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新宿梁山泊『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』
新宿梁山泊 第77回公演 「おちょこの傘もつメリーポピンズ」@花園神社境内特設紫テントにて千秋楽を観劇。自分はかつて歌舞伎町住民(ここ花園神社から徒歩1分程の所に4年住んでいた)だったが、当時は演劇ファンでもなく今回が初のテント体験となった。
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唐十郎と私
「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」は1976年、状況劇場により初演された唐十郎の戯曲。
恥ずかしながら自分にとって唐十郎は….
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https://ameblo.jp/rin-shinyu/entry-12260280222.html
世代だと思ってお許しいただきたい。
無論、知識としては、60年代後半から新宿・花園神社境内の紅テントを拠点に状況劇場を、後に唐組を率いていたこと、鈴木忠志・寺山修司らと共にアングラ演劇の旗手と呼ばれていたという程度には知っており、鈴木先生も当時のエピソードを折に触れてお話されるので、いつかは現場で観てみたい。そう思っていたのが唐戯曲だった。
追悼公演
そんな中、訃報が飛び込む。素人なのに、いきなりの追悼公演参戦。千秋楽ということもあり、関係者も多く詰めかけていたようだ。
梅雨はどこへ行ってしまったのか。ただでさえじっとりと暑いのに、200席しかないテント内は開演を待つ演劇ファンでぎゅうぎゅうである。蒸し返すような熱気・人いきれに、新宿の夜の野性を思い出さずにはいられない。50年前の往時も、このように客席の肌は輝いていたのだろうか。
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今宵の紫テントに至る経緯
状況劇場に在籍していた金 守珍(キム・スジン)が、1987年に立ち上げたのが新宿梁山泊。「アングラ演劇」を現代日本を代表する文化として継承し、世界へこれを発信していくことを理念に掲げ活動している劇団だ。
そのアングラ演劇・小規模のテント公演に、今宵メインキャストとして中村勘九郎、寺島しのぶ、豊川悦司、六平直政、風間杜夫という配役が実現したのはいかなる理由があってのことか。
―まさか、勘九郎さんがテント公演に出演する日が来るとは、と驚いています。
僕も夢のようです。父が19歳の時に紅テント公演を見て衝撃を受け、それがきっかけで「平成中村座」という僕らの宝物ができた。その原点とも言うべきテントに、しかも父の十三回忌の年に出演できるわけですから、感慨深いですね。一番の追善になるんじゃないでしょうか。
―どういう経緯から、このタイミングでの実現となったのでしょう?
本当に偶然なんです。2年前、六平(直政)さんが「新宿梁山泊」に久々に出るということで「下谷万年町物語」(唐十郎作)を観に行き、終わってからみんなでテントで飲みながら「いつかやりたい」とお話ししたら、次の日に(寺島)しのぶさんと豊川(悦司)さんが観に来て同じ話になったそうで、「公演、決まったよ」と(笑)。やっぱり運というか、縁ですよね。
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/art/interview-with-nakamura-kankuro
新宿梁山泊は、結成当初、「劇団3○○」(げきだんさんじゅうまる)を主宰する渡辺えり(旧芸名「渡辺えり子」)に脚本を依頼していたこともあったそうで(「夜に群がる星の騎馬隊」等であろう」)、千秋楽のその日には渡辺えり御本人の姿も(中村獅童のお子さんの手をひいてらした)。
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その「劇団3○○」にかつて所属していたのが豊川悦司。
