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ある男の話


「この店はコーヒーが美味しいらしいんだ」
 丁寧に手入れされた顎髭を撫でながら、男は言った。

 2×××年、技術の進歩によって世界は発展し、身の回りのものはほとんどAI化、簡略化されていた。先の有名人の言葉を借りれば、これは生物の進化の新たな形だ。

「人の手によって作られる珈琲店なんて今どき珍しいのに、客がいないですね」
 広いとはお世辞にも言えない店内には、髭面の男と若者の2組以外には、1人の老人がいるだけだった。
「そりゃそうさ。ここは喫煙可能だからな」
 そういって男は電子タバコをくわえた。
「あとあんた、人間が働いている店でそういうことを言うのはマナー違反だ。覚えておくといい」
 若者はその意味を理解しているのか否か、曖昧に頷いた。

  記者として働く若い男は、この近代化社会の中、未だに古い生活を好む人間についての記事を任されていた。別にやりたかった仕事ではなかったが、ほとんどの仕事がAIに任された社会では人の手によって行われる仕事は少なく、また大抵の場合高度な専門知識が必要であった。生の声を聞き、書き手の意志が強く反映される雑誌はその魔の手を逃れ、未だに根強いファンが多くいる。簡単な話、彼はAIやITといったもの全般に疎かった。
 かといって雑誌が売れているわけでもなかった。ただ競合相手がほとんどいないから、小さなニーズに応えるために残っているようなものだった。

「最近のタバコは値段ばかりするくせにろくなものが無い。フレーバーに拘ってオーガニックって書いときゃ消費者が喜ぶと思ってんだよ」
 タブレット型や体への害が少ないガムタイプのものもあるのに。そう思い若者は尋ねた。
「何故わざわざこの時代に電子タバコを?吸引に時間がかかりますし、体にも悪い。正直全てが非合理的で、意味がわかりません」
 街の様子をぼんやり眺めていた男は、面白くなさそうな顔をこちらに向けた。
「紙巻がもう無いからだ。若者には馴染みが無いかもしれんがな」
 そういってまた顔を背けた。ファイトクラブを見ろ、とこぼしていたが、若者はなんのことか分からないという様子だった。

