ゴーストライターの悲哀①僕と彼女と民俗学
作曲家・佐村河内守氏のゴーストライター事件からもう11年も経ってしまった。
僕は当時大学生だったが、この事件を共感と悲哀をもって眺めていた。
というのも、実は僕も大学生の時にささやかなゴーストライターしたことがあって、若干切ない思いを経験していたからだ。
先に言うと、めっちゃしょうもない経験である。また、特定を避けるため内容には多々フェイクが含まれています。実話を元にしたフィクションだと思って気軽に読んでね。
僕の文章で彼女が表彰される
大学2年生の時、僕は4つ下の高校生と付き合っていた。(これ今だとアウトなのか?まあいいや)
彼女は僕の母校である底辺高校の後輩だった。在学期間は被っていないけれど。底辺校ゆえに、彼女もまた壊滅的に勉学に向いていなかった。
ある日、彼女の住んでいた部屋に行くと、原稿用紙とプリントを広げて唸っていた。
「どうしたん?」と聞くと
「高校の課題で、このまちのさとつち?についてのレポートを出さなきゃいけん。」と言う。
「きょうどね。」とサラッと訂正してプリントを手に取る。(さとは読めたのか。えらい。)
なかなか面白いテーマだった。彼女の所属するクラスで、町外れの山間集落に研修に行ったらしい。そこで聞いた独自の文化や伝承に関して調査し、感想とともにレポートに残すと言う課題だ。ガッツリ民俗学。僕が大学生の時に学んだいたテーマのひとつだ。フィールドワークもしているし、なかなかいい授業じゃないか。僕の時はこんな授業はなかったから羨ましい。
原稿用紙4枚以上、6枚以内。そこそこの文量になる。
「まず何から書いたらいいかすらわからん。」
彼女は名前だけを書いてそこで止まってしまったらしい。テーマすらない。
「感想を書いたメモを見せてよ」と、机の上にあったB5のノートを手に取る。
乱暴に書かれてはいるが、いくつかのワードを読み取れた。
「湧水」「えらい坊さんがきた」「平安時代」「なんか木を植えて行った」「かしのき」
のようなメモ。なるほど、おそらく平安時代に高名な僧侶が集落にやってきて、湧水を掘り当てた。その際に樫の木を植えて行ったのだろう。資料であるプリントを見る。モノクロ写真で、大きな樫の木にしめ縄が巻いてあって、その下に石が積み上げられ、竹が刺さっている。そこから、水が湧いている。
他にも色々なところを回ったそうだが、彼女はこの湧水の記述を特に多めにメモしていたので、なにか心惹かれたのだろう。
「よし、この湧き水をテーマにしよう。
このお坊さんが誰か...ほら、プリントに書いてある。このお坊さんの他の伝承も調べよう。図書館に行って、この辺りの他の場所にこのお坊さんが行っていないか...。
そして、多分有名なお坊さんだから、実際には来ていないと思う。きっと名もなきお坊さんだったんだろうけど、時代と共に伝承を残すために名前だけを借りたんだろうね。あと...」
と話していると
「もう恵くん書いてや」
...!
「それはダメ。ここの課題なんだから、君が書かなきゃなんの学びにも」
「学びとかいらん。興味ないし。」
僕は少しカチンと来て「着替えて!出かけるよ!」と行って車に乗り込んだ。
カーナビで調べて、くだんの湧き水へ。同じ町なのに車で30分近くかかってしまい日が暮れそうだったが、なんとか明るいうちに見ることができた。周りの石碑なんかの写真を撮って、すぐさま大学の図書館へ。閉館ギリギリでいくつか郷土資料をコピーして、また彼女の部屋へ。
「さ!俺も実際に見たし、資料も大体集まったから、一緒に考えよう!」
「いやだから書いてって」
..........!
