2024年10月11日、鎌倉宮にて行われた第六十六回 鎌倉薪能に参加。天候にも恵まれ、やや涼しさを感じるまさに日本の秋という中での素晴らしい体験で、忘れぬうちに聞いたこと・感じたことをまとめておきたい。
鎌倉薪能とは?
概要はまあそういうことだが、これでは事の次第がよく分からない。ここは、鎌倉薪能総合プロデューサーを務めるシテ方金春流能楽師の山井綱雄氏による熱い解説を引きたい。
加えて、鎌倉市観光協会会長の大森道明氏による挨拶もここに引いておこう。
薪能とは、天下泰平・国土安穏を祈念して神に奉納されるもの。観客に向けられたものではない。だからこそ、コロナ禍にあっても「無観客」にて行われ、金春家は900年近く世界遺産・奈良春日大社にてその勤めを任じ続けている。
その祭りの手法・心をそのままに、関東で実現しているのがこの鎌倉薪能であり、関係各位の尽力・協力の下、天皇家所緑の御神域にて1959年から続けられてきたということだ。
自然災害が猛威を振るい、世界では戦争の出口が見えない昨今。悲しいニュースを前に自分にできることは少なく、無力感に苛まされることもある。しかし、先人たちも同じように心を痛めてきたからこそ、この平和への祈りは古来より続いてきたのではないか。それがこの先の未来においても不変であり、不滅であるとする金春流のいかに力強いことか。
素謡「翁」/金春流
さて、ここからは演目について感想をまとめていきたい。
素謡ではないが、金春流の「翁」のダイジェスト映像を発見したのでここに載せておこう。
聴いているうちに段々とトランス状態に入っていく感覚がある。例えるならミニマルテクノのようだ。
この「翁」は謎も多いそうで、「翁」研究を進めるOKINA PROJECTのサイトには下記のような記載がある。
山井綱雄氏は、翁面にあるように、お年寄りが人生の晩年にあってもにっこりと微笑むそのような国・世の中こそが天下泰平・国土安穏の姿である。と、1つの仮説をお話されていたが、その通りだ。現在の日本は、お年寄りが笑っていられるそんな社会になっているのだろうか。
狂言「墨塗」/和泉流
続いては狂言。狂言は中世の庶民の日常や説話を題材に取り、人間の習性や本質を滑稽に描いた喜劇で、能楽の一種。
主役は「シテ」、相手役は狂言において「アド」と呼ばれるが、シテを二世野村萬斎の長男である野村裕基が、アドを内藤連が演じた。
能「通小町」/金春 安明(シテ方 金春流 80世)
そしてこの日の最後は「通小町」。あらすじの解説として分かりやすかったのはこのあたり。シテを八十代目の前宗家・金春安明氏が演じた。
結末では、生前に叶わなかった百夜目が描かれ、少将は祝いの酒を望むが、酒を飲んではいけないという仏教の戒め「飲酒戒」を保つことを思い出して少将&小町が成仏に至る。
解説にさらっと「邪淫戒」によって地獄に堕ちた、と書いてあるが、邪淫戒とは五戒の一で、夫婦間以外の性行為や、夫婦間でも正常でない性行為を禁じたものとのこと。
え?という感じもあるが、小野小町は美人で頭も良かったということだから、想像たくましくした伝説が多く作られたのだろう。wikiに小町を題材とした作品がまとめられているが、日本最古のファム・ファタルとも呼べたりもしそうだ。
ということで、演劇や歌舞伎を観ている内に、能もまた楽しみ方が分かってきた。来年まずは観世流で「翁」を観に行く予定だが、機会があれば薪能の遠征などもできたら良いなと思う次第である。