「今回私が伺ったのは、あなたのような珍しい生き方をされる方の生活を知るためです。なぜそういった旧世代の生活にこだわるのですか」
 若者はその記事の執筆に行き詰まっていた。そもそも非合理的な行動が理解できないのだから、このままでは記事ページのほとんどが辛辣な言葉で並ぶことになる。男はニヤけながら答えた。
「あんた、まさに現代の若者って感じだな。効率化が大好きで会話が下手くそ。おまけに余裕もないときた。余裕が無い男はモテないぞ。男にも女にもな」
「モテる必要などありません。今では最適なパートナーを人工知能が算出してくれますし、男だの女だの性別を軽々しく口に出すあなたの方がモテないんじゃないですか」
 若者はその男の、目的を知りながら本題に入らないくどさにいらだちを覚えていた。自分を貶し、軽口ばかり叩いていては話が進まない。
「逆に聞くが何でもかんでも効率化した世界の何がいいんだ。昔はここらは人通りが多くてなあ。そういった人混みを眺めるのが好きだったんだ。街の息吹を感じることが出来た。今はどうだ。わざわざ外を出歩く必要なんてないんだからな。この街は死んでるよ」
 男は再びチャージが終わったタバコを、口に運んだ。
「今では医療が発達したことで、幸か不幸か、寿命が大きく伸びた。俺がガキの頃は人間は90そこらで死んだんだからな。そのおかげで俺も150まで生きちゃいるが、ここ50年は特に嬉しいことも無かったね。できないことは増えるくせに、高い生活費のせいで老体に鞭打って働かにゃならん」
 顔はおどけていたが、どこが毒づくような言い方で吐き捨てた。
「つまりあなたは近代化そのものに対して懐疑的であるということですか。今ではどんな病気でも治せるし、それこそ外に出なくとも買い物だって食事だってできる。公共交通機関もあなたの若い頃とは違って発展して、行きたいところがあればあっという間にたどり着けます。人が街を歩かなくなったのを悪とするなら、あなたはそういった進歩、そしてそれによって幸福を得た人々を否定することになるんですよ」
 過去に取材した人々も似たようなことを言っていた。そして効率化を正義としている彼にとって、それらの言葉はどうも癪に触った。ある男は効率化は悪だと言い放った。そして効率化に関する研究やそれを行ってきた科学者、技術者、最後にはこの国自体をも批判していた。そんなことを言うならばこの国を出ていけばいいのに、行動を起こせず甘んじている彼らを、不満はこぼすくせに結局は進歩の利点だけ享受している彼らを、どうも好きにはなれなかった。
「別にそうはいってないだろう。俺はどんなB級映画でも評価に値すると考えるたちでね。もちろん内容をきちんと理解してからだ。制作陣や設定を頭ごなしに批判するほど、俺は傲慢じゃない。あくまで感想だ」
 男はこちらを向き直して続けた。
「人間は便利なものを好んで発展してきた。別にそれは悪いことじゃない。だがその副作用として、人間の選択権はどんどん奪われていったんだ。我々が気づかないうちにな」
 若者は理解が出来なかった。
「意味がわかりません。現代ではやりたいことをやりたい時になんでも出来ます。選択の幅は無限にあると言っても過言ではありません」
「じゃああんた、今朝何を食べたんだ」
「ミールバーです」
「どうしてそれを選んだんだ」
「どうしてって、一日の栄養の半分以上を簡単に摂取できます。効率的ですし、何より安価です」
「そういう事だ。結局、合理的判断が先にたって、美味いものを食おうとか、季節ものを作ろうとか、たまには高いものを食いに行こうという余裕がなくなっちまったんだよ」
「今だってあなたがたべたいものをたべることは可能ですし、それが選択の不自由とどう関係あるんですか」
 男は深いため息をついた。それが若者をより一層苛立たせた。
「結局あなたがたのような人間は、旧世代のものが好きなんじゃない。近代化そのものが気に入らないんだ。子供がかっこつけようとして背伸びしているのと同じだ。不満ばかりこぼして、落ちぶれた自分とまともに向き合ってない」
 進まない会話、男の話口調、取材してきた人々の意味不明な主張、慣れない店内の雰囲気全てが彼を苛立たせていた。どうにでもなれ。こういった人種への嫌悪感が噴きだした。もうほとんどやけくそだった。
「俺がいつ落ちぶれたことに対して不満をこぼしたって言うんだ。だがあんたがそう思うなら、そうなんだろう」
 拍子抜けだった。ここまで言ってしまったら、男は頭にきて帰ってしまうのではないか、と思っていたからだ。その態度を見てから、彼はいたたまれなくなってしまい、口を閉ざした。
「いいか。俺は他人がどう思うと気にしちゃいないんだ。それは俺に何ら影響がないからな。選択の自由が失われた、と言ったな。あんたの考えもそれの産物だ。近代化によって形作られた価値観を、なんの疑いもなく正解だと思い込んで、それ以外のものに思いを馳せることがない。
 かと言って寄り添って欲しいわけじゃない。あんたが、あんた自身の価値観に基づいて考えているなら、それは1種の制作物になり得る。だが幅の狭い価値観のままの人間の映画なんて知れたもんさ。面白くないんだ。
 タバコだってそうさ。吸う意味なんてない。あんたが言った通り非合理的だよ。だが合理的かどうかだけじゃ幅は出ない。俺にはタバコひとつとっても多くの思い出がある。そしてそれは言葉にしない限り、俺にしか分からない。コーヒーだってそうだ。俺はここのマスター、というか人が好きなんだ。人には好き嫌いの価値観がある。想像豊かな心がある。
 例えばリンゴがあるとする。AIにリンゴを見せたら、リンゴの出来方とか、リンゴが何科の植物だとかそんなことを言うだろう。そこになんの面白みもないだろ。だがリンゴを好きな人間に見せたらどうだ。目を輝かやかせて、俺にくれと言うかもしれない。リンゴアレルギーを持つ人間に見せたらどうだ。見るのも嫌であからさまに顔を背けるかもしれない。
 これは極端な話だが、つまりはそういうことだ。思考の幅っていうのはそいつの、思い出のような過去だったり、好き嫌いだったり、そういったもので定義された価値観に伴って変化するはずなんだ。そしてその過去を多種多様なものにするのは、そいつがしてきた選択なんだよ。
 じゃあなんでその差は生まれると思う?その差が、その幅が、そしてそこに思いを馳せるのが、俺は好きなんだよ」
 若者ははじめはよくわからないといった顔付きだったが、その顔は次の瞬間一変した。
「あんたが記者になった理由だって俺の知ったこっちゃない。が、そこにはあんたにしかわからないストーリーがある。多種多様な面白い価値観があるから、それが人間にしかないからAIに奪われなかったんだろ」
 瞬間、電撃が走ったようだった。その考えがあまりに新鮮だったからだ。彼はAIに疎かったから仕方が無く記者になった。果たしてそれは彼の本当の選択だっただろうか。必要なものがないからと、いつの間にか狭まった選択肢の中から、しょうがなく選んだものではなかっただろうか。過去に取材してきた人間たちは、本当に不満をこぼしていただけだっただろうか。その不満のもっと先をおもいやっていれば、もっとなにか得るものがあったのではなかろうか。
 若者ははじめて、男の言っていることが理解できたような気がした。
「人の思考なんて見えるもんじゃないだろう。だから俺は、どんな制作物に対してもリスペクトを持つんだよ。書く書かない、その選択を常に行って、製作者の価値観に従って、それらは生み出されるんだ。もちろんこれから作られるであろう、あんたの記事に対してもな」
「あなたは懐が深いんですね」
 若者はそれ以上の言葉が出なかった。
「そう思うか。俺が行きたい場所で、好き勝手、それも相手のことを思いやらず話す俺を見てもそう思うのか。だとしたら、お前の人に対する価値観ってのはまだまだだな」
 そういって男は、まるで子供のように笑った。