僕は「調べて、新たな発見をして、それを残す」という作業をとても楽しいことだと思っていたから、その楽しさを知って欲しくて彼女を連れ回したのだが、全く伝わらなかったようだ。
しかし、僕もまだ20歳そこそこの若者。
年下の彼女に「なあ、書いてーや」とお願いされたら断れない。彼女のためにならないとわかっていても。若さとは愚かさなのだ。
僕は彼女のシャープペンを取ってノートに書き始めた。
「あとで君が描き直せよ。俺が書いたらバレるからな。」
彼女は、ベッドに転がりながら携帯電話(ガラケー)をいじり始めた。僕は集中スイッチが入ると邪魔をされたくないので都合が良かった。
およそ30分でレポートは書き上がった。1000文字程度、すぐだ。
しかしここから推敲したり、記述に誤りがないか資料と見比べる。この作業に30分。
はじめてみると、たった1時間でレポートを書き終えた。
彼女は「えっもう書き終えたん!?恵くん天才やん!」と、背後から肩に手を回すように抱きついてきた。僕は20歳くらいの愚かな若者だったので「そうだろ?」と得意になった。冷静に考えれば普通に使われただけである。女子高生はしたたかだ。
そんなこともすっかり忘れて2週間が経ったある日、講義中に携帯にメールが来た。
「やばいねんけど。なんか高校でむっちゃ褒められてる」
授業中に携帯いじるな。と思いながら、お互い様だと考え直す。高校で褒められる?なんで?いいことじゃん。
適当な返事をするとさらにメール。
「なんか恵くんが書いてくれたレポートむっちゃええから集落の人に見せに行くらしい」
え?ああ、レポートの話か。
それにしても、そんなに褒められるのか。僕の名前ではないとはいえ、なんだか嬉しい気持ちになった。
そこからさらに1週間。
「部屋きて。やばいねんけど」とメール。こいついっつもやばいことになってんな。
彼女の部屋に行くと険しい表情で机に突っ伏している。
「どうしたん?」と聞くと
「今日、担任と集落の会長みたいなん人にレポート渡しに行ってんな。そしたら、なんか教育委員会?の人もおって。担任が見せたら興味持ってきたらしい。そしたらとても素晴らしいレポートだから、ぜひ教育委員会として自治体の広報誌の記事にしたいみたいなん言われて。だるいねんけど」
なんと。割と話が大きくなってきた。
ちょっと僕もドキドキしてきた。
「でも、まぁいいことじゃん」
「よくないて。なんか表彰されるらしい。『郷土愛に貢献した学生への賞』みたいなん。毎年だれか探して表彰するねんて。
ほんで、なんかインタビューされるらしい。どんな思いで書きましたか〜とか。わたしそんなん知らんやん」
マジか。記事になるだけで大事だが、表彰されて、インタビューまで....
僕らは大急ぎでインタビューの想定問答を考えた。まちのHPから昨年の広報誌のPDFを引っ張り出して、大体どんなこと聞かれるかも推理しながら。2時間かかった。レポートを書く2倍の時間だよチクショウ。
それから2ヶ月後、彼女が集落のおじいさんと、市長と3人でにこやかに笑っている写真が市の広報誌の表紙を飾った。ページをめくると、2ページを割いて彼女が表彰されている写真と、集落の湧き水の写真、インタビュー記事と、僕の書いたレポートが若干文字数を減らしたバージョンで掲載されていた。
僕が書いたものから冗長な表現が削られていて、すっきりと読みやすい800文字ほどの記事に生まれ変わっていた。なんだか悔しい。
彼女が称賛されていること自体は喜ばしかったが、そのレポートは彼女が書いたものではないということ、その事を誰にも言えないこと。彼女自身も引くに引けなくなったこと。なんだかその全てがぎこちなくて、嘘を共有しているのが気まずくて、僕たちはそれから程なくしてさよならをした。
それから数年後、彼女は高校を卒業して、都会のガールズバーやスナックを転々とし、20歳を過ぎてどこかの誰かとできちゃった婚をして田舎に越して行ったらしい。
もう14〜5年ほど前の話だけれど、いまでもあの事を思い出してはほんのり切なくなる。
誰にも迷惑をかけていなのだけれど、決定的にダメな事をしてしまったという後味の悪さ。
彼女はもう母親で、生まれた子供もあと数年で中学生になる頃だろう。
きっと彼女は、自分が表彰されたことなんて覚えていないだろうが、僕ははっきりと覚えている。
それ書いたの、俺だから!!!
おわり