見出し画像

"喪"の作業 #1 原因とプロセスの解釈

先日ひっそりと始めた、"喪"の作業。
悲しみ・苦しみを自分の中から"言葉"という形で外に出してあげること。

小学生の頃から無意識的にやっていたことだった。
嬉しいときよりも悲しいときの方が書きたくなるのはなんでだろう?とずっと疑問に思っていたのだけど、適応障害について理解しようと手に取った本にその答えのようなものが記されていた。

"悲しみを言葉にすることは、喪の作業である"

なるほど、自分は"負の感情"を整理して、気持ちを落ち着かせるためにやっていたんだ。この一文に出会って、少しだけ理解できたような気がする。

今まで自分がしてきたのと同じように、ここ数ヶ月で自分に起きた出来事と感情をこれから少しずつ言葉にして整理し、弔っていこうと思う。


読んだのは、こちらの本。前回の記事でも載せたけど、改めて紹介する。

今回は、主に第6章〜第8章(学校・職場・家庭などの各所で起きやすい適応障害について書かれた章)に沿って書こうと思う。
読んでいて"これが原因だったのかも?"と感じたことがいくつかあった。

このあと何度も登場する「仕事」「勉強」「プライベート」は、それぞれ主に以下のことである。
・仕事:本業の、建築設計の仕事
・勉強:7月に控えた建築士資格の勉強。年明けからスタートしている
・プライベート:春頃までお付き合いしていたパートナーとの関係



"これ原因かも?" その1:容量オーバーによる適応障害

これは主に仕事が原因になりやすいパターン。自分にかかるストレスや負担が自分のキャパシティを超えることで適応障害となる。

キャパはその時ごとに変動していくもので、睡眠不足や疲労の蓄積によってどんどん小さくなっていく。
ストレスがかかり続ける→疲労蓄積・睡眠不足→キャパが小さくなる、が繰り返され、負のスパイラルに陥っていくというものだ。

私の場合は本でも紹介されていたパターンで、
仕事・勉強が忙しくなる+プライベートでも考えることが増える→脳が働きすぎて休息できない→さらに仕事で期限つきのタスクが増えていく→潰れる
という感じだった。

ストレスホルモンは、本来であれば脳や体の活動性を高めるらしいのだが、同じ状況が長期間続くと逆に脳の神経細胞を障害する方向に働き始める。神経細胞は萎縮し、死滅し、神経伝達物質が枯渇していく。
その結果、伝達物質が尽きたことで脳も体も思うように動かなくなる。
これが適応障害のメカニズムらしい。

自分の場合は診断される直前の1週間で顕著に現れた。こんな症状だった。
・身体が鉛のように重い
・あれだけ考え事をし続けていた脳みそが全く働かない。頭がずっと真っ白
・そんな自分を鳥瞰的なところから見ている自分、みたいなのが見える(実際に目に見えるわけではないけど、脳内で見えている感じ)


"これ原因かも?" その2:主体性を奪われることによる適応障害

主体性が阻害されることのみならず、自分の生きる意味・尊厳・頑張りや大切にしている信念を否定されることで心が折れる、というパターンのもの。
自分の場合は、仕事とプライベートに心当たりがある。

仕事に関していうと、デザインをしっかり検討する時間の余裕がなくなっていた。
なぜその形にするのか、その素材にするのか、一つひとつ丁寧に向き合いたい。その気持ちとは裏腹に、タスクを「やっつける」くらいの姿勢でこなさないと間に合わない状況だった。そのギャップが日に日に大きくなり、何のための仕事なのか分からなくなりかけていた。
チームとしては、時間さえあれば主体性は持つことができる関係性だっただけに、残念というかなんというか。

そしてプライベートでは、
仕事と生活が相互に作用し合うのが"暮らし"であり、デザイナーの自分と何でもない日常の自分の両方が合わさって"わたし"である
という自分の中の理想と現実のギャップに苦しんでいた。

