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第六十六回 鎌倉薪能

2024年10月11日、鎌倉宮にて行われた第六十六回 鎌倉薪能に参加。天候にも恵まれ、やや涼しさを感じるまさに日本の秋という中での素晴らしい体験で、忘れぬうちに聞いたこと・感じたことをまとめておきたい。


鎌倉薪能とは?

鎌倉薪能は1959年(第1回目)より半世紀以上続いており、発祥と言われる奈良・京都に次ぐ長い歴史がある伝統の古典芸能は、今年で66回目を迎えます。鎌倉宮の杜に囲まれた特設舞台は、独特な雰囲気を醸し出し、能楽界を代表する超一流の方々のご出演により神事能として高い評価を得ています。
野外能ならではの魅力あふれる鎌倉薪能、本年も鎌倉宮にて虫の音・月の光・そよぐ風を感じながら、金春流能楽師 金春憲和師・金春安明師が素謡「翁」、能「通小町」を、狂言は和泉流による「墨塗」を奉納いたします。

https://www.trip-kamakura.com/site/kamakura-takiginoh/

概要はまあそういうことだが、これでは事の次第がよく分からない。ここは、鎌倉薪能総合プロデューサーを務めるシテ方金春流能楽師の山井綱雄氏による熱い解説を引きたい。

鎌倉薪能は不変・不滅

鎌倉薪能は、「薪能の元祖」奈良興福寺での「薪御能」、京都平安神宮での「京都薪能」に次ぐ、全国三番目の歴史を誇る薪能として、永らく多くの人々に愛され、沢山の関係者の皆様の御理解・御努力により、今日まで存続してきました。 私は金春流能楽師として、この鎌倉薪能の「存在意義」について述べさせて頂きたいと思います。

我が流派・金春こんぱる流は、能楽最古の歴史と伝統を誇り、太閤豊臣秀吉公にも大変に愛好されました。 初代は、聖徳太子の後見人ともいわれた秦河勝はたの こうかつといわれ、以来、現宗家金春憲和師まで八十一代、約千四百年もの歴史を紡いできました(本日 能通小町シテ(主役)金春安明先生は憲和師の父君であり八十代目の前宗家)。

その歴代金春宗家が最も大切にされてきたのが、世界遺産・奈良春日大社で約九百年近く今現在もお勤めになられている「春日若宮おんまつり」です。この祭りの手法・心が、そのまま天皇家所緑の鎌倉宮の御神域で開催される、この鎌倉薪能に生かされています。

昨今のコロナでも、関係者のみ「無観客」で鎌倉薪能は本殿の拝殿にて、続きました。 それは、鎌倉薪能と歴代金本宗家の「平和への祈り」は、いつの時代も、これからも不変であり、不滅なものであるからに他ならないからです。

加えて、鎌倉市観光協会会長の大森道明氏による挨拶もここに引いておこう。

薪能は元々神事として始まった日本古来の伝統芸能です。鎌倉の日本遺産構成文化財のひとつであり、後醍醐天皇皇子の護良親王を御祭神とする由緒ある鎌倉宮で行われる薪能では、古からの日本の伝統を体感することができます。かがり火に照らされて、鎌倉宮の杜の中から能舞台が浮かび上がる神秘的な薪能の世界をじっくりご堪能いただければ幸いです。

薪能とは、天下泰平・国土安穏を祈念して神に奉納されるもの。観客に向けられたものではない。だからこそ、コロナ禍にあっても「無観客」にて行われ、金春家は900年近く世界遺産・奈良春日大社にてその勤めを任じ続けている。

その祭りの手法・心をそのままに、関東で実現しているのがこの鎌倉薪能であり、関係各位の尽力・協力の下、天皇家所緑の御神域にて1959年から続けられてきたということだ。

自然災害が猛威を振るい、世界では戦争の出口が見えない昨今。悲しいニュースを前に自分にできることは少なく、無力感に苛まされることもある。しかし、先人たちも同じように心を痛めてきたからこそ、この平和への祈りは古来より続いてきたのではないか。それがこの先の未来においても不変であり、不滅であるとする金春流のいかに力強いことか。

素謡「翁」/金春流

さて、ここからは演目について感想をまとめていきたい。

素謡「翁」(撮影:辻井 清一郎)

「どうどうたらりたらりら、たらりららりららりどう」という神聖なうたいが会場に響きます。その詞章は「天下泰平・国土安穏」など、祝福に満ちた謡になっています。

「翁」は正月や祝賀能など、特別な公演の時にしか上演されない演目です。「翁は能にして能にあらず」と言われるように、他の曲と一線を画し、神聖視されています。「翁」には演劇的な筋立てはありません。儀式性が強い祝福の曲です。

