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参禅を通して見つけた、自然との一体感

 先月に続き、友人を誘って再び禅堂を訪れた。座禅の時間を重ねるごとに、心の奥底に潜んでいたものが少しずつ浮かび上がってくるような気がする。
以前は、座禅中も「正しく座らなければ」「心を集中させなければ」と、どこかで努力していたように思う。しかし、今回の参禅では、そんな意識が薄れ、それは住職の自我に囚われないようにとの話があり、ただ呼吸に意識を向け、周囲の音に耳を傾けることに集中できた。
鳥のさえずり、風のそよぎ、雨の音。それらの自然音が、私の内なるリズムと重なり合い、一体感を生み出しているように感じた。もはや私は、それらと切り離された存在ではなく、自然の一部であるかのような感覚に包まれた。

 禅の教えでは、「無心」という言葉がよく用いられる。しかし、この「無心」は、何も考えないことではなく、執着やこだわりから解放されることだと理解している。考えようとすればするほど、余計なものが生まれ、心が落ち着かない。

 自然の中で過ごす時間は、そんな私にとって、心を解放し、本来の自分に戻れる貴重な時間だ。自然は、私たちに無条件の愛と寛容を与えてくれる。その中に身を置くことで、私たちは自分自身を受け入れることができるようになるのではないだろうか。

 今回の参禅を通して、私は「頑張る」ことや「こだわる」ことが、必ずしも良いことではないということを改めて気づかされた。自然体で、ありのままの自分を受け入れる。それが、本当の自分と向き合い、そして自然と調和していくための第一歩なのかもしれない。

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