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「特別なもの」をもう一度一緒に食べたい

子供の頃の夏休み。
テレビで流れている甲子園を見ながら、叔父さんの母校を応援する。
今回の投手はイケメンだとか、そんな話で盛り上がる。

そんな私は野球には全くもって興味がないので、おじいちゃんが丹精込めて育てたスイカに塩を振って、ひたすらに頬張る。

多分、誰よりもおじいちゃんのスイカを食べていたように思う。

あとは、おじいちゃんが育てたキュウリとナスをおばあちゃんが漬けて、それを父と取り合いする。

大きな漬物入れなのに、父との奪い合いで一瞬にしてで全てなくなる。

それくらいおばあちゃんが漬けていたキュウリとナスは、父と私には大人気だった。

私は父に似てよく食べる孫だったようで、いつもおじいちゃんに「シマツナは食いっぷりがええなぁ〜もっとたーんと食べぇ」と満面の笑みで私に話しかけてくれていた。

「うちが作った野菜や米はこの辺じゃ特級だからな!よけ食べぇよ!」と私は目の前にあるご飯を何回もおかわりするたびに言われていたように思う。

それくらいよく食べる子だった。

「シマツナ!一緒に田んぼへ行くか!」

「うん!」

幼い私はおじいちゃんの運転するトラクターの後ろに乗っかって、よく田んぼの見回りにも行った。

「この田んぼはな、うちのお父さんから受け継いだ大事な田んぼなんだ。お前のひいおじいちゃんはとっても立派な人だったんだぞ。」

田んぼを見ながら、ひいおじいちゃんの話をするおじいちゃんはどこかいつも誇らしく、胸を張って堂々としていた。

夜になると、大抵NHKの番組をおじいちゃんとおばあちゃんは見ていた。
私の父と母はその番組がつまらないから、いつも離れへすぐ行ってしまうが、私はいつもおじいちゃんとおばあちゃんと会話していた。

その時間は唯一の戦争の話を聞ける今思えば尊い時間だったと思う。

二人はちょうど第二次世界大戦の時に小学生。
赤札は見たことがあったけど、運よく家族も行くことはなかったという話だった。

詳しくはやっぱり思い出したくなかったのか、話してくれなかった。
だけど、いつも一緒に戦争のドラマを見ては、「あの時は本当にひもじかったなぁ…」と、おじいちゃんとおばあちゃんはぼやいていたように思う。

そんな話をしながら、おじいちゃんが買ってきた「特別なもの」というアイスを頬張りながら、お盆の1週間は過ぎていく。


小さい頃からずっと続けていたお盆の習慣は、30年という歳月を経て止まってしまった。


今のご時世になって二人に会うことが叶わなくなってしまったのだ。
最後に話したお盆に聞いた話は二人の馴れ初めの話だった。

田舎だからご近所さんで結婚なんてよくある話だったらしい。
けど、おじいちゃんとおばあちゃんは幼馴染。
遠いようで実際は近い親戚だったそうだ。

「おじいさんは昔っから喧嘩っ早くてなぁ〜」とおばあちゃんはおじいちゃんの尻を叩きながら笑っていたのが印象的だった。


あれから2年。
もうおじいちゃんは私のことは覚えていないらしい。
おばあちゃんは、まだ元気にしているらしいが会えていない。

出来ることなら幼い頃のように「シマツナ!ようきたなぁ〜!ほれ!特別なもの食べるか?」と笑顔で出迎えて欲しいと思ってしまうが、きっとそれはもう叶わないのだろう。

せめて、今年中にはおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に、私のことは忘れてていいから「特別なもの」を一緒に食べたいなと思う。

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