 若者は非常に満足だった。締め切った部屋の窓を開け放したような気持ちだった。いつもなら無人タクシーで帰るところだが、今日は歩いてみようか、そして昼には、そうだな、カレーでも作ろうか。そんなことを考えながら、今まで取材してきた人達にもう一度話を聞くべく、小型タブレットを片手に歩き出した。

「あの子、なんだか嬉しそうでしたね」
マスターがコーヒーを運んでくる。
「今の若い人間はろくに教室で授業を受けないそうですね。会話自体ほとんどしたことないんでしょう」
「あいつは多分今頃、偉い坊さんの説法でも聞いた気持ちで、今日は歩いて帰ろうかな、なんて思ってんだろ。その選択肢は俺が与えたもので、俺があいつの選択肢をせばめた結果だと気づいちゃいないんだ。
 人間は今、真っ白で何不自由ない四角い部屋に入れられてるのさ。そこに扉があることにも気付かずな。まあ、結局のところ、俺が手取り足取り全部教えないことには、あいつが本当に理解することなんてないだろうな」
 男はニヤつきながら話す。
「じゃああなたが映画でもつくったらどうです。そうしたらあなたの考え方が理解されるかもしれませんよ」
 マスターもまた、ニヤついてた。
「それは俺と同等の人間のみが理解出来るもんだろ。仮に作るとしたらそうだな、三部作ぐらいにはなるかな。あんまり説明口調なのも面白くないが、考える余白が多すぎると情報が足りなくて理解されない。つまるところ、考え方に差が開きすぎた人間とは、そいつらが自分から外へ出ようとしない限り、分かり合えないのさ」
「そうなったら、違う時間に違う場所で目を覚ますしかないですね」
「それなら俺はあいつのタイラーだな」
 ふたりの男は目配せをして笑いをこらえていた。

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