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子離れ

 気付いたことがある。
自分の価値は何処で見出すんだろうって。生まれてきてから子供を産むまで、自分が中心だった。でも子供を授かってからは一気に逆転し、今度は子供中心の生活になった。ここまでは良い。だって親も子も一緒に成長するから。問題は、これからどうやってお互いに共依存なくそれぞれが自分の道に導かれていくか。その理想な関係にどうやって持っていくか。

 子供が家を出てオランダに住み始めて四年、私もパリに移り一人暮らしを始めて二年、そろそろ私達の親子関係も物理的に離れたし、新しい関係を作れる。

 ここでちょっと気付いたのは、どうやら私は今まで “子供“ を通して自分の価値を見出してきたみたいだという事。子供がきちんと育ってるとか、健康だとか、運動ができるだとか、色んな子供が “できる” 事で、“私が”できていると……。
 子供が立派で器用なのは、私や夫が育てきたお陰だから(と錯覚して) そこに自分を反映してきたんだと思う。結構はっとした。どの親もそれで良いとも思う。それが悪いと言うのではなくて、だって愛情たっぷりに育つ子は本当に強い子になるから。でもこの関係にも終わりがあって、次のステージに上がる素敵な関係が始まる。もちろん寂しい、でも嬉しいような気持ちもあって複雑だよね。だって二十数年かけて作り上げた世界を後にするんだから。
 
 あの時と同じ事。

 息子が生まれてきてから十か月近く母乳をあげていた。夫にそろそろ母乳をあげるのをお終いにしたいと伝えたら、気を遣ってくれ息子を連れて出掛けてくれた。急に一人になった私は母乳がパンパンで胸は痛いし、母性ホルモンのせいでまるで息子を失ったかのようにとても苦しくなった。
 と、夫がその時今でも忘れられない、とっても大事な事を私に教えてくれた。母乳を止めることで、今度は息子と依存し合わない少し大人な関係が作らるよ。って。

 なるほど。

 そうやって幾つかのハードルを乗り越えながらも子育てに没頭してきた。子供が育ったらパリに行こう、それまでに出来る事はその準備。ウィーンで出来るだけ下積みをして何でも良いから良い作品を作る。そして良い感じでウィーンを卒業し、子育ても卒業したら、新しい世界に飛び込む。それはまるでやっと熱いお湯がぬるくなってきて、そろそろ外に出ようかなって瞬間に似てる。

 ずっと温かいお風呂に浸かっているにも幸せだけど、外の風景も気になるものね。

さて次のハードルは「自由になる。」だ。

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