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『自由』を望んでいたのに、自由になれなかった理由が腑に落ちた。

こんばんは!

私はずっと「自由」を望んでいたんです。
それこそ、覚えているのは小学祭の頃からです。

ずっと鳥になりたいって思っていました。(ヤバいやつですね笑)

鳥になれば、いつでもどこでも自由に行ける。そう思っていたんです。

そんな風にずっと望んでいたのに、今までずっと自由を全く感じられずに、生きてきたんです。

でも傍からみたら、家族もいて、子供もいて、仕事もして、しかも安定した仕事で、住む家もあって、時間もあって…

何が不満なの⁈自由だよね?と言われるのに、私自身は全く自由を感じられなかったんです。

つまり頭の中の思考、そして意識(潜在意識)が自由になることを恐れていたからなんです。

どういうことかというと、それに気づいたのはつい先ほど。

娘も幼稚園に行けることになり、週2回の2時間だけだけど、自分1人の時間ができました。

その時に、急に不安に陥ったんです。
淋しさはもちろんですが、嬉しい反面、その不安が急に大きくなっていきました。

それは「自由」になることへの不安。だったんです。

自分でもびっくりしました。
ずっと望んでいた自由だったのに、なぜ不安になっているんだろう?と。

目の前に現れたら…急に不安になってしまう。

おかしいですよね。
だからあえて、その不安をとことん感じてみようと思ったんです。
最初は気分が悪いですが、人間は飽きる生き物なので、不安を感じきっていると案の定、次第に飽きてきました。

ここを怖いからとすっ飛ばしていたから、今までその不安に襲われて、逆戻りしていたんです。

その不安を感じ切ってしまえば、その正体が分かってきます。

それは、自由になることで、自分は忘れられてしまうんじゃないか。
子育て、という役目を終えて(まだまだ終わってないけど。)私は必要とされなくなるんじゃないか。

自由になると、途端にどうしたら良いのか分からなくなってしまったんです。
それは自分は「誰か」のために「何か」をやっていることで、自分の存在意義を確立していたんだと思いました。

だから私は、自由を感じたことがなかったから、自由になってみたい。でも自由になったら私は生きている意味がなくなるんじゃないだろうか。
自分の好きに生きていたら、誰からも忘れられてしまうんじゃないか。

そんな思い込みが入っていたんです。

だからそれをゆっくりと認めてあげて、その上で「よく頑張ってきたね。」と声をかけてあげて、
そして、「もう大丈夫。自由に生きたら、もっともっと楽しいし、あなたの周りには沢山の大好きな人たちがもっと増えていくから。大切な人たちももっと幸せになるから。」と自分に伝えました。

そしたら、不安は跡形もなく消えて、自由であることを心から感じられるようになったんです。

不安や恐れは、見えてしまえばなんてことはないのに、実際に直面して怖がっていると飲み込まれてしまいます。

でも超えてしまえば、そこはずっと望んでいた世界が広がっていました。

人一倍怖がりな私は、そんな風にゆっくりとじっくりと自分と向き合って進んでいます。

これからさらに、どんな自由を手に入れたいのか。
そこも望み直していきたいなと思っています。

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