見出し画像

山形すっぽこを何故に頑張れるのか⁉

山形すっぽこ再興推進室 推進員 細谷芽生です。

地域振興の活動を始めてなんだかんだ5年が過ぎようとしています。
2024年4月から山形すっぽこの活動が始まり生活の半分は山形すっぽこの活動のことを気にかけていたり、手を動かしていたりするかと思います。大学は、休学しないの?とか、言われてしまうくらい私は、毎日、山形、山形言っているみたいです。

普通の人は地元が好きだったとしても行動を移せる人は少ないです。しかし、私は行動しています。それは、なぜでしょうか。進路を考える上でも大事なことのような気がするので自己分析してみます。

半径1kmを変えたい好奇心

ビジネスや、研究テーマを見つけるときは、身近なところからテーマを探すんだと教えてもらった経験が誰しもあるかと思います。私に当てはめて考えると、山形市の中心市街地(霞城公園の近く)というエリア柄の部分と、郷土史が好きで歴史に関わる文化や祭りが好きなことでした。そこで、高校生のときは霞城観桜会という山形市内で一番大きな桜のお祭りの運営についてをテーマに探究活動をしました。また、家族が好きだからこそ、山形の昔を大切にしたテーマで活動したいというモチベージョンにつながるのかもしれません。祖父母まで含めて、家族全員が山形市に居住しているので、耳にする過去の話も100年分くらいになり面白い話が多いです。戦時中から戦後にかけての話で好きなエピソードが多いのです。特に叔母の着ていたワンピースの話は、同じ女性として、心躍りました。私にだけできる研究、私にだけできるビジネス、は山形市が起点にあるものなのかもしれません。私が好きな文化や歴史を30年後にも語り部やイベント、本、など手法は様々ありますが、何かしらで継続して残していくとしたらどうしたらいいでしょうか。資金面、人材、熱量、がずっと続いていくためにはどうしたらいいでしょうか。そんなことを高校生ながらに考えていて、進路を東京にし、地方についてを学びながら、社会を変える方法の一つとしてビジネスを学んでいます。

山形すっぽこの活動をやり始めてからは、大学での学びが机上の空論ではなくなるので実践と理論がどっちも噛み合う部分を見つける訓練になっていてとても楽しく感じる部分と嚙み合わせ方に途方にくれ、どうなんだいと答えの無い問をたたきつけられていると感じて苦しい部分の両方があります。難しい問に毎日向き合えているので、大学をEMCにして本当によかったと思う毎日です。充実しすぎています。また、山形すっぽこの活動をしていると、地元の知らない一面に出会うことも多くあります。住んでいる場所の知識の濃度が濃くなっていくと愛着もより濃くなっていって、その場所で過ごすなんでもない休日がなぜか愛おしくなっていきます。人生が豊かになっていくことを感じるので、住んでいる場所を中心としたプロジェクトには、これからも関わっていきたいなと思っています。

タイムリミットがある

好きなことをやっているんだから、タイムリミットなんてないだろうと思っているマイペースな自分もいます。でも一方で、私は一度切りの人生を後悔したくないからこそ、タイムリミットを意識して活動しないとと思ってもいます。私の山形すっぽこ再興推進室の活動が細谷芽生の中で生活の上位にある日々が終わるタイムリミットは、大学のプレゼンの場がある2025年2月1日までと決めています。今は自分の生活の中で優先順位の一番上に山形すっぽこがあるし、いろいろな他の活動を山形すっぽことつなげられるようにして自分を追い込んでいます。

・チームメンバーの進路
・学生時代が終わるまで後1年
・山形すっぽこっという武器をもつことはできた

タイムリミットを決めている理由は、上記の3つがあります。
自分が起点ではない理由もあるけれど、結局、1年が自分の熱量だけでやり切れる限界値なんだと思います。私は、すっぽこをつくれるようになって、すっぽこの魅力を話せるようになって、満足しています。自分ひとりでできることは、やり切った感があります。あんなに急いでいた心が穏やかになってベンチャーマインドがどこかに行ってしまっています。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」一人(少人数のチームで)進むときは、もう終わりで、ここからは、遠くへみんなで行くときですね。今、山形すっぽこは、チームを求めています。チームに求めていることは、フォロワーも、サポーターも、ただただ、関心をもってくださるでも。私ができることは、山形すっぽこ再興推進室の活動を宝石くらいの価値があるものにできるように言葉にすること、文化をつくることという役割が大事なんだと最近気が付きその部分以外は、私以外の方を頼ってもいいんだと発見しました。熱意醸成、頑張ります、声を発信つづけます。頑張った結果、すっぽこを求める声が大きくなったら山形すっぽこが地域ブランディングに必要だよねという声が大きくなってくるはずです。山形すっぽこがお土産の一つになって、観光資源になって、郷土学習の教材になって、紅花がねと、話が広くなっていく、次の物語をはじめられるんだと思います。みんなで遠くに行くために、クラウドファンディングに挑戦しています。

ブランディングの全てが詰まっているテーマ

「山形すっぽこ」は山形市の中心市街地のみで食べられてきた郷土料理で、歴史をさかのぼると江戸時代までつながります。ブランディングの根本は、事実である過去から目をそらさずに、先人の過去にリスペクトを持ち、現代での意味合いをもつように新しく組み替えることです。山形すっぽこ再興推進室は、すっぽこのリブランディングをやっているとも言えますし、過去を語る語り部をしているとも言えます。語り部は、先人のすっぽこ研究所さんが得意な領域で、私たちが得意な領域は、リブランディングです。もっと規模を大きくいうと、山形市を県外の方に説明するときに話すテンプレを考えることであり、山形すっぽこ単体で考えると山形すっぽこを求めるターゲットを変えて儲けられる仕組みをつくることでもあります。大学の授業でブランディングを学び、地域ブランディングの事例を聴くと心が躍るようになりました。「山形すっぽこ」の活動をしていると、ただ単にマーケティング戦略を正論でするだけではなく、ブランディングの考え方との折り合いをつける場面が多くあります。また、ブランディングの域を超えて、人間の行動心理が鍵になる部分もあります。言い表すのは、難しいですが、これが、実践での学びというもので机上の空論ではない学びです。それを常に吸収できていることがうれしいです。ブランディングがしっかりしている商材と出会うと心地よいなといつも思います。文章も、絵も何もかも苦手なので、そんな心地よいブランディングをつくった方へのあこがれがぬぐえないのです。

私が山形すっぽこ再興推進室を頑張れるのは
地元愛ではないのではないか?結論的な何か

多分私が、山形すっぽこ再興推進室を頑張れているのは、大学生時代じゃないと全力コミットできない領域のことで、家族だったり、地元の方に喜んでもらえることで、経験が全然足りない、素人でも、地域ブランディングに携わることができることだから頑張れるんだと思います。山形以外でも、私が、かかわれるテーマがあったら話を聞いてみたいなと思うくらい。山形すっぽこはやっぱり、棚から牡丹餅だった。活動を頑張っていると、これからの人生が広がるいろんな出会いがあるので頑張っていてよかったなと思うことも多いです。ただただ、地元愛があるわけではなく、家族が住んでいる山形エリアのみなさんと仲良くしたいなと思うきっかけの一つになったり、東京にでて、田舎もいいなと思いながら、挑戦を続けるこころのよりどころになったりするので私は、活動を続けています。活動の中で作ったグッズやコンテンツが愛くるしいというのもあるのですが、その話はまたこんど、


いいなと思ったら応援しよう!