈示であることは間違いない。ファッションに興味がないふりをしながらも、それにプレッシャーも感じてもいたのも事実。
しかし、新しい服を着るのは贅沢ではなくて、セルフケアのひとつなのだ。必要経費だと考えて割り切ってしまえばいい。
季節に合わせた服装もセルフケア。先日、夏のパンツを履いていたら通気性がいいのか、寒くて寒くて仕方がなかった。トイレの回数が極端に増えて、悲惨な一日を過ごした。これからは腹巻き必須。これもセルフケアである。多少、腹回りがだぼつくが、背に腹は代えられない。