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彼が100均で買ってくれた桜のグラスの柄を今でも覚えている

春が近づき、桜モチーフの雑貨がショップに並び始めると、毎年胸がキュッと痛む。
15年前の春、100円ショップで買った桜のグラスが、私たちの儚い幸せの象徴だった。

15年前の3月
私は恋人と同棲を始めた。
ふたりとも若く、貧しかった。
築35年のボロアパートで一緒に暮らし始めた。

食器のすべてが、キャンドゥという100均で揃えたものだった。
季節は春で、桜の絵がついたグラスを彼がふたつ買ってきた。
その模様を今も覚えている。
それが15年後たっても胸が痛むモチーフになるなんて、当時は考えもしなかった。

彼の生い立ちはドラマよりも壮絶だった。
治安の悪い街で、思いつく限りの残酷さを詰め込んだ環境で育った。
私もまた複雑な家庭で育った。

お互い人には言えなかった孤独を
言葉にせずともわかり合える相方に出会い
私たちは尾崎豊の世界観のように、肩寄せ合い、温め合って暮らした。
誰かに頼ったりなど出来ず生きてきた私たちは、初めて安心できる場所を見つけた。


仕事から帰り、ご飯を作り食べる。
他愛もない話をする。テレビも持っていなかった。
お金がなくても幸せだった日々。
そのグラスはいつもテーブルにあった。

3年経ったころ、入籍をして家族になった。


幸せに慣れていなかった私は、この幸せが続きますようにと願った。
誰に奪われるわけでもないのに、お願い、どうかこの日々を奪わないでください…と、いつも目に見えない何かに願っていた。

私たちは、お互いに仕事の経験を積み
少しずつ収入が増えていった。
給料日に買う数個のミスドが楽しみだった私たちは
焼肉屋さんでお腹いっぱい食べられるようになり
100均ではない食器を買うようになった。
牛丼屋ではなく、小洒落た店で外食するようになった。

家を買い、車も持ち
子供がひとり産まれた。


彼は、壮絶な生い立ちにも関わらずグレもせず、手に職をつけ生きてきた穏やかな人だった。いつも優しかった。
しかしある日、私は歪みを知ることとなる。
彼は犯罪に手を染めてしまった。
犯罪やクスリや死が身近にある環境で育った彼には
それは大したことではなかったのかもしれない。


お金もなくボロアパートで暮らし
何も持たず幸せだったのに。
仕事と、お金と、家と、車を得たけれど
私は何よりも大切だった相方を失った。

離婚して8年目の春。
今年も100均に桜のグラスが並ぶ。
もう月日は流れ、彼とやり直したいなどとは思っていない。
でも、あの頃の無邪気なふたりの生活を思う。
私がいちばん欲しかったのは、そういう種類の幸せだった。
仕事も家も、車もいらないから、100均のあの頃に帰りたいと思う。
ウエッジウッドのお皿や、イッタラのマグカップ、クリスタルのグラス
そんなん全然要らんから、桜のグラスのあの頃に戻れんだろうか神様。

もう15年も経つというのに、そんなことを今年もまた思ってしまった。
きっと来年も、再来年も、桜の季節になればきっと。

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