仕事と勉強に追われ、家事やパートナーと過ごす時間のバランスがうまく取れない。息抜きの時間はもちろんなかった。
自分のモットー・信念が体現できず意味を無くしたとき、大袈裟かもしれないが、「何のために生きているのか」が分からなくなった。

本にも書かれているが、自分の頑張りや大切にしている信念を否定されると、ポキリと心が折れるらしい。自分の身をもって体感した。
そしてこれは自分だけでなく、パートナーも同じ状況だったのかも、と今になって思う。
私はパートナーに一人のデザイナーとして認めてもらえなかった。パートナーは、友人と起業したという事実を私に受け入れてもらえなかった。
今思うと、知らず知らずお互いの信念を踏み躙っていたのかもしれない。


"これ原因かも?" その3:愛着の喪失体験

これは9章で触れられている内容だけど、その1・その2と同じように原因と思われることなので、あわせて残しておく。

著者によると、人間が愛着を持つことは、適応障害の原因の一つになるらしい。慣れ親しんだ環境から離れる"喪失体験"がストレスになることがあるそうだ。
自分の場合は同棲の解消→破局→引越し、の一連が要因だったかなと思う。

本にも書かれているが、鬱などの症状がある程度良くなって自分の身に起きたことを振り返ったときに初めて、慣れ親しんだ生活を失ったことが引き金であったことに気づく。
自分も初めは仕事だけが原因だと思っていたが、休養して2-3週間ほど経ち頭が回るようになって初めて、このことに気づいた。


3つの原因と適応障害のプロセス

その1からその3まで、3つの"原因かも?"を、本を通して発見した。
そしてカオスに絡み合っていた要因が少し整理されたことで、適応障害になったプロセスが自分なりに解釈できた。

そのプロセスは次のような感じ。

①年末年始:その2(=いつかパートナーとデザイナー同士として仕事がしたいが叶いそうにない)が発生
②年明け-3月:その2は継続。その1(=丁寧に仕事したいがペースがコントロールできない)が追加される
③3-4月:その上にその3(=このまま一緒に暮らしたいがパートナーの合意が取れない)が追加
→暮らし・パートナーという"安全基地"を喪失、崩壊
→適応障害に

ここ数ヶ月、起こった出来事や感情がカオスすぎて(というかカオスにしか感じられなくて)、なぜ適応障害になったのかを自分なりに解釈できていなかった。
これが本当の正解なのかは分からないけれど、仮の答えだけでも導き出せたことで、自分の中で前よりも整理がついた感じがする。


適応障害=今の環境にあっていない というサイン

本にもこう書かれていた。言われてみればそれはそうなのだが、実際には身体的な症状として出ないと気づかないものなのだなあ、というのが本音だ。

ちなみにその1とその3については、解決法も書かれていた。

その1については、思い切って早く仕事を切り上げる、休養すること。自分の場合は医師から言われて半強制的にそうなったが、本当にそうだなと思った。
情報量が多いと脳が休まらないので、取り込む情報量を減らしてあげるのも良いそうだ。これは休養中に勧められやっていた。

そしてもうひとつ。無理してまで仕事を引き受けないこと、断ること。これが前の自分にはなかなか難しかった。
「頑張って引き受けたとしても、一つ一つの成果の質が下がるから意味がない。」言われていることは頭では理解できるのだけど、心の芯まで浸透するには時間がかかるかもしれない。そのような体験を積み上げていくしかないなあ、と思っている。

その3については、愛着対象を失ったという悲しみを自覚し、言葉や行動で表現すること。本ではこれを"喪の作業"と表現していた。この表現が、自分の中でとてもしっくりきた。

"喪の作業"をしつつ、次の生きがいや目標を持ち、それに向かって動くことで乗り越えていけるらしい。まさに今、少しずつ形にしているところ。


適応障害の原因とメカニズムをなんとなく理解したことで、自分の身に何が起きたか、ここからどう対処すれば良さそうかが少し整理されたような気がする。
まずは今理解できたことを元に、自分にできることを少しずつやってみて、ゆっくりでいいから前へ進んでみようと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

megumu
創作活動費として大切に使わせていただきます。