豊川さん、勘九郎さん、六平さん、金さん。まず何をやろうかということで『蛇姫様』の案も出ましたが、豊川さんが『蛇姫様より“おちょこ”のほうがいい』と言うので演目は決定です。豊川さんは、1989年に劇団3〇〇を退団した後は映像に専念していて、『僕は演劇に忘れ物をしている』と言う言葉が私の耳に残り、私は去年、50歳の節目で歌舞伎座初出演を果たし、次なる場所を探していましたし。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/338365/2
そして、六平直政氏は、劇団状況劇場を経て、新宿梁山泊の旗揚げに合流した人物。ちなみに、幕間の休憩にトイレ前でストレッチしていたら、「そろそろ始めるからな!戻らなくても始めちゃうぞ!」と六平氏は周囲に叫びながらトイレに駆け込んでいかれていた。ホーム試合で嬉々とされていたように思う。
というわけで、日本の演劇史における様々な流れが今宵、この場所に交錯していたようにも思われ、誘ってくれた友人には兎にも角にも感謝である。
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あらすじ
前置きが長くなった。
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誰か知る相愛橋のある横丁。すえたドブ川の袂にあるうらぶれの傘屋に、今、聖にして醜怪な万年少女が、おちょこの傘さし飛んでくる。
傘屋を営むおちょこは修理を頼みに来た客・石川カナを慕い、彼女に「メリー・ポピンズの空飛ぶ傘」を持たせたいと願う。そのため居候・檜垣を相手に日々飛行実験を繰り返している。カナはかつて起こした大物歌手とのスキャンダルにより妄想と現実を彷徨い、今夜この街を去ることを告げに傘屋にやってくる。不在のおちょこの替わりに対応した檜垣は、カナが、以前自分が担当していた歌手のスキャンダルの元凶だと気がつく。
檜垣が1年間預かった亡き母の遺書。そこに書いてある真相は?下関の保健所に届けられた1通の死体発掘願いとは何であったのか!?果たしておちょこはメリー・ポピンズの傘で、バラの花咲く街角へカナを誘うことができるのか?
おちょこの傘とは、強風などによって傘がひっくり返り、おちょこのような形になった状態の傘のこと。その壊れた傘を、空を飛ぶことができるメリー・ポピンズの傘にしようとする傘職人おちょこ。
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傘屋おちょこに修理を頼みに来た客・石川カナは「聖にして醜怪な万年少女」と唐組のあらすじ紹介に書かれていたが、このあたりは実際の芸能スキャンダルが下敷きになっているようだ。
この戯曲の元となったのは、歌手の森進一を相手どり「婚約し男児までできたのに、婚約を破棄した」として婚約不履行による損害賠償を求めた事件で、作中では人気歌手の母の自殺が語られる(森進一の母親は1973年2月に東京都世田谷区の自宅で自死)など、現実に依拠した部分も多く語られています。
※事件そのものは、1973年7月、山口地裁下関支部で「原告(石川玲子)の主張は信用性がない」として原告の請求が棄却され、 翌74年6月、広島高裁も「異常なファン心理から妄想を抱いた疑いがある」として控訴を棄却し、森進一側の全面勝訴で終わっています。
この事件については下記の記事が詳しい。
森進一のストーカーで母親の自殺の原因の一つにもなった「聖にして醜怪な万年少女」石川カナ、彼女に壊れた傘を修理して魔法の傘にして渡そうとする傘屋おちょこ、森進一の元マネージャーである檜垣が主要人物となる。森進一には間違いなく許可など取っていないだろう。
しかし、これは毎度のことだが、戯曲を読んだだけではどのような演劇になるのか皆目見当がつかない。鈴木さんが仰られるように、声に出して読むべきなのか(いつもやってない)。
演出を通じて見えた景色
さて、唐組の座長代行である久保井研氏の解説をまず引きたい。
