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私が見た南国の星 第5集「走馬灯のように」⑧

 今回はちょっと長くなりました。まだ、体調が回復していないのに、フル回転でお仕事されてる野村さん、大丈夫なのかしらと心配になります。日本人のお客様には「海南島に素晴らしいホテルがあった」という思い出を持って帰ってほしかったのでしょうね。本当に忙しいゴールデンウィークです。

ゴールデンウィーク


 風邪も治りが遅くて微熱が続く日々の中、とうとう連休がやってきてしまった。
 この年も、またゴールデンウィーク期間中にトラブルが発生して、自分の体調を気にかけている暇がなかった。
中国人客は、とにかく声が大きい。騒音に近いと言っても言い過ぎではない。仕事をはじめた頃は、事務所で仕事をしていて、外から大声が響いてくるので、よく喧嘩が始まったのかと思って、馮さんに尋ねたことがある。
「馮さん、どうして中国人は声が大きいの?皆さん耳が悪いのでしょうか」
そんな質問をしたものですから、彼女に大笑いされた。
「お姉さんって、面白い方なのですね。そんな事を言った人は今までいませんでしたから、笑い出してしまってごめんなさいね」
私は冗談で言ったつもりはなかったが、彼女は冗談だと思っていた。
なぜ中国人の声が大きいのか理由はわからないが、
「本当に声が大きいから外国へ行ったら恥ずかしいですよね」
と、馮さんも自分の声が大きいことを気にしていたこともあった。宿泊客は夜中でも大きな声で会話をして、マージャンをしながら大きな声で笑い出すので、「うるさい!」のだ。ここの生活も五年目に入ると、少しは大声も気にしなくなるが、あまりにも声がうるさい時には、いくら客であろうと注意をしていた。
 中国人は、集団で行動をすることが好きなようなので、なおさら声も大きく感じるのかもしれない。この時は、大声がうるさいと思っていたが、今の私は、中国人の声がうるさいとは言えない立場になってしまった。それは、今私は、自分の声さえも聞えないくらいの重度難聴者となり、周りからは声が大きいと注意をされているからだ。しかし、この頃の私は健聴者だったので、大声には我慢できなかった。人の声がうるさくて、ストレスを感じるなど、日本で生活をしている時には思いもしなかった。
 ゴールデンウィーク中は、風邪を拗らせ微熱も続き大変だったが、寝込んでいるわけにもいかず、無理をしながら業務に励んでいた。
 5月3日には日本人客の予約も入っていたので、トラブルが発生しないように何度も確認をしていたが、体調不良と中国人客の大声にイライラしていた
 客の大声がエスカレートしてきたので、何度も注意をしたのだが、全く効き目がなかった。夜中の3時過ぎに、部屋の中でマージャンの音と大声、それに対する他の客からの苦情を対処していた阿浪は、寝不足が続いてか、
「阿浪、明日は日本からの大切なお客様が来店されます。今までのような事があれば、次回からは来ていただけなくなりますから十分に配慮をして下さい」
と、少し強い口調で言ってしまったが、彼は素直に聞きいれてくれた。
そして、当日、何だか落ち着かなくて、問題が起こるのではないかという予感がしていた。
 
クーラーの故障
 夜の8時頃だった。
「クーラーが冷えないから早く修理をして!」
すごい剣幕で、客の女性がフロントで大声を出していた。事務所にいる私の所まで聞こえてきたので、びっくりして顔を出した。
 客室のクーラーは、毎年のように故障が続くため、原因を調査したが、原因は不明だと修理会社も頭を抱えているほどだった。今回も結局、町の修理業者から来てもらったが、どうしても直らなかった。このホテルではパナソニックのクーラーを設置していたので、まさか簡単に壊れるとは夢にも思っていなかった。本当に不思議としか言いようのない現実に、どう対処すれば良いのかと悩むばかりだった。故障は一台や二台でなく、次々とクーラーが冷えないとか、漏電するとか、トラブル続きだった。
