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キャンバス

誕生日と年末は、自分の中で一番「節目」のようなものを感じる日。1年という単位がわかりやすいから、ついつい前の1年間を振り返りたくなる。
今年もそんな日がやってきた。

仕事を終え、早めの夕飯をとり、夜のカフェへ出かけた。
わざわざ夜に家を出て作業するのは初めてかもしれない。

27歳の1年間は、思い返そうとしてもうまく思い出せない。
何の出来事もなかったのではなくて、むしろいろんなことがありすぎて、脳みその記憶が追いついていないか、あるいは無意識的に忘れたいと思っているか。

1年前の今頃は、仕事にやっと慣れてきてある程度動けるようになり、そして実家を出てパートナーと暮らし始めた頃。
そこから何がどうなって今に至るか、いまだに半分理解できて半分できていないのだが、仕事とプライベートの歯車が少しずつ狂いだし、気づいたときにはどうすることもできなくなっていて、そして気づいたら適応障害になっていた。

パートナーと同棲を解消し、そこから話し合って別れることになった。
さらに医者に「今すぐに仕事を休んで」と言われ実家に戻った自分は、
物理的にも精神的にも真っ白で、空っぽだった。

体調が回復した今振り返ると、
積み上げて溜めていたものが一気に崩れ、流れ去り、跡形もなくなったような、そんな感覚の1ヶ月だった。

頑張ってきていたものを全て失ったんだ、
わたし、何にもなくなっちゃった。
そう思った。

初めは半ば無理やりな形で休暇を取り、
お腹が空かない中、あれ食べたいかも、と思った一瞬の隙を狙って自分の身体に栄養を押し込み、
ネガティブになりそうになる度に走り、脳みそを振り払って空っぽにした。

体調が少し回復したあたりから、外に出ることを意識して過ごした。
人がいるところで時間を過ごしたり、見たいもの・食べたいものを積極的に摂取したり、やってみたいことをしてみたり。
家族だけでなく、友人たちに話を聞いてもらったりもした。

そんな過ごし方をしたことで、これまでとても閉じこもった生活をしていたことに気づいた。
かつては様々なコミュニティに足を突っ込んで活動をしていた自分からは想像つかない程、外出先や関わる人のバリエーションが減ってしまっていた。
そして物事の考え方も、ひどく凝り固まっていた。

いろんな人に会い、いろんな時間の使い方をしていく中でふと思った。
わたし、何もないと思っていたけど、違った。
何もないんじゃない。いっぱい持ってる。何でもできるじゃん、と。

今やっている建築設計の仕事が全てで、今付き合っているパートナーが全て。無意識のうちに、そう思ってしまっていた。
でも体調を崩したことがきっかけで自分で勝手に縛り付けてしまった紐がパッと解かれて、視野が広くなった、視座が高くなった感じがした。
別に今の仕事ができなくなっても死にはしないし、もしかしたらもっと活躍できる場所がどこかにあるかもしれない。パートナーだって同じだ。そう思えるようになった。

そう思うと、空っぽになるべくしてなったんだな、
このまっさらな状態を大切にしよう、と思えた。

この1年間、良かったこともたくさんあった。
初めて本格的に挑戦できた山登りはもっとしたくなったし、建築設計の仕事は、難しくも手応えのあるワクワク感を感じる瞬間もあった。

でも、やっぱり苦しかった。
仕事と生活、両方が相互に作用し合うのが"暮らし"であって、
デザイナーとしての自分と何でもない日常の自分、両方合わさって"わたし"でありたかった。
両方が合わさっていない感じや、その理想と現実のギャップに苦しむことが多い1年だった。

28歳の1年間は、きっとリスタートの1年になる。
どんなリセットがされるかは、全くの未知。
でも昔の自分のように、一つのことにとどまることなく、
フットワーク軽くいろんなことに挑戦していくことだけは確か。

張り詰めた気持ちが解き放たれ、まっさらで柔らかくなれた今、
この柔らかさを大切にしながら自分の心の声に耳を傾け、どんな色を加えていくか決めようと思う。

手放しかけてしまっていた"自分の人生"というハンドル。
もう一度しっかりと握り直し、また自分の意志でドライブしていきたい。

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