悟りの境地を目指して、12月8日 成道
私は仏教徒ではないが、仏教思想にとても関心がある。そこで、本を読んだり瞑想をしたりしながら、悟りを目指したいと願っている。
しかし、私は厳格に考えすぎるところがあり、なかなか悟りの境地に至らない。また、悟りのためにだけに時間を費やすわけにもいかず、日常生活も大切にしている。
そのため、私は日々の生活の中で少しずつ悟れるように努力していきたいと思う。そして、もし死ぬ間際に悟ることができれば、それで幸せだと思っている。
悟りとは何か、という問いに明確な答えを出すことは難しい。
上から目線で、悟ったと自称する人もいるが、その行動や言動を見ると、本当に悟っているようには思えないこともある。
悟りには、試験があるわけではなく、自己申告で個人差が大きいと思う。
悟りとは、煩悩や執着を断ち切り、真理を悟った状態であるとされる。
しかし、その境地は言葉で表現することが難しい。
私が思うに、悟りの境地とは、世俗的な欲望に囚われず、あるがままの世界を受け入れ、喜びを持って生きることである。
そのような境地に達した人は、他人を思いやる気持ちが強く、社会に貢献することができるだろう。
私は、悟りを目指すあまり、日常生活を疎かにするつもりはない。むしろ、日々の生活の中で、悟りに近づくことができるのではないかと思っている。
そして、もし悟ることができたなら、その境地を活かして、社会に役立つような生き方をしたい。
私の祖母は、常に他者の事を優先にして考え、自分は何の欲望はなく、
にこやかに穏やかに笑顔でいた、まさに悟りの境地だと思わされる。
日々喜びを持って暮らしていく、これがまさに悟りの境地なのだと思う。
私は、仏教の教えに従って、日々精進していきたいと思が、大げさに「悟るぞ」と言わずに、日々健康で楽しく暮らせれば、それで幸せである。
12月8日 成道会:お釈迦様が35歳で悟りを開かれた日。