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古典衣装考察2 ジュリエット

フランスで舞台衣装家をしています、megumi です。

舞台衣装家をどのように志し、渡仏し、どんな舞台を手掛けて来たか。

思い出しつつゆっくりと綴っています。

写真は、20年くらい前に行った、イタリアはヴェローナに今も残る、キャプレット家のバルコニー。

めちゃくちゃ高くて壁も平らで、よじ登れるような作りじゃないんですよ。
ロメオ、あなたは忍者なの?

リクエストにお応えして、ジュリエット

実は、時代衣装考察案を話していた友人知人から、1番リクエストが多かったのがジュリエットでした。

現在、パリオペラでも日本でもロミオとジュリエットの舞台があるので、せっかくなのでジュリエットの衣装をテーマにしてみます。

時代背景

作者ウィリアム シェイクスピアは16世紀末の人ですが、彼がモデルにしたお話は、14世紀、1302年にイタリアのヴェローナで起きた実話。

当時は宗教的な争いが絶えず、皇帝派キュプレット家と教皇派モンタギュー家は対立していました。

そこで実際に起きた心中事件を元にシェイクスピアが書いたのが、悲劇ロミオとジュリエット。

1594年、エリザベス1世の宮中劇場での初演。(日本では1595年もしくは1596年と言われていますが、私は仏資料に基づきます)
その前2年間、1592〜1593年は、ペストの大流行で劇場が閉鎖されています。どれだけ苦しい2年間を過ごしたか、コロナを知る我々には理解できますね。(フランスはコロナで一年半、劇場閉鎖されていました)

その後グローブ座の株主となって"シェイクスピア劇場"とも呼ばれますが、グローブ座についてはいつか詳しく解説したいと思います。

ヨーロッパの服装史は、王様名で表記


ヨーロッパの服装史は統治の王様の名前で年代を分けますが、日本で言ったら鎌倉幕府滅亡の少し前の頃に起きた事件です。

イギリスで言ったらエドワードI世、私の場合はわかりやすいフランス歴代王で見ますが、フランスはフィリップ4世の統治下。


長い中世の時代、イタリアルネッサンス全盛期のシェイクスピアの時代まで、基本の服装は一定ですが、イタリアで歴史上初のファッションデザイナーが現れてからは、少しずつ派手になって行きます。

シェイクスピアはイタリア文化に心酔してましたから、衣装は1302年当時の地味なものではなく、ルネッサンス初頭前後の華やかな物にした可能性は充分あります。

ちなみに、2021年6月現在パリのオペラ座で上演中のバレエ、ロメオ エ ジュリエットの衣装はシェイクスピアの時代の頃のイタリアンファッションになっています。

(新エトワール、おめでとう👏)


私は、中世のエドワード1世辺りを選びまして、解説したいと思います。

中世の女性の服装


今で言うロングドレスの二枚重ねで、時代によって裾が広がったりトレーンを引いたり、袖が細かったり広口だったり…と、バリエーションはありますが、基本の形は数百年の間、変わりませんでした。

La cotte 1枚目のローブ

身体にフィットさせて、長い袖もゆとりなく作られていた為、袖は着る度に後から縫い付けていました。
若い女の子たちは"アバンチュール"後の為に針と糸を持ち歩いていたと言う史実もあり、どの時代もヨーロピアンは変わらず肉食🤣

Le surcot / cotardie イタリアから流行した、2枚目のローブ。

14世紀の頃は、肘の辺りまでのフィットした袖で、袖口の4分の1ほどの幅の長い布を垂らしていました。その後、袖が無いものが流行。



le couvre chef /huve アップにした髪の毛に、耳の上辺りで留めていた現代のスカーフのような薄い布。

今回、学生時代に作った資料を久しぶりに出して見て、自分を褒めてあげたくなりました🤣
お勉強、頑張ってたなー。

その頃作った中世の頃の色見本。

この色プラス生成り等々の自然色が使われていましたが、ロミオは階級年齢等考慮すると、緑色を着ることが多かったんじゃ無いかな…と思われます。

ただ、ミュージカル ロミオとジュリエットは元々フランスの作品で、フランスでは緑色の衣装はタブーな為(その説明は、またいつか✋)、ブルーを使っていたのでしょう。


ミュージカルで沢山使われている、le crevéと呼ばれる袖やパンタロンに入った切り込み(ロミオとジュリエットのジャケット等参照)は、シャルル8世以降(1483-1498)の流行りなので、私のジュリエット達は着ていなかった設定になりますね。


シェイクスピア劇で私が手がけたことのある作品は、ロメオとジュリエットの他、夏の夜の夢、マクベス。
テンペスト、やりたいな…

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