今回は着座のままで、謡のみを聴かせる素謡の形式で上演します。

出典:能楽金春流情報サイトより

素謡ではないが、金春流の「翁」のダイジェスト映像を発見したのでここに載せておこう。

聴いているうちに段々とトランス状態に入っていく感覚がある。例えるならミニマルテクノのようだ。

この「翁」は謎も多いそうで、「翁」研究を進めるOKINA PROJECTのサイトには下記のような記載がある。

どうして白色尉と黒色尉とがいるのでしょうか。
どうして翁面は笑っているのでしょうか。
どうして翁、つまりは老人が舞うのでしょうか。
いまのところ、こうした疑問への明確なこたえはみつかっておりません。
ですが、「翁」を通して、神や仏そして自然に、
人間の健康と世界の平和を祈る。
そういうことが、これまで何百年も続けられてきました。
いつの時代にも求められるものがそこにはあるようです。

https://okina-pj.com/whats/

山井綱雄氏は、翁面にあるように、お年寄りが人生の晩年にあってもにっこりと微笑むそのような国・世の中こそが天下泰平・国土安穏の姿である。と、1つの仮説をお話されていたが、その通りだ。現在の日本は、お年寄りが笑っていられるそんな社会になっているのだろうか。

狂言「墨塗」/和泉流

続いては狂言。狂言は中世の庶民の日常や説話を題材に取り、人間の習性や本質を滑稽に描いた喜劇で、能楽の一種。

遠国の大名(シテ)が都での訴訟が解決したので、領地へ戻ることにします。そこで太郎冠者(アド)を連れ、親しくしていた女(小アド)へ暇乞いに行きます。別れを聞いた女は涙を流して悲しみますが、太郎冠者は、女が目に水をつけて泣いたふりをしていることに気付きます。大名に告げてもわかってもらえないので、太郎冠者は水の器を墨の入った器と取り換えて…。
 
誤って顔に墨を塗ってしまう話は、平安時代の平貞文、平中の滑稽談として有名でした。『源氏物語』「末摘花」の幼い紫上と光源氏が戯れる場面でも、平中の話をふまえた会話がなされます。その滑稽談とは、平中が水で目を濡らし泣いたふりをしていたのを女が見破り、水入れに墨を入れたという話で、『古本説話集』などに見えます。ちょうど狂言の男女が入れ換わっている展開です。

https://www.trip-kamakura.com/article/kamakura-takiginoh/kyougen.html

主役は「シテ」、相手役は狂言において「アド」と呼ばれるが、シテを二世野村萬斎の長男である野村裕基が、アドを内藤連が演じた。

能「通小町」/金春 安明(シテ方 金春流 80世)

そしてこの日の最後は「通小町」。あらすじの解説として分かりやすかったのはこのあたり。シテを八十代目の前宗家・金春安明氏が演じた。

https://nohgaku-kyodo.com/repertoire/yondemiru-kayoikomachi20240630

小野小町に恋をした深草少将(シテ)は、小野小町(ワキ)に「百夜(ももよ)通えば会う=結婚する」と言われたと思いこみ、雪にも雨にもめげず通い、いよいよ願いのかなう百日目の途上、死んでしまいました。時を経て小野小町も亡くなり、死後の世界。成仏できないで迷う深草少将は、成仏しようとする小野小町をはばむのでした。恋に狂う男の妄執が、限りなく切なく、舞台上に立ち現われ、深草少将の悲壮かつ鬼気迫る姿は、今を生きる私たちの感情をゆさぶります。

https://www.ryutopia.or.jp/performance/blog/m2de79wj/27062/

結末では、生前に叶わなかった百夜目が描かれ、少将は祝いの酒を望むが、酒を飲んではいけないという仏教の戒め「飲酒戒おんじゅかい」を保つことを思い出して少将&小町が成仏に至る。

<通小町>は、少将の一途で激しい執心が仏の「戒め」を軸に表現されています。「邪淫戒」によって地獄に堕ちた少将と小町は、「飲酒戒」を保つことで救われます。実は本曲は古名を「四位少将」といい、世阿弥の芸談書『申楽談儀』には比叡山の唱導(説法)をおこなう僧が原作を書いたとあります。「戒め」が作品の中心にあるのも、このためでしょう。

https://www.trip-kamakura.com/article/kamakura-takiginoh/noh.html

解説にさらっと「邪淫戒じゃいんかい」によって地獄に堕ちた、と書いてあるが、邪淫戒とは五戒の一で、夫婦間以外の性行為や、夫婦間でも正常でない性行為を禁じたものとのこと。

え?という感じもあるが、小野小町は美人で頭も良かったということだから、想像たくましくした伝説が多く作られたのだろう。wikiに小町を題材とした作品がまとめられているが、日本最古のファム・ファタルとも呼べたりもしそうだ。

神事を終えた能舞台
金春流宗家と写真撮影もしていただいてしまった

ということで、演劇や歌舞伎を観ている内に、能もまた楽しみ方が分かってきた。来年まずは観世流で「翁」を観に行く予定だが、機会があれば薪能の遠征などもできたら良いなと思う次第である。

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