この日は、日中とても陽射しも強く暑かったので、部屋のクーラーが効かなければ、誰だって苦情が言いたくなる。しかし、修理人もお手上げの状態だし、満室では部屋を移動してもらうわけにもいかないので、仕方なく、臨時コードでレストランから送電させた。連休中で何処のホテルも満室状況なので、他のホテルに移ってもらいことも出来なかった。
 その日の客は、料金を割引することで、やっと納得してくれた。中国人客の場合は、このような状況になっても、「お金」の話を持ち出せば必ず納得をしてくれる。
 このようにトラブルが発生する度、ホテル業の辛さをしみじみ感じた。今回のクーラー故障については、連休明けに海口市の松下電器代理店から調査に来てもらったところ、室外機に問題があったようだ。ホテルの建設にあたり、全ての運営を鄭氏に任せていたのが失敗だったということは言うまでもないが、設備に関しても手抜き工事をされていたとは、呆れてしまった。
 土の中に埋めてあった電線を調査すると、いくつもの短い電線をつなぎ合わせて送電されていた。実際、自分の目で見たのだが、電気関係については全く無知の私でも、この工事を見たら漏電をするのは当たり前だと思った。電線をPC管の中に通さずに、そのまま土の中に埋めてしまったのだから、雨が降って水が入り漏電するのも当たり前だろう。連休前の設備点検の際は、異常がないと報告されていたのだが、いったい何を点検していたのだろう。
 
尾関様ご一行様
 この出来事が起った翌日からは、社長の知人が日本から来店をされるので、問題が起きないようにと、それだけを考えていた。私は自分が風邪を拗らせているのも忘れて、数日ずっと客の対応に神経を集中していたのだった。
 この日の夜は、どうしても寝付かれないので困り果てていた。寒気がして身体中の関節も痛くなり、毛布に包まって我慢をしていたのだが、やはり朝方になって39度まで体温が上がっていた。天井がグルグル回るし、起き上がれない状態だったが、「寝込んではいられない、頑張って仕事をしなければ」と自分に言い聞かせ、そして解熱剤を少し多めに飲んで暫く休んでいた。やっと、体温も37.2度まで下がり寒気も無くなったので、急いで身支度をして事務所へと向かった。
 歩き出した途端に自分の身体が宙に浮いているような感じがした。
「ママ、顔色が変ですよ!また熱が出てきたのでは?」
と社員に気付かれるほど私の身体は疲れ果てていた。
「今日は社長のお客様がいらっしゃいますから、問題が起きないように注意して下さいね」
 社員たちが心配をするので、精一杯の気力で笑顔を振りまいた。
しかし、この時、私の身体は風邪の症状が想像以上に悪くなっていた。阿浪が代理を務めてくれていたので、他の仕事は任せていたが、この日のお客様だけは私が接客をしなければならなかった。以前も社長と一緒のツアーに参加されて、三亜市のホテルから毎日タクシーで来店されるほど、このホテルを気に入って下さった方だったのだ。今回は三亜空港へ到着をされてから、タクシーで来店をされると聞いていたが、予定の打ち合わせの際に、「空港へお出迎えをします」と連絡をしたのだが、ツアー参加のため、初日は三亜市のホテルへ宿泊されるとのことだった。三亜市のタクシーは、高額の料金を請求することがあるので、少し気がかりだった。
 到着の予定時間が迫ってくると事務所にいても落ち着かず、何度も玄関先まで見に行った。
「もう直ぐ到着をされると思いますから、客室のクーラーを点検させておいて下さいね」
と阿浪へ指示をした時、フロントから外線の電話が入っていると言われた。
「尾関です!三亜市のホテルからタクシーが捕まらず困ってしまいました。申し訳ないですが、迎えをお願いできますか」
と、言われたので、慌ててしまった。
