Living Compassion by ロバート・ゴンザレスNVC講座 気付き・メモ①
今日、計5回に亘って続いたロバート・ゴンザレスさんのNVC講座が終わった。
毎回3時間の非常に濃い時間の中で、何度も涙が流れた。
感じたもの・もらったものがあまりにも大きすぎて、まだまだ言葉にならないけど、この生き生きと胸に広がる感覚を後から思い出せるようにいくつか書き留めておきたい。
体の感覚に気付く
NVC歴が浅いので、他の講座とあまり比較にならないが、「体の感覚」から感情やニーズとつながることができる、というのは大きな発見だった。
そしてその感じる感情によって、体の感覚や部位が異なっていた。
例えば、「怖い」という感情は、胸の中心がキューッと締め付けられるような感じがしたり、「悲しみ」は胸の上半分が無防備な感じになったり。「他人に対する怒り」は頭の上部で湧き上がるエネルギーを感じ、「自分に対する怒り」は腹部のあたり。
そして癒やしが起きるとき、喉から何か突き上がってくるような感覚がある。それ喉をブロックして、声にならないような。
きっと小さい頃は、こんな風に全身で「感情」を感じていたんだと思う。
「孤独」を感じたとき、中学生の頃、仲間はずれにされたときの胸の苦しさを思い出した。そうそう、こんな感じって。その感覚が嫌で嫌で仕方なかったことも。そして徐々にその感覚を麻痺させていったのかもしれない。
本当は自分にとって大事なことがあることのサインだったかもしれないのに。
そのリアルな感覚を感じることを許し、ただただ感じることだけに意識していくと、実際に心で感じている感情に深くアクセスできるような感覚があった。
そこから「憧れ」へと繋がっていくための入口になってくれた。
憧れとは
人間生きていれば、誰にだって思い出したくないことや、日常で嫌なことをたくさん経験する。そしてその痛みをふさぎ込んだり、無かったことにしたりして、毎日こなしている。
まるで、精神的に強くなることは、感覚を麻痺させることだと自分に言い聞かせるように。
しかし、NVC、そしてロバートさんの講座では「その痛みは本当に自分が求めていることに気付く大事なきっかけ」として、意識を向けることになる。
本当に自分が求めていることを彼は「longing 憧れ」と呼んでいた。「憧れ」というと、「自分にとって理想的な人生を生きている人への憧れ」とか、少しミーハーなニュアンスが日本語だと感じるかもしれない。
ここでいう「憧れ」は「ずっと欲しくてたまらないもの、心から切望しているもの」といった、何か胸が締め付けられるような甘苦しさを感じる感覚のことだと私は思った。
本来そこには無く、満たされず、だからこそ辛くて苦しいのに、まるでそれが存在しているかのように感じられるもの。
ある種のはかなさ、と言ってもいいかもしれない。
その憧れこそが私たち本来の命の質に気づくための目印だということが分かった。
トラウマ的な体験がひっくり返る
この講座では理論的な解釈もあったが、どちらかというとエクササイズが中心だった。
特にロバートさんが主導するエクササイズは、内容を頭で理解する前に、その声に、そのコンパッションのエネルギーが覆いかぶさってきて、気づいたら涙していたことが何度もあった。
その後にランダムに組まれたペアの相手とそのエクササイズをやってみる、という流れ。
毎回、心に痛みを感じるようなトラウマ的な体験を思い出しながらやってみた。
友達とのいざこざ、仲間はずれ、親から受けた心無い言葉。
どれも私の胸に深く突き刺さっていて、もう何年も経っていることなのに、ありありとその痛みを感じるような経験。
過去を書き直せるなら、まず最初にかき消したいような経験。
そんな経験が、実は宝の山だったということ。
過去に捨ててきたはずの、みすぼらしい自分が輝きを運んでくれるように。
憎いはずのあの人が、感謝の対象になるような。
そんなことに気づけたのが本当に良かった。
具体的にどんな宝を見つけたかは、次回詳しく書きたい。