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宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」のデクノボーとは
宮沢賢治さんの詩「雨にも負けず」は、雨の日でも元気に働く、健気な少年の姿を描いた作品です。この詩には、仏教の思想(法華経)が強く影響していることが指摘されています。
まず、この詩の主人公は、雨に負けずに働き続けるという、仏教の「忍辱」の精神を体現しています。忍辱とは、苦難や困難に耐え忍ぶことを意味します。仏教では、忍辱は悟りへの第一歩と考えられており、多くの仏典で説かれています。
また、この詩の主人公は、雨に負けずに働くことで、自然と調和した生き方を実現しています。仏教では、自然は仏の化身であり、尊ぶべき存在であるとされています。そのため、自然と調和した生き方は、仏教の理想的な生き方の一つとされています。
さらに、この詩の主人公は、雨に負けずに働くことで、他者への愛や慈しみの心を育んでいます。仏教では、愛や慈しみの心は、仏の教えの中心的な概念です。そのため、愛や慈しみの心を育むことは、仏教の修行の重要な要素の一つとされています。
このように、賢治さんの「雨にも負けず」は、仏教の思想が強く影響を受けた作品であると言えるのではないでしょうか。
具体的には、以下の点に仏教の影響がみられます。
主人公の姿は、仏教の「忍辱」の精神を体現している。
主人公の生き方は、自然と調和した生き方であり、仏教の理想的な生き方の一つと言える。
主人公の生き方は、他者への愛や慈しみの心を育むものであり、仏教の修行の重要な要素の一つと言える。
なお、賢治さんは、仏教の思想(法華経)に深く関心を持ち、多くの仏典を読み込んでいました。また、彼の父親は、日蓮宗の信者であり、幼い頃から仏教の教えに触れていました。そのため、賢治さんの詩には、仏教の思想が自然に反映されていると考えられます。
私も、常不軽菩薩(デクノボー:土偶坊)のように、人を見ると「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と誰に対しても仏さまになるお方と思い接したいですね。
しかし、現実的には、合わない相手もいて、私にとってとても難しいですが、修行だと思って、無私になり実行していきたいです。
常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、梵: Sadāparibhūta)とは、『法華経』常不軽菩薩品第二十に登場する菩薩である。彼は人をみると
「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と言い、人々にはずかしめられ打たれると、その場を逃げ、離れた場所から再び同じ言葉を繰返したという。そこでこの名がある。
常不軽菩薩は、法華経の第20品「常不軽菩薩品」に登場する菩薩です。この品では、常不軽菩薩が、人々の罪や悪行を軽んじて、常に礼拝したことが説かれています。
宮沢賢治は、この常不軽菩薩の教えに深く感銘を受け、自分の作品の中でたびたび取り上げました。例えば、彼の詩「雨にも負けず」には、次のような一節があります。
デクノボーと唱えつつ 歩むぞこの道を
この一節は、雨に打たれながらも、それでも歩き続ける少年の姿を描いたもので、常不軽菩薩の教えである「すべての人を尊ぶ」という精神が表現されています。
また、賢治の戯曲「土偶坊」にも、常不軽菩薩をモデルとした「デクノボー」という登場人物が登場します。デクノボーは、貧しくも、心豊かに生きる農夫であり、常に人々を尊ぶ姿勢を貫いています。
賢治が常不軽菩薩の教えに惹かれた理由は、彼自身の人間観や世界観と共通するものがあったからと考えられます。賢治は、すべての人が尊く、平等であるという考えを持っており、常不軽菩薩の教えは、その考えを体現するものであったのでしょう。
また、賢治は、常不軽菩薩の教えが、現代社会にも通じる普遍的な価値を持っていると考えていたのかもしれません。現代社会は、格差や差別が深刻化しており、人々が互いに尊重し合うことが難しくなってきています。しかし、常不軽菩薩の教えは、そのような現代社会においても、人々が互いに尊重し合うための指針を与えてくれるのではないでしょうか。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく
決していからず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し※
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