「尾関様、今からお迎えに参りますが、1時間半くらいの時間がかかりますので宜しいでしょうか。宜しかったらホテルロビーでお待ち下さいませ」
ちょうど阿浪が電話の横にいたので、尾関様の迎えを直ぐに頼んだ。私も中国の運転免許証は持っているので、自分で迎えに出掛ければ良いのだが、体調が悪くホテルで待機をすることにした。阿浪は日本語も少し話せるようになったので、多少の会話は大丈夫だと思った。緊急時に備えて一人社員を同行させ、阿浪は三亜市へと向かった。
 このような時には、なぜか時間の経過も遅く感じるものだ。
「こんな事なら、やっぱり昨日中に打ち合わせの連絡をしなければいけなかった」クーラーが故障で、夜の11時過ぎまでバタバタしていたので、タクシーの予約までは気がつかなかった。
 
日本人のお客様たち
 尾関様ご一行の宿泊予定人数は4名だった。しかし、別にも日本人客の来店もあり、大忙しだった。その方たちは、すでに到着をされていてチェックインも済んでいた。
慣れない地なので、何回も私を呼んで、客室と事務所を行ったり来たり、馮さんと動き回っていた。
「ママさん!今日は何時から食事が出来るのですか?」
「女将、温泉は海水パンツをはかなくてはダメですか」
などといろいろ言われ、パニック状態だった。客室の宿泊案内には、日本語で説明が書いてあるが、そんなのは読む余裕がないのだろう。始めての海南島旅行の方たちなので、仕方がないと思うしかなかった。
「お客様、中国旅行社の添乗員は何処に泊まっているのでしょうか」
あまりにも呼びつけられることが多くて、身動きが出来ない状況でしたから尋ねると、
「どこって?そんなの言われても、我々には何処のホテルだかわかるわけはないでしょ!」と言われた。確かに聞くのが間違っていたのかもしれない。
「では、こちらから旅行社へ連絡をして確認を致します。有難うございました。どうぞ、ごゆっくり温泉にでもお入り下さいませ」
そう言いながら、その場を立ち去ろうとするとその客は、
「マダム、時間があったら話でもしたいのだけど」
と言われた。
「えぇ?嘘でしょ!こんなにも忙しいのに、ゆっくり話なんて出来ないわよ」
と心の中で叫んだ。しかし、これも私の仕事なので、断るわけにはいかない。
「そうですね、今はちょっと時間がありませんから、夜になれば時間が空くと思いますので」
心にもない言葉が出てしまった。内心は、
「冗談じゃないわ!時間があったら、ゆっくり静養して体調を元通りにしたいわよ」
というのが本音だった。
 今回の日本人客グループは二組とばかり思っていたのだが、上海からも日本人客の予約が入っていた。上海の会社名で予約をされていたので、フロント社員は中国人と思っていた。顔も日本人らしくなかったし、中国語が大変じょうずだったので、間違えてしまったようだ。事務所にいた私の所へ、社員が真っ赤に頬を染めてやって来て、
「ママ、どうしよう!お客様は日本人だって。ママを呼んでいます。私、中国人と間違えてしまったから叱られるかも、ごめんなさい」
と緊張した様子で言った。
「大丈夫ですよ、お客様は何処にいらっしゃいますか」私の笑顔で社員はホッとした様子だった。
「ロビーでお茶を飲んでいらっしゃるはずです」
と言われ、事務所を出てロビーへと向かった。日本人客は、まだ若い青年で、二人連れだった、日本語を話されなければ中国人だと誰でも思ってしまうようなふたりだった。
「はじめまして、私は日本人ですが、あなたはここの支配人の方ですか」
この日本語も少し発音が聞きなれない感じがした。
「はい、私がここの総支配人です。どうぞ、宜しくお願いします」
月並みの挨拶をしたのですが、先ほどの日本語に思わず笑いが込み上げてしまった。
「どうしましたか?」
と言われ、
「ごめんなさい!先ほど私の社員が、お客様を中国人と間違えてしまったのです。私もお会いして、ご挨拶の日本語が中国人の方に言われたような気分になってしまい、失礼をしました」
