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「もののけ姫考」①登場人物は皆「歴史の裏にいた人々」

スタジオジブリ制作の宮崎駿監督作品『もののけ姫』は、当時の日本映画興行収入を更新した作品であり、個人的にはジブリで一番好きな映画でもある。
その鋭いメッセージ性は多くの人々の心を掴んだ。今でも日本一有名なオタクおじさんを中心にYouTubeなどで多くの考察がなされており、公開から30年が経とうとしていながら全く色褪せない名作だ。

さて、先程述べた通り多くの考察がなされる本作だが、なぜそれほどまでに考察しがいがあるのか。
それは、宮崎駿が選んだ舞台が室町時代の終わりであり、かつ一般的な時代劇が描いてこなかった「歴史の裏にいた人々」が物語の中心だからだ。歴史的にはっきりしていないものをモデルにすると、自然と謎が深まる。それ故に考察しがいがあるのだ。
室町時代の終わり、つまり応仁の乱以降の日本は、それまでの秩序が崩壊した時代だった。
アシタカの一族の翁のセリフが全ての時代背景を説明している。見事な脚本だ。
「大和との戦さにやぶれ、この地にひそんでから五百有余年。いまや大和の王の力はない。将軍どもの牙も折れたときく。
だが我が一族の血もまたおとろえた。
この時に、一族の長となるべき若者が西へ旅立つのは定めかもしれぬ」

隠れ里の爺。

足利幕府は京都の室町に幕府を置き、鎌倉幕府と違い朝廷と密な関係を築き、手を携えて政務を行なっていた。しかし、応仁の乱が勃発すると在京の大名の混乱は幕府にも波及。将軍家すら財政に悩まされる事態となる。そうばれば皇室も自然と困窮してゆく。権威・権力を支配する皇室と幕府が政治的にも財政的にもコントロール失えば、もちろん国は乱れ、下剋上が起こり、名もなき人々がうごめきはじめる。
もののけ姫は、そんな秩序が失われかけた時代にうごめいていた「歴史の裏にいた人々」の物語なのだ。

エミシの隠れ里でひっそりと暮らしていた主人公・アシタカ。
たたら製鉄による財源と武力で独特に自治組織を築いたエボシ。
そして人間が介入できていない深い森に住むサン。
すべてフィクションじゃないかと思うかもしれないが、時代は違えど実際に日本にはこうした歴史に名を残さない人々が多くいた。
宮崎駿はそうした実在の「名もなき人々」の様子を、魅力あるキャラクラーに仮託したのだ。

⚪︎アシタカの出生地・エミシの隠れ里
蝦夷は、時代によって異なるにせよ古代においては「東側の勢力」であった。大和政権が征服する前の東国の部族はみな蝦夷であり、従属すると氏が与えられ政権の一部に組み込まれた。九州の隼人も同じである。
アシタカは、エミシの英雄・アテルイの子孫という設定だ。アテルイは、現在の岩手県に土着していたエミシの統領だと言われている。平安時代初期、征夷大将軍の坂上田村麻呂に敗れ、後に朝廷に騙された討ち取られた。これにより蝦夷は平定されたとされる。アシタカの先祖一族の多くは殺され、一部は領地を奪われて散り散りに逃げたのだろう。森に覆われた隠れ里は、防護施設が張り巡らされていた。大和政権に怯えながら隠れて暮らす、まさに「歴史の敗者」そのものだ。
しかし、個人的にはアシタカそのもののモデルは別に存在すると考えている。それは次回に語ることとする。

アシタカのモデルは一体...