とても人間くさいやり取りが、唐さんらしい詩的なレトリックで描かれています。ハチャメチャで軽妙なシーンがありつつも、人間同士の距離が離れたと思うと急激に近づくなどの緊張感もあり、男と女の物語と言ってもいい。実際の事件の女性はメディアに相当叩かれて、虚言癖ということで落ち着いたようですが、唐十郎はそれだけでは終わらせずに、妄想の世界に入っていく。実際の事件とは、まったく違う方向にいろんなものが動いていくのが、熱くて面白いと思います。
人間っていい面でも悪い面でも、相反するものをあわせ持つという両義性があるはず。だから「(どっち)側」なんてないんじゃないの? という、唐十郎のアプローチが描かれた作品だととらえました。今は本当に「それは正義か? 悪か?」を決めつける、不寛容な時代に入ってきていますが、それに対して「もっと曖昧でもいいんじゃないかい?」という、唐さんの言葉が聞こえるような気がします。
唐さんがまだ30代の時に書かれた戯曲なので、筆がものすごく走ってるんですよ。その速さでしゃべらずに、演じ手の生理なんかで成立させると、芝居がのろくなってしまうから、膨大な台詞量でもスピードを落とせない。それでいて、お互いの気持ちを探り合うような、呼吸を引っ張り合うみたいなやり取りもあるので、ジェットコースターみたいですね。
まさにこんな感覚。まず、勘九郎の第一声から機関銃のように喋りだすので驚いた。石川カナは聖女のようでありながら、時に悪鬼と化す。芸能事務所で森進一の元マネージャー・檜垣と楽しく話をしていたと思ったら、次の瞬間には怒り狂っている。
膨大な台詞量・スピードに舞台上の感情は激しく反転を繰り返し、現実は途端に虚構の世界へと変貌する。ステージには次から次へと新たな狂人(聖者)が投入され、クライマックスに向けてボルテージが徐々に積み上がっていく。戯曲を読むだけでは想像もできなかった激しい情念の連続だ。
ここについては、柄谷行人が語る唐十郎のエピソードが興味深い。
柄谷 2010年くらいかな。新宿に芝居を見に行った。唐さんは出ていなくて、演出だけだったと思う。そのあと楽屋裏のようなところで、打ち上げがあった。彼は、不思議な人なんですよ。そのときも、僕のところにやってきて、いきなり土下座するんだ。「お越し頂いてありがとうございます。あなたは本当に神様のような人です」って、熱烈に感謝を述べてね。それでいったんどこか行ってしまったんだけど、しばらくすると今度は血相変えて飛んできて、「なんであんたは俺の作品をもっと評価してくれないんだ! どういうつもりだ!」とかいって怒鳴り散らした(笑)。
演じる役者陣も大変だったろう。特に石川カナを演じていた寺島しのぶは、銀河鉄道に乗って森進一の母が眠る下関へと向かい(鉄道の窓を開けて夜気をたっぷり吸い込む場面も良い)、墓を掘り起こし、死体の腕を取り上げてその血を吸う。というような"妄想"を演じるわけで、正気と狂気の間を動かなくてはならない。
豊川悦司演じる檜垣は、芸能スキャンダルによって女性が袋叩きに合う中でそうした社会的制裁に疑義を感じて会社を辞め、石川カナの汚名を晴そうとしている人物。悲壮なまでに思い悩んでいなければ、そこに説得力は生まれない。
演出も想像の斜め上を行くようなケレンに満ちている。特に保健所の職員が現れるシーンは地獄の審判かのようで驚いた。公衆衛生の観点から石川カナが排除されるという流れで、スキャンダルを掘り返す檜垣もまた消されることになるが、ここは世の中の「公序良俗」と闘ってきた唐十郎の想いが込められている部分であろうし、今の時代もさほど状況は変わっていないのではないか。
※「これがスキャンダルの結果なんです」という台詞は、石川カナが檻に入れられている演出があって自分は初めてハッとできた部分。戯曲を読むだけでここまで想像できるようになるといいのだが..。
現実を突き抜ける力
ラストはテント演劇お馴染みの演出。読売新聞が写真で思いっきりネタバレしているが、きっとそれくらいお馴染みということなのだろう。
ここにも写真がたくさん。
ストーカーが良いというわけではないが、現実を超える妄想くらいはあっても良いものだ。50年後の我々は、現実に押し潰されていないか。そんなことを問われているように思ったりした。
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