手首の手術
十何年前くらいから右側の手首の内側にボコっとした物が出来た。特にたくさん手を使った日は眠れないこともある程激痛があった。私は物を作る仕事をしているので、そんな夜がしょっちゅうでとても厄介だった。でも仕事の量が多すぎて、いつのタイミングで手術が出来るか、そうこうしているうちにいつもチャンスを逃していた。やっと今週その日が来た。
手術を受ける病院にはもう行ったことがあった。それは友達が手術をした後、彼女をピックアップした病院がここだったから。パリ市内だけどちょっと遠くて、治安状況をイマイチ未だ把握していない私はそこへ地下鉄で行ったら良いのか迷った。とりあえず地味な格好で行けばいっか、昼間だし。行ってみたらそんなに悪いところでもないみたい。地下鉄の駅から十分くらい歩いたところにその病院はあった。その友達は体の脂肪を取ったり、顔を綺麗に整形したりと忙しい。どうせ全身麻酔なんだからと言い、上から下まで手術しまくっていた。思いがけずにもその先生に手首の手術をしてもらうようになった。なんでも、本当は手の専門らしくて、顔の整形外科医になったのは、その方が儲かるから、だそう。
手術の日、朝八時には病院にいた。プライベートだったので、私は一室用意してくれた部屋で着替えをした。お泊まり用の一式が入った袋をもらった。中には色んなプレゼントが入っていたので、始まりは何だかワクワクした。フランスらしい紺色の着替えは、パジャマのようになっていて、上下に分かれていた。そこから地下のフロアまで他の三人の女性も一緒で、案内された。
そこでちょっとした検査があった。私の低い血圧はいつも通りで九十一と六十一。朝ごはんもお水も取っていけないとの事だったので、体温も低くなり、ガクガク震えながら廊下で待っていた。
すると大きな音でダイアナロスの曲がオペ室から流れてくるのが聞こえた。どうやら、先生の気分は良いらしい。それにしても、私の手術はただの手首のシコリを取るだけなのに、こんな大袈裟な展開になっている…。ひょっとして先生は誰かの顔の整形をするのと間違えてるんじゃないかしらって一瞬不安になった。その途端先生が通りかかったので、私の手術は手首だけなんですけど、大丈夫ですよね?って。そうしたら先生は、大袈裟にした方が女性に良いインパクトを与えるからね!って行ってしまった。超カッコ良い先生だし、何されてもいっか。
片腕全部に麻酔を打たれた。この奇妙な感覚。自分の体の一部なのに異物がくっ付いている感じ。それに麻酔が片腕だけで止まってくれるのか、逆流とかないのかしら? とにかく大分、緊張してきた。それにもう一人で歩くのは難しい。看護師さんは車椅子で手術台まで誘導してくれて、震える私の体にシーツを何枚も重ねてくれた。
もう始まる。ガチャガチャと音が聞こえる。手が触られているのも感じる。それでも良いのかな? 大丈夫かな…… そうこうしているうちに三十分で手術が無事に終わっていた。
手術中は何だか涙が出てきた。怖いわけでも痛いわけでもないのに。今までくっ付いてきたこのシコリともお別れだと思うと色んなエピソードが頭を横切った。このまま一生痛いまま、死ぬまで一緒だと思っていたシコリ。私にとってこの手首のシコリは今まで仕事をしてきた証の冠のような存在でもあったから、取り除かれるのが何だか少し寂しかった。でもこれでいい。呼吸器を見つめ、深呼吸を繰り返し、酸素が入っていくのを見てたら、手術が終わった。
先生は取った物を見せてくれた。お家に持って帰って良いか聞いたけど、一応悪性でないか調べるという事で、持っていけなかった。
これで痛みも無くなるよ。神経を押してたから相当、痛かったでしょ。もう大丈夫。
ありがとうございます。
そのままベッドの上で病室まで運んでくれたような…。幸いにも一人部屋だったので、気持ちが安らいだ。今度は痛みもあるし、緊張と麻酔が解けて、泣けてくる。お腹が空いてたのもあったかもしれない……
すると、直ぐに 朝食を持ってきてくれた。マドレーヌとカフェオレ、フルーツに幾つかの小さなチョコレートもお盆に乗っていた。オレンジジュースは片手で開けれないから、お願いして開けてもらった。涙が流れ落ちる。憧れのパリに移住して何故だか病院にいるのも不思議だったし、偶然とは言え、すんなり手術できたのもそうだし、先生もカッコ良かったし、とにかく手術が上手くいったのも安心した。それ全部が一気に重なって感傷的になったのかもしれない。
色んな気持ちが入り混じった。
ポロポロ、ポロポロ、流れる涙、何故だか止まらなかった。
そのあと少しして息子と兄夫婦に電話した。冗談ばかりで笑わせてくれた。内容は思い出せない。
夕方帰ってきてから、前の亭主に電話をかけた。(離婚した息子の父とは今でも仲がいい)
シコリを取ったら今までの苦労が消えて自由になった気がするって言ったら、彼には「ちょうど大きな石が川のど真ん中で邪魔してて、それが無くなったから、今度は水がすいすい流れるようになったね。これからの君の生き方が楽しみだ、僕にはそう見える」って言ってくれた。
一旦ここで一休みしようと思うのに、こんな風にタイプしている自分を見ると、ワーカホリックなのか、ただじっとしていられないのか、どっちなのか分からなくなる。どうでもいい事でもただ手を動かしていれば安心するのか、休むという意味が分からないのか。だいぶ前に趣味は何ですか?って聞かれて、好きなことをしながら生きているから趣味は仕事だし、仕事が趣味だから、何と答えたら良いか困った。強いて言えば、アイロンがけ? だって直ぐに結果が見えるから。でも好きでやってる感じもないから趣味って程でもない。結局お料理、と答えた。
ここで学んだのは、痛み止めで誤魔化す人生を終わらせること。目の前の集中できる環境にどっぷり入ってみる。
本当の意味で自分を探る大きな扉の前までいよいよ来た。