と正直に言うと。不機嫌な顔もされず笑いながら、
「そうなのですよ、実は何処へ行っても中国人と間違えられます。これは嬉しいのか、悲しいのか理解に苦しみますね。でも、そんなに日本語のトーンが変だったのでしょうか」とても気さくな好青年だったので、私も忙しい状況も忘れて会話を楽しんだ。年齢をお聞きすると、30代後半だといったが、どう見ても20代前半の青年にしか見えなかった。
「えぇ、冗談がきついですね」
と私が言った途端、
「じゃあ、パスポート見ますか?」
と差し出された。
「わぁ、今の方が若いですね」
と言って、
「しまった!」
と思った時、 
「そうですよね、修正をしておけば良かったのですが、時間が間に合わなくて」
と、漫才のように楽しい会話だった。その方は、今はどうしていらっしゃるのかはわからないが、あの爽やかな出会いは、数年たった今でも懐かしい。
阿浪が三亜市へ出掛けてから2時間半が経過し、気になりかけてきた私は玄関先へ向かった。
「ママ、ホテルの車が帰ってきましたよ。見て!」
と、保安係りの陳海龍が教えてくれた。彼の指の方向を見ると、確かに阿浪の運転する車が見えた。
車が玄関先に到着して、尾関様が車から降りてこられたので、
「お久しぶり、お元気でしたか」
と挨拶した。優しい方なので、緊張感もなかった。今回は二度目の来店だが、他の方々は始めてお会いしたせいか少し緊張した。皆さん愛知県の方で会社の社長ばかりだということだった。
 高齢者の方が、
「あぁ、疲れた!」
と言われて、ロビーの椅子に座ったので、
「露天風呂は今からでもご利用が出来ますので、旅の疲れを癒していただければ幸いです。如何でしょうか。私がご案内をさせていただきますが」
と、気を遣っている私を察して、別の方が、
「昨日は遅くまで酒を飲んで起きられんかったからだわぁ!もう若くないから早く寝よって言ったのにぃ」
と冗談を言われた。そんな懐かしい尾張弁を聞いて、楽しくなった。
 夕食の献立は、私に任せると言われたので、客室を出て直ぐにレストランの厨房へと向かい、
「今日の夕食準備は出来ていますか。日本人客のテーブルは三卓ですから間違えないようにね。衛生管理も忘れないで下さい」
と言った後は、各部所を回っては、点検や確認に追われていた。
 別の日本人客の添乗員の件をすっかり忘れていた私は、足早に事務所に戻り、海口市の旅行会社へ連絡をするようにと指示をした。その会社には事情を説明して、添乗員の携帯電話番号を教えてもらい、
「あなたは自分の客に責任を持っていないのですか!日本人の方は言葉もわからないし、私に全て任せるつもりなのでしょう。どうして最後まで面倒を見ないのですか」
と苦情を言った。添乗員は、運転手と自分が泊まる宿探しをしていたようで、
「ごめんなさい!もう直ぐ戻りますから日本人の方をお願いします」
と言った。こんなことは、事前に町のホテルへ予約をしておかなければならないと思うのだが、やはりこれが中国式なのだろう。計画性がなくて、当日になってバタバタしてしまうのだ。相手が、低姿勢だったので、これ以上言っても何の得もないと思い、添乗員が戻るまで様子を見ることにした。
 すると今度は、尾関様が私を訪ねて事務所に来られた。
「どうされましたか、何かご用でしょうか」
と声を掛けると、携帯電話の使い方がわからないから教えて欲しいとおっしゃった。日本から海外用の携帯電話を持ってこられたようだったが、阿浪も使い方がわからず調べてくれた。町の移動通信へ訪ねても使用方法はわからなかった、結局、尾関様は諦められて客室から日本へ電話をされていた。私自身も機械関係や電子関係には無知で、どうしようもなかった。