⚪︎エボシと傭兵集団
エボシのような独自の武力を持つ勢力は越州、尾張、出雲等に点在していたが、ここでは戦国時代の紀伊半島をモデルにしてみよう。
中世に入り種子島に漂着した火縄銃は「日本の公式輸送路」の瀬戸内海で戦国大名などに伝わったが、実はそれ以外にも南九州→土佐→紀伊半島という黒潮に乗った「裏ルート」で紀州に伝わった。
その強烈な武器は、長らく自治を貫いた紀伊半島の寺社勢力の武力の礎となり、豊臣秀吉らを苦しめた。
紀伊半島の寺社勢力は、鉄砲を巧みに操る地侍・傭兵集団の「雑賀衆」を取り込み、巨大な権力に最後まで抗った。関東や九州ではない、京都から程近い近畿の話である。それほど「銃」は恐ろしく、その武力を貸し出した傭兵集団の力は強大だった。
エボシのタタラ場は、傘連判という謎の武装集団から兵力と「石火矢」を多く借り入れ、その武力を背景に浅野公方など大侍と対峙した。まさに、武力を「借りて」織豊時代に抗った紀伊半島そのものである。

エボシは倭寇の頭領に娶られたという設定もある。まさに海を渡って紀伊半島に伝わった「武力」の象徴である。



⚪︎サンは追いやられた山の民
物語にはジコ坊のような山岳修行者の姿をした者が多く出てきたが、実際には「山の民」として描かれていたのはシシガミの森に住むサンだ。
日本には「サンカ」と呼ばれ山に住む人々がいた。しかも明治ごろまで。彼らはかつて古代大和政権に追いやられた少数部族だろう。また、まさに物語の舞台である中世の動乱で追いやられたという説もある。アシタカと同じように、サンやシシガミの森に住む神々もまたそうした「歴史の主役たちに追いやられた民」の象徴ではなかろうか。だからこそ二人は惹かれあうのだ。

また、サンを含むもののけたちが命を賭して守ろうとするシシガミ。謎多き神であるシシガミは、大和一族の信仰とは別の・・・いわゆる縄文系の神であり、山犬や猪神たちは、散り散りになってもなおその共通の信仰を持つ古来の人々の暗示かもしれない。
ここから導き出されるシシガミのモデルについては、アシタカ同様、次回、考察する。

シシガミは「命を与えもし、奪いもする」


⚪︎ジコ坊の雇い主は誰か
ジコ坊含む唐傘連のものたちは、寺社勢力に見えるが、その実態は暗躍部隊だろう。
しかし、先述した通り、実際にはこの時代の天皇は財政的にも困窮し実権もなかったので、唐傘連のような武装傭兵集団を抱える余裕があるはずがない。ジコ坊は「天朝」つまり帝(天皇)の書付を持って暗躍するが、実際にそれを動かしていたのは果たして天皇だろうか?個人的にはそうは思わない。
まず、天朝の書付自体が偽物である可能性もあるが、それで多くの武力を動員できているのだから、おそらくは本物だろう。しかし、その天皇の書付を誰かが天皇に書かせた可能性はある。平安時代から、天皇は武力を持った者から要請を受けると綸旨でもなんでも出してしまうものだ。
天皇にそんなことを言えるのは、やはり足利将軍でしかないだろう。そして、あれほどの傭兵軍団を扱えるという点でも、将軍家以外にはいない。
応仁の乱以降、足利将軍家は次第に権威を失い、実権を管領家である細川氏に奪われる。(その細川氏も内輪揉めをしている間に三好氏に敗れ没落し織豊時代を迎えるに至るのだが)
そんな時代に、誰よりも不老不死を望んでいたのは足利将軍ではなかろうか。実際には不老不死なんかよりも、死と生命を司る神を殺したという宗教的権威の方を欲しがったのかもしれない。現代人にはわからないが、中世はまだまだそうした呪術的観念が影響を及ぼした時代である。

ジコ坊がエボシに対して「地侍など放っておけ」と言い放ったのも、ジコ坊自身がタイマンだとアシタカ張るくらい強いのも、歴戦の感がある。里ではうっかり無名の足軽に殺されそうになるが、本気を出せば作中最強キャラの一人である。彼もまた、将軍家で長らく暗躍していたと考えれば、その実力も納得だ。


・・・このように、もののけ姫は歴史の裏に生きていた人々をモデルにしたと考えられる点が多い。
エボシやジコ坊に関して軽く考察したが、先述した通り、次回は物語の根幹となるアシタカとシシガミのモデルについて考察する。
お楽しみに。

おわり

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