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成人の日
無事に成人の日を迎えることができた。
小さい頃から、20歳の成人式は自分にとって特別で、どのような姿で、何をしていて、どう過ごすのだろうと考えてた。
様々な職業への興味や憧れがあって、でも飽き性で、ただ漠然と不安で「20歳の私へ」と手紙を沢山書いていた気がする。
私は、中学校3年生の1年間不登校で、高校は定時制高校で過ごし、現在は大学2年生をしています。中3の時、教室へ入れなかった私に「卒業アルバムに映りづらくなるよ」「今まで部活も続けてきたのに」と話してくれた先生が居ました。それを聴いて、先のことを言われても、今がしんどいし、怖いんだと思った。言葉がずっと頭に残っている。
毎年この時期になると、地元の人と会うことが怖い私は、成人式をどうするのかと不安に思っていた。周りや親戚は参加するのが当たり前という認識。そんな中で、行かなければ後悔するのではないか、人付き合いもできないのか、まだ逃げ続けるのかと行きたくない気持ちと葛藤していた。
あと、家族が、周囲に言われて気を遣わせることも嫌だった。
去年の冬、私はどんな成人式をしたいのか想像したとき、家族と写真が撮りたかった。いつも愛溢れる祖父母や、どんな時も味方でいてくれた家族、これからも一緒に過ごしたいし、ありがとうと言いたかった。
それがいいと見つけたことで、、成人式対して不安はなくなった。それは、自分がしたいことを、選べているからだと思う。
20歳になって、自然の流れで「成人式どうするの?」と話題になることもある。「出席はしないけど、写真を撮るよ」という。ただそれだけのことになった。
私は、不登校になった時も、定時制高校に通っていた時も、周囲の人から気を遣われることが沢山あった。気遣ってくれることはありがたいことだけど、触れづらいもの扱いを受けることは、より人に打ち明けることが怖くなった。
だから、言わないこともあったけど、言いたい時は言えば良いし、言いたくなければ言わなくていいと思うようになった。あとは、砂場でさらさらな砂を作るように、頭の中で、ふるいからふるい落としていました。(「はいはーいそんな感じな」と唱えながら)
今思うと、人が楽しそうで自分は入れなかった疎外感や、誰と参加するのだろう、そんな不安があったのかなと思う。
でも、最近になって連絡をしてくれたお友達がいた。距離が空いても、連絡をくれてありがとう。関係性は変化するけれど、縛られず、自然に任せてやっていきたいです。私は、大切にしたいことを大切にしたいです。
成人式のことに限らず、どんな選択でも、選んだことならば、それでいいと思う。心を害してまだ、かっこよくなくていいと思う。そして、思っていても変更していいし、予定はあくまで予定です。
不登校時代先が見えず、不安だったけど、今は自分の小さな幸せにきづくことができて、過ごせています。(定時制高校時代が、とっても必要な時間だった)
「復活したね」と言ってもらえることが増えたけど、起こることに対して、それが私の当たり前だから、気にならなくなりました。そして、今日は海鮮を食べ、お酒を飲み、君の花になるを見ながら過ごしました。今でも、悩むこともありますが、このままのんびりやっていきたいです🕊
長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます
素敵な日になりますように^ ^
(📷:お母さん、お誕生日おめでとうのお花)
mei