 やっと少し落ち着いたと思ったら、今度は中国人客からの苦情だった。また客室のクーラーの問題だったが、昨日と状況は同じだが、同じ部屋ではなかった。室外機の故障のため、ホテルの修理係りでは直すことができないので、また町の業者を呼んだが、修理は不可能と言われ、新しい室外機を購入するしかなかった。
 そして、クーラーの次には何が起きるのだろうと思っていると、
「ママ、お客が胃の薬が欲しいそうです」
社員から報告を受けた。
「いくら社長が医者でも、ここはホテルであって病院じゃないわよ」
私だっていい加減にして欲しいと言いたくなる。町まで薬を買いに行けば、往復1時間はかかる。その間に何が起きるかわからないので、社長から戴いた私専用の胃薬を自分の部屋から持ってきたものの「もしも、別の病気だったとしたらどうしよう」この薬を飲んで、もしも身体に異常が出たと言われたらそれも困る。とりあえず客室まで行き、
「どうしましたか?胃が痛いそうですが町の病院へ行きましょう。薬で治らなければ困りますからね」
と、遠まわしに言葉を掛けた。その方は急性胃炎のようだった。
「日本の薬ですが飲まれますか。もしも治らなければ直ぐ病院へ行きましょう。とりあえず、ここに持ってきましたがどうしますか」
少し不安だったが、飲みたいというので、1カプセルを渡した。その方は直ぐに飲んで、ベッドに横になった。
 客室を出て事務所へ戻った私に、今度は添乗員のいない日本人の方から内線電話が掛かってきた。
「女将!ちょっと来てくれませんか」
用件もわからないのに、簡単に客の部屋へは行けないので、
「どうされましたか。何かご用でしょうか?」
イライラしながらも丁重に尋ねたが、その方はまるで自分のメイドを呼びつけるような言い方をされ、
「用事があるから呼んでいるのだよ!いいから来て」
「私は只今、手が離せない事がありますので暫く待っていただけないでしょうか」
怒りを抑えながら、冷静に答えた。
「そう、忙しいのかね。だったら自分から女将の所へ行くよ!何処にいるのだね」
何てしつこい男だと思いながらも、お客様なので我慢した。
「私は事務所におります」
少し言い方が強かったが、その方は5分もしないうちに事務所へ来られて、
「女将の仕事場まで来て失礼!実は、これを食べてもらおうと思ってね、持って来たのだよ」
手に提げてきた紙袋を机の上に置いた。
「これは何でしょうか。中を見ても宜しいですか」
そっと紙袋の中を覗くと、その中には、日本から持ってこられたコシヒカリの「真空パック入りごはん」や「さばの缶詰」、「ふりかけのり」など、日本の食料品が入っていた。そして、昔懐かしい「げんこつ飴」は、私が子供の頃に祖母が食べさせてくれたのを思い出させてくれた。何だか、この方のことを勘違いしていて、申し訳ない気がした。少し口が悪い方だったので印象はよくなかったが、事務所で昔話を聞いていたら、意外と正直な方のようだった。
「新潟県の貧しい農民の子供として生まれ育ったから、この田舎に来たら昔を思い出しちゃったよ。こんな田舎で、あんたに会えるとは夢にも思わなかったけど、頑張っている姿を見ていると可哀想に思うね。でも、ここで生活できるなんて、今の日本人の女では、あんたが一人だけだと思うよ。頑張ってほしいね」
とおっしゃった。きっと、その方も昔を思い出して、自分の生い立ちを誰かに聞いてもらいたかったのだろう。年齢的には人生の大先輩のかれの昔話を暫く聞くことにした。30分くらいだったが、満足されたようで、
「命があったら、また会いに来るから頑張って生きてほしいよ」
と、最後は、何だか自分に言い聞かせるように話をされた。こんな山奥でも、こうしていろんな日本人の方に出会えて、ここで生きている私は幸せなのかもしれないと思った。もし日本いたら、これらの方々との出会いはなかっただろう。このようなお客様とのご縁も、私にとっては大切な思い出の一ページだ。


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