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自分のために。

今日思ったこと。

洗面所を片付けていて、ふと思った。

こうやって片付けているのって、自分のためなんだな、ということ。

一人暮らしだから、片付けるのは誰かのためじゃなくて、そのほうが自分が気持ちが良いから。だけど、今まではそんな風に思ったこともなくて、あまりに当たり前のこととして、あーまた散らかった、片付けなきゃ、なんて思って、ありがたみも何も感じず、惰性で片付けていた。

けど、片付けているのって、自分がその後すっきりと洗面所を使いたいからなんだよね。だったら、片付けなきゃ、と考えるよりも、もっと愛情を込めた行為として考えて良いんじゃないか、と思えた。

例えば、キッチンも。
毎日使うキッチンはどうしても雑然としてくるし、食器を片付けないまま翌朝に持ち越すこともある。ただ、洗ったまま片付けなかった状態で朝を迎えると、頭の片隅はどこか不機嫌で、「やっぱり使いづらい」と思いながら、お湯を沸かしながらぼんやりした頭を覚ますのだ。

誰かが一緒に住んでいたら、変わるというわけでもない。
例えば、親でも彼でも、一緒に住んでいたら、私の場合、今度は「親が機嫌悪くなるから」「彼がより一層ごちゃごちゃとさせるから」などと理由をつけてキッチンを前日に片付けるのかもしれない。他人がいたら他人のために何かをするというわけでもなく、単に人の機嫌を伺って、いろんなことを決めたり、動いてきたりしたように思う。

我ながら呆れたのは、自分という人物を生きているのは私なのに、自分という存在を忘れていたし、気にも留めていなかった。その事実に、今の今まで気がつかなかったということ。

キッチンがすっきりしたら一番喜んでいるのは自分だし、それで良いことなのに、自分を喜ばせるのは罪のような気がして、自分を喜びや楽しみから遠ざけて生きていたんだと今更わかった。

もっと、自分のために、自分という存在をきちんと意識して、生きたい。

喜ばせたり、楽しませたり、笑顔が見たいから子供をあやすように、自分が笑顔になるように、きちんと寄り添って、自分の人生を生きたい。

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